“TENJIN NEO CITY POP”を掲げた福岡発の4人組バンド・Deep Sea Diving Clubが新曲「Left Alone feat. 土岐麻子」を配信リリースした。
今年3月に1stフルアルバム「Let's Go! DSDC!」を発表した彼らは、ソウル、ロック、R&B、ジャズ、ファンク、ヒップホップなどを生々しいバンドサウンドに昇華し、大きな注目を浴びた。土岐麻子をフィーチャーした「Left Alone feat. 土岐麻子」は、“最新型のシティポップ”と称するにふさわしい楽曲に仕上がっている。
音楽ナタリー初登場となる今回は、バンドの成り立ち、1stアルバム「Let's Go! DSDC!」の手応えや、彼らにとって新機軸となる新曲の制作プロセスなどについて聞いた。
取材・文 / 森朋之撮影 / 前田立
影響を与え合うバラバラの4人
──まずはバンドの成り立ちから聞かせてください。Deep Sea Diving Clubの活動スタートは2019年ですが、メンバーの皆さんはどうやって集まったんですか?
谷颯太(G, Vo) 自分とドラムの出原、ベースの鳥飼は福岡のミュージックバーで働いていた同僚なんです。
鳥飼悟志(B, Cho) お店はけっこうおしゃれなんですけど、働いている人は……。
谷 ナードばっかり(笑)。お客さんがいないときは店を閉めて、朝までセッションすることもありました。出原と鳥飼は高校時代から一緒にバンドをやっていたみたいで。
出原昌平(Dr, Cho) ジミヘンとかスティーヴィー・ワンダー、Sly&The Family Stoneなんかをカバーしてたんですよ。
谷 おっかない高校生だな(笑)。
──そういう渋い趣味の10代は、福岡なら当たり前にいたりするんですか?
谷 いや、かなりレアだと思いますよ。
出原 同世代で音楽の趣味が似てる人はほとんどいませんでしたね。
鳥飼 なので、年上のオッチャンたちに遊んでもらってました(笑)。
谷 福岡は音楽好きな人が多い街なので。ギターの大井ちゃんは山口県下関市の出身で、福岡に出てきたんですよ。
大井隆寛(G, Cho) 大学を卒業して、就職先が福岡だったんです。バンドをやりたかったんですけど、音楽をやってる知り合いがいなかったから、片っ端からセッションバーやライブハウスに行って、いろんな人に紹介してもらって。
谷 すごい行動力だよね。自分がDJをやってたイベントで知り合ったんですけど、複数の人から「大井をお前に紹介しようと思ってた」と言われて。ガッツのある若者がいるぞって(笑)。
大井 いろんな店で弾いていたので(笑)。いきなりバンドに入るよりも、いろんな人に演奏を聴いてもらったほうがいいと思ってたんですよ。1年半くらい、カフェでギターを弾かせてもらったこともあって。「枯葉」をボサノバっぽいアレンジで演奏したり。
谷 大井ちゃんのギター、すごくよくて。声をかけて、しばらく自分と大井ちゃんの2人でライブをやってたんです。そのあと、鳥飼と出原が「一緒にやりたい」と連絡をくれて、このバンドが始まりました。
──なるほど。メンバーの皆さんの音楽的なルーツはどんな感じなんですか?
谷 いろいろ聴きますけど、どちらかというと邦楽が多いかな。日本のロックバンドを聴いて育って、歌謡曲やシティポップも好きで。洋楽だったらOasis、Green Dayとか。親父がメタル好きだったから、AnthraxやMetallicaも聴いてました。最近だとThe 1975。サマソニで観て、めちゃくちゃ踊りました(笑)。
鳥飼 僕はSly & the Family Stoneがきっかけでベースを弾き始めました。最初はノリでやってただけで、本当にすごいと思うようになったのは最近ですけどね。
出原 高校のときにたまたまブラックミュージックを友達が聴かせてくれたんですけど、そのときに「クールだな」という感覚を覚えて。僕もこういうドラムをプレイしたいなと思って、1人で練習し始めて、すぐ「スタジオミュージシャンになろう」と決めたんです。卒業後は専門学校に行きました。
鳥飼 大井ちゃんは最初、クラシックギターでしょ?
大井 家にアコギがあってなんとなく弾いてたら、親がギター教室を勧めてくれて。なぜか「がんばって練習したら、エレキギターの音が出るはずだ」と思い込んでたんですよ(笑)。調べてみたら「エレキとクラシックギターは違う」ということがわかって、エレキを買って。最初はブルース、そのあとはジョン・メイヤーやディアンジェロを聴くようになって、プレイもそっち寄りになってきました。
──音楽的嗜好が微妙に違うんですね。バンドを始めたときは、どんな音楽性をイメージしていたんですか?
