たなか(前職ぼくのりりっくのぼうよみ)、ギタリスト・Ichika Nito、トラックメイカー / シンガーソングライターのササノマリイによるバンド・Dios。3人はそれぞれソロアーティストとして異なるフィールドで活躍しながら、バンドとしても精力的な活動を続けており、今年11月には新境地とも言えるツインボーカルの新曲「スタンダロン」を発表した。さらにバンド初のアジアツアーを行うなど、新たなフェーズへ歩を進めた彼らは今、何を考えているのか?
現在のバンドのモード、そしてこれからのビジョンを探るべく、音楽ナタリーは3人に話を聞いた。
取材・文 / 天野史彬撮影/ 佐々木康太
アジアツアーを終えて感じる手応え
──今日は、9月にリリースされた2ndフルアルバム「&疾走」のこと、そして本作リリース以降の活動についてのお話を中心に伺えればと思います。まず、直近では11月に中国4都市を回る初のアジアツアーがありましたね。
ササノマリイ 振り返ってみて「よくできたなあ」と思います(笑)。こんなに短期間でこんなにたくさん飛行機に乗ってライブをするということが、人生で初めてのことだったんです。なので「どうなることやら」と思っていたけど、始まってみたらあっという間でした。現地の方々にもすごく助けていただいたし、結果的には「楽しかったなあ」という記憶が残るものになりましたね。ケガして「痛いなあ」とも思いましたけど(笑)。
たなか 寝坊して焦って転んだんだよね?(笑)
ササノ そんな記憶もあります(笑)。あと、お客さんも温かったんですよね。地域によってお客さんの人数はばらつきがあったんですけど、どの会場も、熱さという面では変わらなかった。
Ichika Nito 今ササマリが言ったように、お客さん1人ひとりのパワーが本当に強くて。Diosが来ることをこんなにも望んでくれていたんだ、こんなにも好きでいてくれるんだ、ということを肌で感じることができてよかったです。
──たなかさんはどうでしたか?
たなか 僕は最初はシンプルに「1週間も外国に行くの、嫌だなあ」と思っていて。日本語圏以外の場所でライブをすること自体が初めてだったし、最初は「何をしゃべればいいんだ? 何語でしゃべればいいんだ?」という感じでした。結果的には、自分が日本という単一民族の島国育ちであることを実感としたというか、自分が置かれてきた状況の特殊性に気付けたという面白さがありましたね。「今、自分が日本でナチュラルに暮らしている状況ってこういうことなんだ」と気付かされた。例えば中国では、歌詞が原因で「演奏してはいけない」って、弾かれてしまった曲もあるんですよ。
──なるほど。検閲に引っかかってしまう。
たなか 「自分が書いたことを歌うって日本では当たり前にできていることだけど、それをやってはいけない国があるんだ」ということとか、「でも、そういう前提のうえで暮らしている向こうの人たちも楽しそうに暮らしてはいるな」とか。そういう気付きがいろいろありました。
──日本語で書き、日本語で歌う自分の歌が向こうのファンの人たちにも響いている、という実感に関してはいかがですか?
たなか ああ……それで言うと、暗い曲も好きそうなのがよかったですね。
Ichika 例えば「Misery」は、日本よりも中国のほうが盛り上がったんですよ。うれしかったよね、あれは。イントロが鳴った瞬間にお客さんが「ウワー!」となって。
たなか 「え、この曲で?」みたいな(笑)。あれは面白かった。ツアーの最後のほうは自分から煽っちゃったもん。
ササノ 「Misery」であそこまで盛り上がるって、理想郷な感じがしたよ。
──Ichikaさんは、ソロでも海外でのライブをたくさん経験してきていると思いますが、今回のツアーで「Diosならではだな」と感じたことはありましたか?
