「テイチクエンタテインメントを代表するロックバンドは?」と聞かれ、怒髪天とa flood of circleの名前を挙げない人はいないだろう。キャリアの長さは違うが、強烈な個性を放つボーカリストを擁し、愚直なまでに自分たちのリアルな生き様を楽曲に落とし込んでいるという点でも共通点を持つこの2組。フェスやイベントでの競演はこれまであったが、フロントマンである増子直純と佐々木亮介の両名がメディアで対談したことはなかったという。
そこで音楽ナタリーでは、怒髪天が現体制初の新曲「エリア1020」を、a flood of circleがニューアルバム「WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース」をリリースするタイミングで2人の対談を企画。出会いやお互いへの印象といったド定番の話題から始まったトークだったが、次第にロックバンドの一員としてのそれぞれのあり方の話に。定石を外れ、己の道を突き進み続ける2人の奔放な会話を楽しんでほしい。
取材・文 / 森朋之撮影 / YOSHIHITO KOBA
テイチクはセコハンだからカッコいいことができる
──怒髪天とa flood of circleの交流が始まったきっかけは?
佐々木亮介(a flood of circle) a flood of circleは最初、新宿LOFTや下北沢SHELTERでライブを始めたんですよ。で、怒髪天がLOFTやSHELTERでライブをやるときはナベちゃん(渡邊一丘 / Dr)と観に行って「増子!」って叫んでました(笑)。そのときはまだ話したことがなかったので。
増子直純(怒髪天) 「キヨシロー!」みたいなもんか(笑)。実際に会っちゃうと言えなくなるからね。
佐々木 そうなんですよね。最初に挨拶したのは、「RUDE GALLERY」(ファッションブランド)のイベントのときだったと思います。2009年かな。
増子 15年前か。
佐々木 その後はいろんなフェスやイベントでお会いして。
増子 セッションとかでもよく会うね。
佐々木 そうですね。大江慎也(ザ・ルースターズ)さんの生誕55周年イベントもご一緒して。確か新宿LOFTだったと思うんだけど、若手とベテランで楽屋が分かれてて、増子さんが若手のほうにいらっしゃったんですよ。
増子 あの頃はまだ40代半ばだったから(笑)。下山淳さんとか池畑潤二さんとか、先輩もたくさんいたんでね。
佐々木 そのときに「増子さんがまだ若手ということは、まだまだ先は長いな」と思いました(笑)。福岡でテイチクのイベント(※テイチクエンタテインメント内レーベル・インペリアルレコードによる主催イベント「YOKA ROCK FESTIVAL '17」。福岡・LIVE HOUSE CBで行われ、怒髪天、SA、a flood of circle、BUGY CRAXONEが出演した。参照:怒髪天、SA、AFOC、BUGYが“中古品”の輝き見せた博多の夜)をやったときことも覚えてますね。増子さんがMCで「テイチクはセコハン(中古屋)」みたいなことを言ったんですよ。
増子 リサイクルショップね(笑)。
佐々木 「だからカッコいいことができるんだ」って。あれはグサッと来ました。
増子 今考えたら失礼だよな(笑)。亮介は仲野茂さん(アナーキー)とも一緒にやってるじゃない? うちの坂さん(坂詰克彦 / Dr)もそうなんだけど。
佐々木 それも新宿LOFTのおかげですね。大江慎也さんのイベントもそうだったんですけど、LOFTにつないでいただいた縁なので。
増子 亮介は先輩ウケがいいというか、かわいがられるよな。人がいいし。
佐々木 たまに先輩に食ってかかったりもするんですけど(笑)、甘えさせてもらってます。
自分の中の怒りや不満は限界がない
──増子さんはa flood of circleに対してはどんな印象がありますか?
増子 最初は「ちゃんとしたロックバンドだな」という感じだった。ここ何年かでオリジナルになってきたというか、ほかのバンドとは違うものが出てきたよね。たぶん、相当いろんなことにストレスが溜まってんだろうなと。
佐々木 そうですね(笑)。
増子 それが音楽に出てくるのは素晴らしいことだと思うんだよ。長くやればやるほど「こんなにやってんのに、何これ?」みたいな感じが出てきて、それが顕著に現れてるというか。
佐々木 その矢印が自分に強く向いている感じはありますね。
増子 そういう軋轢やジレンマはロックの根源、パワーの源だから。デビューしてすぐにラクに売れちゃったら、そこである程度満たされるじゃない? そうなると音楽的なチャレンジに向かうしかないんだけど、限界があるんだよね。でも自分の中の怒りや不満は限界がないから(笑)。
佐々木 自分としては“どっちつかず”というか、フラフラしてるなと思っていて。俺、音楽の入りはスピッツなんですよ。でも俺らがデビューしたとき、タワーレコードのポップには「ミッシェル・ガン・エレファント meets ニルヴァーナ」って書かれて。それはそれでうれしかったんですけど、当時は「スピッツはどこ行った?」って思ってた(笑)。「お前、どっちやねん」みたいな感じがずっとあったし、それがポンと売れなかった理由なんだろうなと。でも、テイチク(インペリアルレコード)に入った頃(2012年)に「これが俺なんだな」と思うようになって。自分以外に売り物がないんだから、それをどんどん出していくしかないと。生まれ育ちがめちゃくちゃだとか、そういうネタがあるわけじゃないけど、自分を歌にしないとメジャーでCDを出す意味がない。開き直りじゃないけど、「これで勝負しよう」と決めて、その先に今年の野音(8月に行われたデビュー15周年記念公演「LIVE AT 日比谷野外大音楽堂」)もあったんじゃないかなって。なのでさっき増子さんが「ほかのバンドとは違うものが出てきた」と言ってくれたのはすごくうれしいです。ハンパなんだけど、それが面白いと思ってもらえてるんだなと。
増子 誰かになる必要はないからね。俺らもそうだけど、ずっと模索中だから。
佐々木 今もですか?
