「式日散花」に思春期の原風景がいっぱい
志磨 岩井監督の作品にとって切っても切れないのは、小林武史さんによる音楽ですよね。小林さんが1960~70年代の機材をそろえて作り上げたヴィンテージなサウンドにも僕は多大な影響を受けているのですが、岩井監督と小林さんの出会いはいつだったんでしょうか?
岩井 小林さんと最初に出会ったのは大学卒業直後で、桑田佳祐さんのソロアルバムのメイキング映像を撮影したときでした。そのアルバムをプロデュースしていたのが小林さんで、その後もあちこちで会う機会があったんですね。少し経って「スワロウテイル」を制作するとき、キャロル・キングやモータウン系アーティストの楽曲をよく聴いていたので、その年代を彷彿とさせる乾いた音楽が欲しくなったんです。そんなとき偶然ラジオで聴いたMy Little Loverの曲がイメージにぴったりで、調べてみたら小林さんのプロデュースだった。それで小林さんにお願いしました。
志磨 先日リリースしたドレスコーズのアルバム「式日散花」は、岩井監督が描いた世界観だけでなく、小林さんが手がけられたさまざまな音楽からも影響を受けている気がします。
岩井 そうだったんですね。「式日散花」は本当に懐かしさのあるアレンジで、昔を思い出しながら聴きました。アルバムタイトルも、僕が出演した映画のタイトルそっくりで。
志磨 庵野秀明監督の「式日」ですね。あの映画にまつわるエピソードもぜひ伺いたいのですが、それはまた別の機会に取っておいて……(笑)。「式日散花」は僕の思春期の頃の記憶、原風景が表出したような作品になりまして、1990年代の映画や音楽の記憶をたどりながら制作を進めました。その中でもやはり岩井監督の作品の存在はすごく大きいのですが、同じく庵野監督の作品もまた、あの時代を象徴していたように思います。タイトルの「式日」という言葉も、無意識にそこから選んだのかもしれません。
岩井 「在東京少年」という楽曲は、僕がよくMVを制作していた東京少年というバンドを思い出しましたね。僕の描く世界観が発揮しやすかったバンドで、東京少年のおかげでMVやドラマの仕事が広がったので、思い出深いです。
志磨 あと、「打ち上げ花火」の主題歌に使われたREMEDIOSの「Forever Friends」に、「Hold me like a friend Kiss me like a friend」(友達みたいに抱きしめて 友達みたいにキスをして)という歌詞がありますよね?
岩井 ええ。
志磨 あの曲が僕は大好きなんですけど、今回のアルバムに収録されている「少年セゾン」という曲の「ともだちがするだけのくちづけ」という歌詞は、「Forever Friends」から拝借しました。
岩井 うれしいですね。あの曲はREMEDIOSが、ある障害を持ったファンのために作った曲だったんです。僕も気に入っていて、ドラマで使用するためにわざわざレコーディングしてもらったんですよ。
ミュージシャン・志磨遼平が注目した「キリエのうた」の音楽
志磨 岩井監督の作品は最新作「キリエのうた」も含め、音楽に対する姿勢が一貫しているように思うのですが、岩井監督にとっての“音楽”はいったいどのような存在なんでしょう。
岩井 音楽の趣味は昔から全然変わっていなくて。「花とアリス殺人事件」の主題歌「fish in the pool」やリメイク版「夏至物語」で使われている劇中曲は、僕が学生時代に作った曲なんですよ。
志磨 ええ! そうだったんですか。
岩井 学生時代から好みが何も変わっていないのがわかります(笑)。でもREMEDIOSしかり小林さんしかり、僕は好きなテイストの音楽家と出会い続けているんですよね。あと、初期の作品で音楽を手がけてくれた西崎憲さんという方がいるんですけど、彼のバイオリンをメインにしてメロディを組み立てていくスタイルはすごく影響を受けて。自分で音楽を作るときは、今でも彼の作風の影響が大きいですね。
志磨 アイナ・ジ・エンドさんやCharaさん、Salyuさんなど、女性シンガーが参加されることも多いですよね。
岩井 そうですね。最初に作った自主映画に使った曲がケイト・ブッシュの「The Man with the Child in His Eyes」で。これを聴けば僕の好きな作風がすぐにわかると思う。
志磨 ケイト・ブッシュをお好きになったきっかけはなんだったんですか?