Ichika 僕は同じ11月にソロでも中国で公演をしたんですけど、そのときはお客さんの8割くらいが男性で、2割くらいが女性だったんです。でも、Diosはその割合が逆だったんですよね。男性2:女性8という感じで、盛り上がり方もかなり違って。単独だと、いいプレイングをするとそれに対してウオーッと盛り上がるんだけど、Diosのときは、僕らが体をちょっと動かすだけでもギャーッと歓声が上がる。日本での自分たちの受け入れられ方と比べてもかなり違うんです。現地のプロモーターの人が言っていたんですけど、中国は今、日本以上に男性アイドルカルチャーが盛り上がっているらしくて。僕らのような海外から来る男性アーティストを追いかけている女性が多いらしいんですよね。プレゼントの量もものすごかったし。
たなか 確かに、すごかったよね。
Ichika あと、中国ではお客さんがだいたい10代、20代でした。日本だと30代から50代くらいの方もけっこういますけど、今回のツアーは8割くらいが若い層で。これはほかの国でライブをやっているときも感じることなんですけど、ほかのアジアの国、例えばフィリピンやタイ、インドネシアのような国では若い層が熱く音楽にハマっていて、だからこそ、いろんな海外アーティストがそれらの国に呼ばれることが多いらしいんです。それに自国のポップカルチャーも触発されて、相乗的に盛り上がっているという。
ササノ さっき中国の規制の話もあったけど、そういう場所で、それでも僕らのような日本のアーティストの情報を取り入れているって、その時点でかなりアンテナを張っている人たちということでもあるから。だからこそ、僕らのライブに来てくれる人たちの熱量もものすごかった。
たなか ホントだね。中国でライブに来てくれた人から手紙をもらったけど、「普段、死にたくて……」みたいなことが書いてあって驚いた。「あなたたちの音楽のおかげで、自殺を踏みとどまった」って。言語も違うのに、音楽を通してそこまで感じられるのかと思うと、すごいなと。
テーマは「正しいフォーム&疾走」
──2ndフルアルバム「&疾走」についても伺いたいのですが、ダークで内省的な感触が強かった1stアルバム「CASTLE」に比べても、「&疾走」は色彩が強くてパワフルな印象のあるアルバムで、Diosがバンドとして新しいフェーズに入ったことを感じさせる作品だと思います。この1stアルバムから2ndアルバムへと至っていく変化を、自分たちではどのように捉えているんですか?
たなか “城”から出たということなんですけど、「CASTLE」の頃みたいな悲しさに浸るような表現を、今の僕らがやる必要はないなと思ったんです。そういう音楽は特に日本にはめっちゃ多いし、音楽って単に「悲しいなあ」みたいな気持ちに寄り添ってくれるだけのものでいいのだろうか?とも思うし。僕らはその次に行きたいんですよね。そのために思想の柱というか、キャッチコピーみたいなものを、みんなの中にインストールしてみたらどうなるんだろう?という実験をしてみたくて。そのキャッチコピーが、今回は「&疾走」の歌詞にある「正しいフォーム&疾走」だったんです。誰しもにそれぞれの「正しいフォーム」があって、それを意識しながら走ればいいんじゃないかっていう。そういう思想をサブリミナルのようにポップスの中に織り交ぜて、みんなの中に浸透させていくとどうなるか?……それを見たいし、やりたくなったんです。
──皆さんの中で、「&疾走」を作ったことで得たもの、改めて気付いたことなどはありますか?
たなか まずは、ライブでお客さんの雰囲気がガラッと変わりましたね。
Ichika ツアーで毎公演お客さんに「初めての人?」と聞いたんですけど、常に半分くらいは初めての人だったもんね。
たなか ようやく、いろんな人に届き始めたのかなって思う。
──ササノさんは、「&疾走」を作ったうえでの手応えはいかがですか?
ササノ 僕は、「CASTLE」を作ったときと比べても「&疾走」を作ったときのほうが精神面も肉体面も限界を超えている状態だったんですけど、そこが逆によかったんだろうなと思っていて。もし心や肉体に余裕がある状態だったら、今回みたいな外部からのアレンジも、いらないプライドから絶対に断っていただろうし。「自分ができることをやりました」というレベルよりさらに上の次元にいったアルバムなんですよね、「&疾走」は。そうは聴こえないかもしれないけど、命を削って出た音……そういう音って美しいと僕は思うんです。「&疾走」ではそういう音が鳴っている。まさに「&疾走」という名にふさわしい疾走をしたアルバムだなと思います。“自分の作品”という以上に“Diosの作品”としてのクオリティや伝わり方の質を上げることができたなと思う。
──「&疾走」にはTAKU INOUEさん、永山ひろなおさん、川口大輔さんといった外部プロデューサーやアレンジャーの方々が参加されていますけど、そういった方々との制作がササノさんに与えた影響は大きかったんですね。
ササノ そうなんですよね。まさに「正しいフォーム&疾走」ということだと思うんですけど、周りに正してもらうことによって、それが自分の力になった。そもそも、昔の自分なら絶対に「尊敬する作家さんが作曲やアレンジメントで入ってくれるなら、俺いらないじゃん」と言っていたはずなんです。実際、最初にシングルで出した「Loveless」を作った頃はそう思っていたし。でも、「&疾走」の制作を経て、結果的に自分の中から「もっとこうしたい」という曲のイメージが出てきたし、ツインボーカルで歌うことも「楽しい」と思えるようになった。そうやって音楽に対しての意欲がより強くなったことは、自分にとってすごい心の変化と成長であり、大きな収穫で。体力を使い切ってボロボロになった果てで、すごくいい景色が見えた感じがします。
人生全体にフォーカスしたい
──「&疾走」は「CASTLE」と比べても、聴き手に対してのコミュニケーションがより開かれている作品だと思うのですが、今の音楽シーンの中でDiosはこういう存在でありたい、こうあるべきだ、という意識は皆さんの中にありますか?
