アイドルグループ・DESURABBITSが6月に解散する。
DESURABBITSはEMI、YUZU、KARINと、40代の覆面男性・BUCHOからなる異色のユニット。2013年のデビューからメンバーチェンジすることなく活動を続けてきたこの4人は、デジタルハードコアとアイドルソングを融合させた“JAPANESE DEATH POP”という独自の音楽ジャンルを掲げ、耳馴染みのよい楽曲を世に放ってきた。また楽曲の多彩さのみならず、ラーメン付きCDやワンマンライブで繰り広げる茶番、サクラ募集などでも話題を呼んだ。
音楽ナタリーでは、結成から7年半が経ったこのタイミングで解散を選んだメンバー4人にインタビュー。少女から大人に成長したEMI、YUZU、KARIN、結成時より加齢で体が横に広がったというBUCHOに、「ふわっと始まった」という結成当時から現在に至るまでの思いを語ってもらった。
取材・文 / 田中和宏 撮影 / 前田立
解散という選択肢
──DESURABBITSの音楽ナタリーでのインタビューはこれが最初で最後となります。まずはなぜ解散を決めたのか、理由を聞かせてください。
YUZU DESURABBITSはEMIちゃんが小学校6年生、YUZUとKARINが中学校1年生の頃に始まったグループで、気付けばEMIちゃんは19歳、YUZUとKARINは20歳になりました。昔はすることのなかった将来の話を自然とするようになって、それぞれの今後を考えて、「解散するなら今なんじゃないか」と思うようになりました。
──具体的にどんな話をしたんですか?
EMI 私は新しいことにチャレンジできる年齢のうちに外に飛び出してみたいという気持ちがずっとありました。みんなには申し訳ないと思いつつ、その思いを伝えたら応援してくれたので、それでそれぞれの道に行くという流れになったと思います。
──解散には誰も反対しなかった?
YUZU 2019年にもそんな話があったんですが、そのときはみんなして「嫌だ!」って言ってました。でも本当に時の流れで、今回は自然とみんな、納得しました。
KARIN 一昨年はその話になるとすぐ泣いちゃうくらい「やだ」ってずっと言ってました(笑)。でも今はメンバーの気持ちを尊重したいなって。
──では結成時からこれまでを振り返りたいと思います。3人は貴重な青春時代をBUCHOに捧げたわけですが……。
一同 ははは(笑)。
YUZU 別にBUCHOに捧げたわけではないんですけどね! BUCHOにとっては2度目の青春(笑)。
──DESURABBITSはusa☆usa少女倶楽部(2018年に解散)の派生ユニットとして始まったんですよね?
YUZU そうです。もともとDESURABBITSが始まるとは聞かされずに「オーディションがあるから」と、1stシングルの「アイドルSTAR WARS」を覚えて歌って。気付いたらこの3人が選ばれて、気付いたらBUCHOがいた。
BUCHO そうですね。当時、前事務所とうち(G-angle)で何か面白いことができないかという話があったんです。そこで数十人の面談をしたんですが、そのときからEMI、YUZU、KARINの個性は際立っていました。当時のサウンドプロデューサー、トータルプロデューサーと話したときに「女の子だけだとほかのグループと同じだよね」ということで、スパイスを加えるために「じゃあBUCHOどうだい?」という流れに。「え? やるの? じゃあ入っちゃうよ!」というノリで3人の輪に加わって、唯一無二のグループを作ろうとしたわけです。
KARIN 懐かしいな。オーディションのとき、私は絶対選ばれないと思ってたから「えっ、かりこ(KARINの愛称)が?」みたいな感じでした。
YUZU DESURABBITSは始まりからふわっとしてたんですよ。
EMI そもそも最初はなんのオーディションに受かったのかもわからなかったし。事務所の人に「EMIちゃん受かったよ」って言われて、受かったことを親に話したんです。「この前もそんなこと言ってたよね?」「なんのやつなの?」と聞かれて、「よくわかんないけど、とりあえず受かったよ」って答えた記憶があります(笑)。
──始動時、グループの未来に思いを馳せることもなく?
YUZU なかったです。でも当時はアイドル界隈がすごく盛り上がっていて、どんなグループからも派生ユニットが誕生してた時期だったので、そういう流行りに乗っかったグループかなとは思ってました。
──ふわっと始まったDESURABBITSですが、メンバーとしての自覚と言いますか、DESURABBITSの一員としてがんばるんだ!と思うようになったタイミングはありますか?