岩井 友達が貸してくれたカセットテープに入ってて。その頃よく聴いていたアーティストを挙げるとしたら風(※伊勢正三と大久保一久のフォークデュオ)とか松任谷由実さんかな。
志磨 そういえば「キリエのうた」にはオフコースの「さよなら」が使われていたり、今まで以上に監督ご自身の音楽体験が反映されているのかな、という気がしました。
岩井 「さよなら」はまさにそうですね。僕が高校3年生のときに流行って、地元の仙台を離れるとき、雪景色を見ていたらあの曲が頭の中でよぎりました。もう何十年も前の体験ですけど、アイナさんと昭和歌謡について話したとき、「彼女の親世代がカラオケで歌っているような曲だったら、きっと染みるものがあるはずだ」と思って。
志磨 なるほど。
岩井 それでどんな曲を知ってるか、アイナさんに質問してみたら「オフコースの『さよなら』はお母さんが歌ってました」と教えてくれたんですね。ほかには久保田早紀さん(現:久米小百合)の「異邦人」も使っているんですが、この曲はクリスチャンの人たちにとって、とてもポピュラーな1曲で。久保田さんはキリスト教の音楽家としても活動されていて、クリスチャンの間ですごく有名なんですよ。
志磨 クリスチャンの施設で「異邦人」が歌われる場面、歌詞の罪深さが余計に際立ってすごく印象的でしたよね。
岩井 あのシーンを観て違和感を感じる人がいるかもしれないけど、クリスチャンの方には「わかってる」と思ってもらえるかも。「異邦人」のことは学生のときに付き合ってた、クリスチャンの子が教えてくれたんです。当時のことを思い出しながら、あのシーンを盛り込みました。
暴力に対する恐怖、幼少期の体験が生み出した“岩井俊二節”
志磨 岩井監督は作品の中で、純粋無垢がゆえの残忍さや暴力性を頻繁に描かれますよね。それは監督ご自身の暴力に対する恐れの現れなんでしょうか?
岩井 それに加えて、幼少期の体験が大きいかもしれないです。小学校3年生のときの担任が怖い人で、例えば黒板に生徒の名前が書かれて、優秀な児童には花丸が書かれるんだけど、嫌われた児童はバツを付けられて、父兄会の翌日なんかに、親の悪口まで言われるんですよ。そういうやり方が耐えられなくて。
志磨 えっ……。今なら大問題ですね。
岩井 それで担任が受け入れられなくなって、ことあるごとに逆らっていたんでしょうね。ひどいときには同級生と遊ぶことを禁止されて、1つ年上の兄貴と学校で遊んでいても、校門まで引きずられて放り出されたこともあったし。おかげで放課後はずっと1人だったので、頭の中で何かを妄想するようになりました。その後も中学に上がって剣道部に入ったら、同じ小学校の剣道クラブ出身の先輩に殴られたり。
志磨 まさに「リリイ・シュシュのすべて」のような世界。
岩井 「リリイ・シュシュ」の剣道部の先輩はいい人でしたけどね(笑)。でも、そういう負の体験は物語を作るときの重要なファクターになったので、作家としてはいい経験だったのかも。つらい目に遭うほど青空が澄んで見えた……みたいなことって、平々凡々と暮らしていると手に入らないので。それが自分の創作の原点で、表裏一体になってモノづくりの原風景になっているんだろうなって思いますね。
志磨 岩井監督の作品に通底する仄暗さや、描かれる人々の罪深さの正体がなんなのか、お会いしたらぜひ聞いてみたかったんです。
岩井 映画を作り始める前、幼少期や思春期の体験はすごく資産になりましたね。あと、1970年代や80年代は毎年音楽やファッションの流行が変わっていて、ある意味使い捨てのような時代で。その影響もあるかもしれない。
志磨 その当時に流行していたのは、どんな音楽やファッションでしたか?