谷 Deep Sea Diving Clubを始める前にいくつかバンドやユニットをやっていて。そのときに作ったオリジナル曲をこの4人でセッションするところからですね。ジャンルの話とかはしてなくて、みんなで音を出して、アレンジして。それが楽しかったし、そのおかげで“ジャンルレスなバンド”と言ってもらえるようになったのかなと。全員の趣味がバラバラだし、「ジャンルを決めてしまうと、あとできつくなるかもね」と話してたんですよ。最初は本当にバラバラだったんですけど、少しずつバンドとしてまとまってきました。
──谷さんのオリジナル曲をセッションしたのが起点だったと。メンバーの皆さんは谷さんの曲に対してどんな印象を持ってたんですか?
大井 最初に聴いたときは歌謡っぽいなと思いました。メロディも歌詞も独特というか、キャッチーなところと叙情的で切ないところが両方あって。
谷 ……こういう話、初めてですね。恥ずい(笑)。そういえば最初の頃、「いい曲」って言ってくれてたんですよ。
大井 今も「いいメロディだな」って思うけど、恥ずかしくて言えない(笑)。
鳥飼 言えよ(笑)。谷の曲はフォークっぽいというか、ゆったり歌い上げる印象でしたね。今とは歌い方が少し違うんですけど、力強く歌うのは変わっていないし、そこはこのバンドの強みなのかなと。
出原 僕は最初、けっこう嫌いだったんですよ。
谷 だろうな(笑)。
出原 その頃は「自分の好きな音楽こそが至高」みたいな極端な考え方だったんで。でも、このメンバーでセッションしているうちに、だんだんいいところが見つかって。今は「演奏してみないとわからない」というのが前提だし、「とりあえずやってみよう」と思えるようになったのも、彼のおかげですね。
谷 自分もメンバーからかなり影響を受けていて。それまで聴いてなかった音楽を教えてもらったり、音楽理論やコードのことを含めて、かなり考え方の幅が広がりましたね。
──お互いに影響を与え合っていると。
出原 そうですね。最近はすごくいい関係性です(笑)。
全員がリーダー
──そして今年3月に1stフルアルバム「Let's Go! DSDC!」をリリースしました。「フラッシュバック'82 feat. Rin音」「SUNSET CHEEKS feat. Michael Kaneko」「Just Dance feat. kiki vivi lily」など幅広いジャンルの楽曲が収められていますが、バンドにとってはどんな作品と言えますか?
谷 出原がプロデューサー的な役割をやってくれたんですよ。
出原 (立ち上がって)どうも。
鳥飼 やめろ(笑)。
出原 当初はガッツリしたコンセプトアルバムを構想してたんですよ。でもスタッフの皆さんと話す中で、「いろんなタイプの楽曲を聴かせたほうがいい」ということになって。
谷 その話も初めて聞いた(笑)。既存曲のほかに新曲もかなり入ってるんですけど、そこも出原がうまくコントロールしてくれて。トレンドを意識したり、あえて逆張り的なアプローチをしたり。自分たちの集大成であり、新しいところも見せられたアルバムだと思いますね。曲順を決めるのはかなり大変でしたけど。
──曲ごとのテイストがかなり違いますからね。
谷 そうなんですよ。アナログレコードが好きなので、アルバム全体を2枚組のLPだと考えて、4曲ずつに分けて。その中で曲順を決めたらうまくまとまりました。あと、4人全員が曲を提示するというやり方が本格的に始動したのも、このアルバムなんですよ。
──自分以外のメンバーが作ったメロディを歌うのはどうでした?
谷 カバーというか、楽曲提供してもらってる感覚もありましたね。「自分だったらそっちにいかないな」というメロディもあるし、その分、幅も広がって。
大井 制作中は「こんなにバラバラで大丈夫かな」と思っていたんですけど、全部を通して聴くと、しっかり一貫性が取れているというか、筋が通ってる感じがして。
出原 うん、そこはポイントだったと思う。
鳥飼 確かにいろんな曲があるんだけど、4人で演奏すればDeep Sea Diving Clubの音楽になるというか。
谷 最近わかったことですね、それは。
──アレンジやサウンドメイクはどうやって進めているんですか?
谷 曲を作った人がイニシアチブを取ることが多いですね。
鳥飼 リーダーは決めてないんですけど、作曲者がその都度リーダーシップを取るっていう。それを全員が体験できたのもよかったですね。
谷 ほかのパートのことも考えて。
鳥飼 うん。それはアルバム後の制作にもつながっていると思います。
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土岐麻子さんは本当に神でした