EMI 活動を始めたとき私は小学校6年生で、その前までの活動では衣装もなかったくらいなので、衣装があるだけでも驚きだったし、初めてのミュージックビデオ撮影のこともすごく覚えています。「アイドルって、DESURABBITSってなんかすごいな」って思いましたし、ファンの方も盛り上がってくれてたので、がんばりたいと思うようになりました。でもそのときは幼かったのでそれ以上は何も考えてなくて、高校生になってからかな、自分で歌いたいという意思が芽生えて、改めてがんばりたいと思いました。
YUZU 私、もともとライブが大好きなんです。だからライブ活動がたくさんできるDESURABBITSで過ごした日々はすごく楽しかったし、ライブを通してたくさんの方に出会いました。どこかのタイミングというよりは、ライブを重ねていくうちにだんだんと「もっと活動をがんばりたい」と思うようになりました。
KARIN デスラビはBUCHOがいるし、曲も一般的なアイドルソングに比べると変わってますよね。だからほかのアイドルさんと対バンしたとき、「やっぱりデスラビの曲ってすごいんだ」と感じて、DESURABITTSを誇りに思うようになりました。2014年の「YATSUI FESTIVAL!」(エレキコミック・やついいちろうが企画する音楽フェス)のあたりかな。デスラビがまだ右肩上がりだったとき(笑)。当時デスラビっぽいラウドロック系のグループがそこまでなかったから、ほかと違う感じがしていいなって。
ともに過ごしたメンバーの成長
──この7年で皆さんの身長も伸びましたね。
YUZU 周りはそうですね。私は大学3年生になるんですけど、中1の頃から1、2cmしか伸びてないです。
──結成時に一番背の低かったEMIさんに抜かれるという。
YUZU もう切ないですよ!(笑) EMIちゃんは私の肩ぐらいの位置に頭があったのに気付いたら……。
EMI 頭1個分くらい逆に違うよね(笑)。
YUZU いつの間にか私がチビキャラになっちゃった(笑)。
BUCHO BUCHOは横に伸びました。加齢とともに体積が増えまして、だんだんとステージングが厳しくなりました。成長というより加齢ですね。
──成長と加齢を共にした4人ですが、活動を重ねるうちにそれぞれの個性も魅力になっていきます。歌の上手なEMIさんにダンスが得意なYUZUさん、おっとりしつつも核心を突いた発言をするKARINさんと。
YUZU EMIちゃんは出会ったときから歌がうまかったし、大人になっていくにつれてさらにうまくなっていてびっくりします。レコーディングでも「またうまくなったな」って思うし。昔はYUZUとBUCHOが基本的にしゃべって、EMIちゃんとKARINはあんまりしゃべれなかったんです。2人とも自分のことをいっぱいしゃべるようになったし、EMIちゃんに関しては周りのこともよく見ていてすごいなーっていつも思います。
EMI いいインタビューだね、褒められて(笑)。
YUZU (笑)。KARINに関してはやっぱりこのキャラクターですよ。変わらない部分は本当に変わらないけど、いろんなことを考えるようになった。帰り道の電車がずっと一緒なので、帰り道でいっぱいしゃべるんですけど、ライブについて、曲についてといろんなことを考えるようになったので、2人とも成長したなあと思います。
EMI あと、かりこはたくさん考えてるんだなって最近すごく思う。おっとりしてるけど、芯がある。最近はその芯の部分が際立っていて、すごく素敵な1人の女性だなって思います。なんかBUCHOみたいな発言しちゃった(笑)。
──YUZUさんについては?
EMI YUZUちゃんはダンスが上手なのはもちろんなんですけど、しゃべりも上手なんですよ。私はYUZUちゃんのダンスをマネするとか、勝手にいろいろ吸収させてもらってたし、トークの部分でもいろんな場面で助けてもらいました(笑)。ありがとうございました。
YUZU 謝謝!
KARIN YUZUちゃんとは小3のときに出会ったんですけど、今では性格が丸くなりました(笑)。
EMI EMIとKARINから見たYUZUちゃんの第一印象は「怖い」ですからね(笑)。
YUZU 失礼な話ですよね!