岩井 1980年代に入ってすぐはYMOが大人気で、髪の長い男子は世の中から一気にいなくなりました。高校時代、僕は今と似た長い髪型だったんですけど、大学に入ると、周りはみんなテクノカットだったから居場所がなくて、ついに切りましたね。音楽もすごくリバーブの効いたドラムサウンドが主流になって、生っぽい音が一斉になくなるんですよ。アコースティックギターだけで勝負するミュージシャンを見かけなくなったけど、1990年代に入ったらまた戻ってきて、それ以降文化的な変化は安定した気がします。
志磨 確かに現在は1970年代的なものであろうと1980年代的なものであろうと、すべて並列に並べられていて、それを好きに取捨選択できる時代ですよね。
岩井 そういう意味では、自分たちが慣れ親しんだ文化が生き残り続けているのは、すごくラッキーなことなのかもしれないです。
脈々と受け継がれていく“暗い”ムード
志磨 僕の思春期の記憶やその頃に見ていた景色は、まさに岩井監督の映画と同じ色をしているんですね。それはどこか暗い色なんです。岩井監督の作品に流れる独特の“暗さ”は、先ほど監督がおっしゃった幼少期の体験を反映したものでもあり、当時の日本全体を覆っていたムードでもあったような気がします。
岩井 もちろん小学生のときの出来事も影響していると思いますけど、僕が小さかった頃はお通夜みたいな時代で、社会全体が本当に暗かったんです。ある年ちあきなおみさんの「喝采」が「日本レコード大賞」を受賞しましたが、それがわかりやすい例かもしれない。「届いた報らせは 黒いふちどりがありました」という歌詞は、誰かが亡くなったって意味だと親から聞いて暗澹たる思いになりました。オイルショック、あさま山荘事件が起きたのもあの頃で、暗いニュースばっかりだった。そこから1980年代にかけてどんどん明るくなっていくんですけど、今度はいろんな問題から目をそらしているような気がして、あの年代もあまり好きではなかったです。弱者は無視、環境問題は興味ない、今が楽しければいい……みたいな雰囲気だった気がします。
志磨 1970年代前半はアメリカンニューシネマのように若者の挫折や絶望を描いた映画が多く作られましたが、それに似た無力さや虚無感を、僕は岩井監督をはじめとする1990年代に活躍された映像作家の方々の作品からも感じます。
岩井 アメリカンニューシネマの作品はどの時代にもない、独特な雰囲気を醸し出していますよね。僕が大好きな「エクソシスト」もホラー映画ではあるけど、1970年代特有の匂いがプンプンしていて。もしかするとあの空気感が好きなのかもしれないです。うまく口では説明できないですけど、影響はすごく受けています。あの時代のムードはバトンリレーのようにどこかで受け継がれて今も残ってるというか。「打ち上げ花火」の駆け落ちのシーンは、子供の頃に観たNHKの少年ドラマシリーズをオマージュしたもので、お互いに相手のことを「君」と呼ぶのもそこからですしね。子供心に「友達のことを『君』って呼ぶ同級生なんていないよ」とか思ったものですが、「打ち上げ花火」ではその違和感のある表現をわざと使ったんです。逆に今はもう違和感ないですよね。
志磨 ヒロインの及川(なずな)さんが主人公のことを「君」って呼ぶところが、彼女を大人っぽく見せますよね。
岩井 「花とアリス」の荒井花と有栖川徹子も「君」と呼び合っているし。志磨さんが僕の作品から感じ取ってくれたり、「式日散花」に盛り込んでくれた“暗さ”というのは、もしかするとそういう部分からにじみ出ていたのかもしれないですね。
志磨 1970年代から1990年代にバトンリレーされた“暗さ”は、今の日本のムードにも通ずる気がします。「式日散花」は、無意識にそのバトンを僕が受けて生まれたアルバムだという気もしています。
ドレスコーズ ライブ情報
the dresscodes TOUR2023「散花奏奏」
- 2023年10月9日(月・祝)宮城県 SENDAI CLUB JUNK BOX
- 2023年10月13日(金)福岡県 BEAT STATION
- 2023年10月14日(土)岡山県 YEBISU YA PRO
- 2023年10月21日(土)愛知県 名古屋CLUB QUATTRO
- 2023年10月22日(日)大阪府 BIGCAT
- 2023年10月28日(土)北海道 cube garden
- 2023年10月31日(火)東京都 Zepp DiverCity(TOKYO)
プロフィール
ドレスコーズ
2012年に志磨遼平が中心となって結成された音楽グループ。同年1月1日に志磨、丸山康太(G)、菅大智(Dr)の3名で初ライブを実施し、2月に山中治雄(B)が加入。12月には1stフルアルバム「the dresscodes」を発表した。2014年9月の5曲入りCD「Hippies E.P.」リリースを機に丸山、菅、山中がバンドを脱退。以降は志磨の単独体制となり、ゲストプレイヤーを迎えてライブ活動や作品制作を行っている。2020年は志磨のメジャーデビュー10周年を記念し、4月にベストアルバム「ID10+」をリリース。2023年9月に9枚目のオリジナルアルバム「式日散花」を発表した。
ドレスコーズ[the dresscodes]オフィシャルサイト
志磨遼平(ドレスコーズ) (@thedresscodes) | X
岩井俊二(イワイシュンジ)
1963年1月24日生まれ、宮城県出身。映画監督・小説家・作曲家など多岐にわたる活動を行っている。大学卒業後にミュージックビデオの仕事を始め、1993年にはオムニバスドラマ「if もしも」の1作「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」で監督を担当。同作で日本映画監督協会新人賞を受賞した。1995年には初の長編映画「Love Letter」を手がけ、その後「スワロウテイル」「四月物語」「リリイ・シュシュのすべて」「花とアリス」「リップヴァンウィンクルの花嫁」「ラストレター」「チィファの手紙」などの監督を務める。最新作「キリエのうた」が現在公開中。
iwai Shunji 岩井俊二 (@sindyeye) | X