たなか まだ全然たいしたことはできていないと思うし、「どうあるべき」みたいなことは、僕にはわからないです。僕は別に「世界の在りようを変えたい」と思っているわけではないし、「俺らがスターダムにのし上がってJ-POPを変えてやるぜ」みたいな気持ちもよくわからない。ただ、「ゲームの中で流行りの戦法が変わっていく」みたいなことをDiosで表現できたら面白いのかな、とは思います。「J-POPってこういうものだよね」という定番の戦略みたいなものがあるとして、それもある程度は踏襲しつつ、全然違うものを提示する。「こういうことをやってもいいんだ?」と思われるようなものを出していく……それがDiosには合っているのかなって、最近ちょっと思います。これなら、僕も目標としてスイッチを入れやすいかな。
Ichika 確かに、よく話すことだし、話すたびに変化することではあるけど、俺ら3人に共通した、形だけじゃなくてマジでテンションが上がる目標が常にあったほうがいいよね。熱量が本当にしっかりとある目標。でも、それは数字ではないんだよなあ。
たなか 数字ではなかったねえ。
Ichika Spotifyの月間リスナーとか、YouTubeの再生数とか、数字の目標を置こうとしたこともあったけど、それは違ったから。
たなか うん、1mmもピンとこなかった。
Ichika そういう数字の目標よりも難易度は高いかもしれないけど、その分やりがいがある目標。そういうものについてもっと話し合いたいね。
──先ほどたなかさんがおっしゃった“思想の柱”を持ったポップスというのは、Diosのオリジナリティという感じがします。
たなか そうですね……単に美しさや悲しさを凝縮させた音楽ではなくて、もっと人生全体にフォーカスしたもの。例えばJ-POPの方法論とJ-HIP HOPの方法論って全然違いますよね。J-POPは主人公にみんなが共感するものという感じだけど、ヒップホップはラッパーが普通にセルフボーストをしている。それはそれで紋切型のものが多くて「どうなんじゃい?」と個人的には思うんですけど、そういう感じでポップスにはいろんなフォーマットが許されるようになってきてはいて。その中に、もう1個新しいものを提示する。それをDiosでがんばってみてもいいのかもしれない。「&疾走」はそういうものを作ることができたのかなと思うし。
──ササノさんは、目標というものをどのように考えていますか?
ササノ 僕の場合は個人の活動とも重なる部分ですけど、自分が本当に「美しい」と思ったものを「美しい」と認めさせたいんですよ。それは「自分がいいと思ったものを理解できないやつはダメだ」みたいな話ではなくて、僕自身の説得力の話なんですよね。僕の認識として、静かで美しいものって、ただ世に出すだけではすごく届きづらいものなんです。でも説得力があれば、タイアップがなくても、静かで美しいものはちゃんとマスに届くんじゃないかと思う。ターゲットに下手に媚びることなく、「美しい」と思ったものを「美しい」と思ってもらえるように、作っていきたい。それは一朝一夕ではできないことだけど、それができるような質の高いものを作りたいと思います。
たなか そうだねえ。
ササノ それを叶えるためには受け身じゃダメなんですよね。受け身じゃ変わらないから、世界は。人の考えはどんどん変わるけど、人間の根底にあるものはそう変わらないんじゃないかと思うんです。僕はそういうところに響く音楽を作りたいし、それを理想論ではなくて現実にしていきたい。感情に任せるのではなく、「どう届くのか?」ということを理論的にも考えていきたいし。今年はアジアツアーで、環境が違う場所にいる人たちに音楽を届けるという経験をできたことで、より強くそれを感じたかもしれないです。
たなか 確かにね。言語も関係なく、もっと原始的な部分で共鳴できるような……。
ササノ そう、そんな強い音楽をやりたい。
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「せっかくだからササノも歌おうよ」