僕の音楽人生はビートルズから始まった
──茂木さん自身は、ジョンが射殺された日のことを覚えていますか?
もちろん。僕は中学1年で、何気なく朝刊を開いたらヨーコさんが泣き崩れている有名な写真が大きく出ていて、びっくりしたのを覚えています。子供心にも何か大変なことが起きたんだなと思った。ただ当時は洋楽の最新ヒットチャートを追いかけるのに夢中で、ビートルズについてはほとんど知らなかったんですよ。むしろジョンが亡くなった事件をきっかけに、過去のアルバムをさかのぼって聴きはじめたクチで。
──じゃあ1980年12月8日から、歴史が逆回転するような感じで?
完全にそうですね。僕らの世代は大体同じじゃないかな。以降はもう、毎日がビートルズ一色。僕の音楽人生はすべてそこから始まったと言えるくらい、怒濤のように聴きまくりました。少ないお小遣いでどのアルバムを買うか、もう悩みに悩んで(笑)。あと渋谷の大盛堂書店で「シャウト!ザ・ビートルズ」という分厚い翻訳書を買ってきて繰り返し読んでました。どんな小さいことでも知りたくて仕方なかったから。
──ジョンのソロ作品はいつ頃から聴きだしたんですか?
それはもう少しあとで、15歳のとき。高校1年でした。アルバム「ジョンの魂」を聴いて世界がひっくり返るくらいの衝撃を受けたんです。ビートルズも含めて、それまで自分が知ってたどんな音楽とも違う。メロディラインの良し悪しとかアレンジの工夫とか、そういうのは全部すっ飛ばしてね。剥き出しの魂が迫ってくる感覚。「Mother」「Love」「God」……どの収録曲もそうでしょう。
──1970年、ジョンがビートルズを解散後に初めて発表したソロ作ですね。展覧会への推薦コメントで茂木さんは、このアルバムについて「人生を変えてしまうような音楽」と書かれていました。
まさに。ただジョンが天才だなと思うのは、ものすごくパーソナルな表現でありながら、誰に対しても開かれているんですよ。アルバム1曲目の「Mother」にしてもそう。この曲って、何か得体の知れない情念が渦巻いているようで、普通に聴くと怖いじゃないですか。少なくとも15歳の僕は、うまく言葉にできなかったけど、それを感じ取っていたと思う。でも、そこには不思議な懐かしさもあって……サウンドも歌詞もヘビーなのに、聴くたびに心が浄化されたりするんですね。「あ、世の中にはこんな音楽も存在するんだ」と。
──スタイルではない、もっと本質的な部分で影響を受けたと。
はい。「ジョンの魂」と出会って、音楽との接し方は確実に変わって。聴くだけではなく奏でる側にシフトしたいと本気で思うようになった。そのきっかけになった1枚です。あれから星の数ほどアルバムを聴いたけど、結局「ジョンの魂」みたいな作品には出会えてない。いろいろ考えたんだけど、思い浮かばないんですよね。そして今にして思うと、この名作もやっぱり、ヨーコさんとの関係がなければ生まれていなかった。
──原題はシンプルに、「John Lennon/Plastic Ono Band」です。
大人になって聴き返すと、よくわかりますよね。ヨーコさんが傍にいたから、ジョンは表現者としてすべてをさらけ出せた。ちなみに今回「ジョンの魂」の収録曲については、本人直筆の歌詞もいくつか展示されてましたね。僕的には、あれはグッときた。一番好きな「Love」の写真を撮って、すかさずTwitterにアップさせてもらいました(笑)。
ハッピーバースデー、ジョン!!今日から東京で開催のジョン&ヨーコ『DOUBLE FANTASY展』に行って来ました。2人が夢中で過ごした毎日、そしてジョンが亡くなってからも40年間休むことなく愛と平和を訴え続けているヨーコさん。生きるエネルギーに満ちた素晴らしい展覧会でした。 #ダブルファンタジー展 pic.twitter.com/kStjaWwdzI
— 茂木欣一 (@kin_drums) October 9, 2020
「YES」という小さな文字が世界を変えた
──ほかにも印象に残ったコーナーがあれば教えてください。
いろいろありすぎて困るけれど……やっぱり外せないのは「インディカ・ギャラリー」を再現したコーナーかな。なんと言っても2人が初めて出会った場所ですからね。1966年、ロンドンの画廊で開かれたヨーコさんの個展に、友達に誘われたジョンがやってくる。そこでジョンが脚立に登って、虫眼鏡で天井を覗き込むエピソード、ファンにとっては超有名じゃないですか。ご本人も繰り返しインタビューで語っていますし。
──「Ceiling Painting(天井の絵)」という前衛作品ですね。
そう。ヨーコさんに言われた通り脚立に登り、虫眼鏡で天井を覗いてみたら、そこにはごくごく小さな文字で「YES」と書いてあった。これ、とても素敵な情景だと思うんですね。ノイズに掻き消されがちかもしれないけれど、耳を澄ませて、しっかり目をこらせば、世界を肯定する言葉はきっと見つかる……作品自体がそんなメッセージを発しているでしょう。前衛芸術家としてのヨーコさんの発想も素晴らしいし。ジョンにとっては「YES」という小さな文字が、本当に救いだったんだろうなって。イマジンが広がる。
──実際にジョンは後年のインタビューで、「もしそこにNOと書いてあったら、自分は前衛芸術についてずっと偏見を持ち続けていただろう」と語っています。
アンチ、アンチという否定の言葉に飽き飽きしてたんだろうね。一方のヨーコさんも、見当外れの批評に晒される中、ジョンが自分のメッセージをキャッチしてくれたことで救われていた。これは会場で出会った彼女の言葉ですが、「私は消えてしまうギリギリのところにいた」「ジョンが現れて、『なるほど、僕にはわかる』と言ってくれたことで、消えるはずのものが残った」と発言しています。要は最初の出会いから、2人とも深いところで互いを必要とし合っていた。その作品の実物をこの目で見られるなんて、感動ですよ!
──脚立も虫眼鏡も、1966年にギャラリーで展示されていた実物ですからね。
文字通り、2人の未来を結び付けた脚立。もしもジョンがこの脚立を登らなかったら、世界はどうなっていたんだろうとか。会場であらぬ想像をしちゃいました(笑)。あとは1964年に出版された「グレープフルーツ」というアートブックも貴重ですよね。ヨーコさんの代表作の1つだけど、これも彼女がジョンに贈った実物なんですよね?
──はい、日本初公開だそうです。これは彼女が描いてきたコンセプチュアルアートを集めた1冊で。例えば「雪」という1編は「雪が降っていると想像しなさい / あらゆる場所に、つねに雪が降っていると想像しなさい / 誰かと話すときには、あなたとその人の上に雪が降っていると想像しなさい / 相手が雪に覆われてしまったと感じたら、その人と話すのをやめなさい」という内容。こういった短い文書が多数収められています。
へええ、面白いな。こうやって見ると、確かに「Imagine」の歌詞と発想が似てますよね。ジョンは常々このアートブックからの影響を公言していて。ヨーコさんを「Imagine」の歌詞の共作者にクレジットするよう希望してたじゃないですか。それって部分的にフレーズを引用するとか、そんな次元じゃなかったんだよね。むしろオノ・ヨーコという女性のあり方や思考をまるごと受け入れ、折り合いを付けていくところから、ビートルズ以降のジョンの表現は始まっていた。「Imagine」もその1つなんですね、きっと。
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人生経験を積むにつれてわかったヨーコのすごさ
2020年12月16日更新