増子 そうだよ。だからバンドを続けられるし、面白いんだよね。ほかの誰かになろうとしても、なんの意味もない。
佐々木 例えば曲を作ってるときに、ほかの人の曲を聴いたり、誰かの本を読んだりして、そっちに寄っちゃうことってないですか?
増子 ないんだよね、これが。基本的に人のやってることに興味がないし(笑)、「いいな」と思っても俯瞰で見ちゃうから。「そっちがこう来るんだったら、俺はこうやる」というカードの切り方というのかな。あと「俺だったらこうするな」とかね。「これは完璧。どこにも手を加えるところがない」と思ったのはクレイジーケンバンドくらい。
佐々木 そうなんですね。
増子 それ以外はないね。ほら、誰でも自分の専門家じゃない? 俺は俺の専門家だから、自分のカードで勝負するしかない。人のフィールドに入っても負けるでしょ。
佐々木亮介が驚いた増子直純のこだわり
佐々木 すごいなあ。そういえば昨日、アルバム(「WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース」)のミックスチェックをやってたんですよ。エンジニアの池内亮さんは怒髪天のレコーディングもやってるから、「増子さんはどんな感じでチェックしてるんですか?」って聞いてみたんですよ。そんなに細かいことは気にしないというか、すぐ「OK!」みたいな感じかなって勝手に思ってたんだけど、池内さんは「歌い出しにこだわるね」って……こんな話して大丈夫ですか?
増子 いいよ。誰も普段そんな話してくれないから(笑)。
佐々木 その話を聞いたときに、増子さんには増子さんの“歌の正解”があるんだなと。例えば俺は感覚的に「いい」と思っても、裏付けが欲しくなっちゃうんです。コードとのバランスだったり、音程だったり、波形だったり。増子さんもそういうことは気にしてるかもしれないけど、最終的には歌い出しが大事なんだなと。
増子 最初に入ってくるからね。
佐々木 そうっすね。シンプルだ。
増子 もちろんピッチが合ってるのは大前提なんだけど、イントロと歌い出しの1音目でその曲のテンションとか気合いがわかるじゃない? 激しい曲でも優しい曲でもそうなんだけど、がなるように歌うのか、ささやく感じなのかによって、曲想が伝わるわけだから。
──増子さんは音域も広いし、幅広い曲が歌えるボーカリストですからね。
増子 人の曲はうまく歌えるんだよね(笑)。お手本というか、正解があるから。自分の曲はヘンにきれいにそろってると気持ち悪いんだけど。
佐々木 わかります。ロックミュージックの場合、歌がうますぎるとちょっとがっかりしちゃうので。
増子 そうそう。50歳の手前くらいまでは、あまりちゃんと歌わないようにしてたんだよ。ピッチとか気にするとロックっぽくないし、やっぱりエモさが大事だよなと。でも「せっかくいいメロディを作ってるんだから、ちゃんと歌ったほうがいいな」と思うようになって。
──怒髪天の楽曲は作詞が増子さん、作曲は上原子友康(G)さんですからね。
増子 今まで友康は何も言わなかったし、あいつが作ったメロディと歌が完全に合致してなくても「そっちでもいいよ」みたいな感じだったんだよ。ただ最近はけっこう厳しいけどね。キーボードを弾きながら「この音だから」って指示されて(笑)。
佐々木 俺は全部自分で作ってるから、勝手に変えられちゃうんですよ。メロディを作ってるメンバーがいればそういうわけにはいかない。
増子 それも面白いんだよね。自分にないものが混ざって。
佐々木 バンドらしさですよね、それが。俺の場合、下手したら「これじゃシンガーソングライターとバックバンドじゃねえか」と思ってしまうこともあるので。そうならないようにメンバー全員でアレンジしたり、デモ音源をそのまま再現しないようにしてます。
増子 難しいよね。自分で作った曲をどれくらい委ねるかっていう。
佐々木 そういえばニューアルバムのために、テツ(アオキテツ)が1曲書いてきてくれたんですよ。俺が「書いて」と言ったわけじゃなくて、勝手に持ってきて。
増子 いいね。
佐々木 めっちゃうれしかったです。彼は京都の山科の出身で、歌詞に「山科」の地名が出てくるんですよ。だから俺1人じゃ歌えないなと思って、テツに半分歌ってもらいました。
──テツさんが書いた曲「11」のモデルはなんでデヴィッド・ボウイなんですか?
佐々木 デヴィッド・ボウイ、山科に滞在してたことがあったみたいで。それでモデルにするって、意味わかんないんだけど(笑)。
増子 そりゃわかんねえな(笑)。
次のページ »
とにかく働きたくない佐々木亮介のロック観