EMI この人を敵に回したらヤバいだろうなみたいな、ガキ大将っぽさが(笑)。今はもうまんまるで、何を言っても怒らない。
KARIN YUZUちゃんはすごく大人になったなって本当に思う。スタッフさんにもトゲトゲ行くような感じだったから。当時は当時でそういうふうに強く切り込めてすごいと思ってたんですけど、今では冷静に意見してるなって。
EMI 昔は何も言えないEMIとKARINの意見をYUZUちゃんが代弁してくれてたのもあったから。そのせいでトゲトゲ感が強かったのかもしれないね。
YUZU 昔、大人嫌いだったんですよ。でも年齢を重ねて自分も大人になっていくし、やっぱり1人ひとりが幸せなら、その幸せが周りに波及するじゃないですか。
EMI 本当に丸くなったね。
──ライブではBUCHOに対してご立腹な姿勢を見せることも多かったですよね?
YUZU あれは演出です(笑)。“BUCHO対3人”っていう見せ方だったからステージではバチバチしてました。BUCHOが精神年齢をうちらに合わせてくれてるのか、もともと低いのかわかんないですけど、4人でなんでも話せる感じだったので、その部分でもいろいろと救われてました。
EMI 意外と仲よかったよね(笑)。
YUZU そうそう。みんなが思っている以上にBUCHOとも仲がいいんです。
音楽にも茶番にも全力
──DESURABBITSではいろんな施策がありました。ラーメン付きCDや、アイドル界の闇に迫る創作マンガでのプチ炎上、最後のライブに見せかけたワンマンライブ「ラストライブw」での盛大な茶番、ライブを盛り上げるサクラ募集、他界したファンを呼び戻すための割引チケット……などなど枚挙にいとまがなく。
YUZU DESURABBITSの信条として、「“笑劇”のパフォーマンスをお届けする」というのが私たちのコアだったんですよね。
BUCHO そう。すべてがエンタテインメントという思考のもとで動いてました。でもそれを違う解釈で受け取る方もいらっしゃいました。うまくケアできてなかったのかなと思う部分もありつつ、ケアするとアートとして成立しない。そういう葛藤はありました。
YUZU DESURABBITSでの活動を通して、いろんな人の考え方を学べました。ライブのサクラ募集とかいろんなキャンペーンは面白かったです(笑)。
EMI あー、地蔵キャンペーンとかあったね!
YUZU フロアに声援禁止の地蔵ゾーン、撮影OKのカメコゾーン、現場を離れた方の出戻りを歓迎する他界ゾーンとかを作って。他界ゾーンをきっかけに戻って来てくれた方もいたんですよ。懐かしいファンの方々にまた会いたいので、解散ライブでも他界ゾーンを作りたいなって思っちゃうぐらい。
EMI ガチ恋ゾーンもあったけど、当時1人くらいしかいなかったよね(笑)。フロア最前に他界さんとガチ恋さんが共存してる状況はカオスでした。
BUCHO ここまで茶番が組み込まれているのは我々だけのはずです。アンダーグラウンドのライブアイドルとしてコツコツがんばりながら、本気で笑いと音楽の融合を目指していました。MCの茶番でも演出家の方や、演技指導の方を迎えて練習してましたから。
──そのコンセプトがいろんな企画につながり、YouTubeでひたすら食レポをしている時期もありました。音楽以外に力を入れている状況に“迷走”と言われるようなこともあったかと思いますが、そのあたりはどのように振り返りますか?
YUZU 結局そう言われてた時期って、リリースとかワンマンライブがなかったんですよね。だからこそ迷走と思う人がいたと思うんですけど、その時期に初めて台湾にライブで行かせていただけましたし、いろいろ経験しましたよ。私は台湾のライブがきっかけで、ライブをより好きになったくらいなので、迷走と言われる時期もまったく無駄ではなくて、停滞感はなかったかな。それぞれのスキルを磨く時間にもできたし。
EMI でも方向性をどこに向けようかみたいなところでは、迷いはあったと思うんですよ。いろんなことを面白くしようとしすぎちゃって、向かうところがブレるような時期が確かにありました。それもまた経験だったし、うまくいかないことがあったからこそ成長できた部分もあって。今だから言えるんですけど、きっと必要な時間だったんだろうなって思います。
KARIN 活動に関して迷いはなかったよね。ライブはいつだって楽しいし。ただリリースがない時期は新しい衣装に早く変わらないかな、と思ってました(笑)。
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思春期、反抗期、酒で荒れたBUCHO