3人の音楽的ルーツ
──皆さんの音楽的ルーツや、音楽に目覚めたきっかけも教えてもらえますか?
yacco 私の家庭は特に芸術一家というわけでもなく、幼少期は流行りの音楽を聴いている普通の子供でした。高校生くらいまでは特にやりたいことも見つからなかったし、これといって特技もなかったんですよ。とはいえ勉強はしたくなかったし、「どうしよう?」と思っていたときに直感的に歌ってみようかなって(笑)。それで音楽の専門学校へ行くことにしたんです。
──yaccoさんはガブリエル・アプリンやルーシー・ローズがお好きだと聞きましたが、ルーツの音楽というわけではないんですね。
yacco シンガーソングライターとして活動を始めた頃は、そういうアンビエントっぽいアーティストの楽曲を聴いていて影響もたくさん受けました。ただルーツという感じではないですね。
SHINTA 僕は小学校2年生からダンスをやっていたので、ルーツをたどるとダンスミュージックになるのかな。マイケル・ジャクソンをはじめ、ブラックミュージックはアーティストの名前も知らないまま吸収していました。ギターを弾くようになったのは、親父に連れて行かれたウルフルズのライブがきっかけです。で、ギタースタイルとして影響を受けたのはB'zの松本孝弘さんですね。
──では、yaccoさんとSHINTAさんの音楽的ルーツは全然違うんですね。
SHINTA そうなんですよ。彼女のサポートをやっていた頃、僕はハードロックやメタル一筋だったので、あまりにもアレンジがyaccoのイメージしているものと違いすぎて一度クビになったこともあります(笑)。のちにyaccoのバンドがツインギター体制になって、それで再び呼び戻されたんですけど、そのときには心を改めてアコギも練習しました。おかげで今まで聴いてこなかったジャンルの音楽も積極的に聴くようになったんですよね。クビにしてもらって、結果的にはよかったなと(笑)。
──(笑)。Bakuさんはいかがですか?
Baku 僕は高校1年のとき、韓国で放映されていた歌のオーディション番組でBusker Buskerというバンドを観て「カッコいい!」と思ったのが音楽に目覚めたきっかけでした。特にボーカリストの声が特徴的だったんですよね。そのあと学校で楽器を何か1つ選んで試験を受ける授業があって、僕はギターを選んだんです。それをきっかけに好きな曲をカバーしたり、覚えたコード進行を使ってメロディを考えたりするようになりました。そのあとは英語で歌うのがカッコいいと思うようになって、ダニエル・シーザーやジャスティン・ビーバー、H.E.Rなどをよく聴いていました。
──日本と韓国、両方に住んだことのあるBakuさんから見て両国の音楽シーンの違いってどこにあると思いますか?
Baku 韓国はどちらかと言うとアイドル系のダンスポップが主流になっていて、日本はそういう意味で韓国の音楽シーンよりも多様性があるのかなと思います。だからこそK-POP以外の音楽を求める韓国の音楽リスナーが、日本のバンドミュージックに流れているのではないかと。たまに韓国のYouTubeのショートチャンネルでも、日本のバンド系の音楽が紹介されているんですよ。僕自身も日本のバンドは好きで、特にDYGLはよく聴いています。
DURDNを成長させた「My Plan」
──3月15日にはテレビアニメ「Buddy Daddies」のエンディングテーマとして書き下ろした「My Plan」がリリースされます。皆さんにとって初のアニメタイアップですが制作はいかがでしたか?(※インタビューは3月上旬に実施)
yacco 正直、歌詞はすごく悩みました。「“温かい家族”をテーマに書いてほしい」と言われたのですが、結婚していないし子供がいるわけでもないので、体験していないものを想像して書かなければならなくて。アニメの世界観にも合わせる必要があると思ったので、いつもよりフィクション色の強い歌詞になったと思います。ここまで前向きな楽曲は、DURDNでは初めて書きましたね。
SHINTA yaccoががんばってくれたおかげで歌詞も戻しが一度あったくらいで、あとはスムーズに制作を進めることができたんですよ。ただアニメの場合、およそ90秒という短い時間の中で曲のよさを知っていただく必要がありますよね。なのでサビ始まりにしたり、エンディングテーマらしくアップテンポにはならないようにしたりといった試行錯誤はしました。結果的に、何年経っても繰り返し聴きたくなるような、心地いいミドルテンポのトラックになったと思います。
──ボーカルのレコーディングはどうでしたか?
Baku キーが高い楽曲なので、最初は納得のいくように歌えなくて大変でした。そこから練習しまくって、ようやく満足のいく仕上がりになりましたね。こういう音域ギリギリの曲を歌うことで、昔よりも歌える音域が広がってきたので、そういう意味では自分を成長させてくれた1曲になったと思います。
結成から約2年、DURDNの今
──DURDNの結成は2021年1年だからコロナ禍の最中ですよね。なかなかメンバー全員がそろう機会もなかったんじゃないですか?
SHINTA はい。最初のうちは全員で直接会うことができず、Bakuちゃんとのやり取りはyaccoだけがしていたんです。実際に会ったのは、DURDNとしてのレコーディングを始めて3、4曲目くらいからじゃなかったかな。結成してから半年くらい経っていました。そこでようやく音源データではないBakuちゃんを知ったという(笑)。
──そうだったんですね。
yacco 結成当時、SHINTAはバイトもしていたし、私も就職していてBakuも学生だったから、3人の予定を合わせるのが本当に難しかったですね。
SHINTA DURDNは曲作りも完全分業制なんですよ。まず僕がトラックを作って、yaccoがメロディと歌詞を付けてBakuに渡す。そしてBakuが歌ったものがデータとして僕のところに戻ってくるという。それを僕がミックスとマスタリングを施して完成という流れですね。もちろん「ここはもう少し、こうしたほうがいいんじゃない?」みたいなやり取りもありますけど、基本的なやり方は今も変わらないです。
──実際に会うようになって、メンバー間の役割分担なども変わってきました?
SHINTA 曲作りの部分に関してはあまり変わらないけど、マネジメントの部分やグループの見せ方はこれから考えていかなければと思っています。自分はそういうのがめちゃくちゃ苦手なんですよ(笑)。Bakuもそんなに前に出るタイプではないから、半年くらい前からyaccoがメインでやってくれるようになりました。
yacco ライブのときも物販担当ですから(笑)。最近はみんな、家もわりと近くに住むようになって。去年に比べると頻繁に会うようになったのはよかったです。