映画監督の松居大悟がクリープハイプの楽曲「ナイトオンザプラネット」からインスパイアを受けて制作した映画「ちょっと思い出しただけ」が劇場公開された。
「ちょっと思い出しただけ」は、クリープハイプ・尾崎世界観の10年来の朋友である松居が、脚本を一から練り上げたオリジナル作。松居にとっては初の本格ラブストーリーだが、年に1度訪れる“ある1日”だけを過去へと遡っていくことにより、何気ない日常がいかにかけがえのない「奇跡」であるかを訴えかける、一筋縄ではいかない内容に仕上がっている。主演を務めるのは池松壮亮と伊藤沙莉。池松もまた、尾崎や松居とともに青春時代を過ごした同志であり、本作に対する2人の並々ならぬ思いをスクリーンの中で見事に体現している。
言うまでもなく「ナイトオンザプラネット」というタイトルは、「パターソン」や「コーヒー&シガレッツ」などで知られるジム・ジャームッシュ監督の「ナイト・オン・ザ・プラネット」が由来。映画史に残る作品を数多く生み出してきたジャームッシュは、3人にとってどのような存在なのか。それぞれのジャームッシュ論から「ちょっと思い出しただけ」の制作エピソードまで、尾崎、池松、松居の3人にざっくばらんに語り合ってもらった。
また特集の後半には「ちょっと思い出しただけ」を観た空音、にしな、ほしのディスコ(パーパー)、谷中敦(東京スカパラダイスオーケストラ)、WurtSからのコメントも掲載する。
取材・文 / 黒田隆憲撮影 / YURIE PEPE
それぞれが覚悟を持って
──「ちょっと思い出しただけ」の制作は、尾崎さんができたばかりのクリープハイプの新曲「ナイトオンザプラネット」を松居監督に送ったことがきっかけで始まったとお聞きしました。尾崎さんと松居監督は10年来の仲と聞いていますが、新曲を送ることはよくあるのでしょうか?
松居大悟 尾崎くんから「この曲どうかな?」みたいな感じでデモが送られてくることはこれまでもときどきあったのですが、今回は「松居くんと“作りたい”曲がようやくできた」というコメントとともに曲が送られてきて。今までは曲をもらったらそこからミュージックビデオか短編映画を作るという流れだったんですが、彼がジム・ジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プラネット」を観てバンドをやろうと思ったというエピソードを以前から聞いていたので、その映画のタイトルを曲名に持ってくる重みと言いますか、並々ならぬ覚悟のようなものを今回は感じたんです。だったら僕も、覚悟を持ってそれに応えなければと。そう思ったときに「これはミュージックビデオではなく映画のエンドロールに流れる楽曲として考えたい」という気持ちが沸々と湧いてきて、尾崎くんに「一旦預からせてほしい」と返事をしたのを覚えています。
尾崎世界観 送ったのは、レコーディングが終わってすぐでした。「これは松居くんが好きそうだな」と思ったので。2020年になってライブが延期になり始め、本来はいるはずのない時間に家にいることがすごく不思議な感覚だったんです。ふとライブをやるはずだった時間帯に曲を作ってみようと思ってできたのが、この「ナイトオンザプラネット」という曲でした。作り始めた瞬間から「これは大事な曲になる」と確信したので、今まで以上に慎重にアレンジを進めていきましたね。
──これまでのクリープハイプの楽曲とは、またテイストが違いますよね。
尾崎 今までであれば「もっとキャッチーなものを」「派手な要素を」と思ってさまざまな音やフレーズを足していたところをぐっと堪えて、なるべく音数を減らしてメロディを生かすようなアレンジを心がけました。さらに、歌うのではなく語るようにメロディをつなげることにも挑戦したりと、自由で縛られない方法を試しながら、歌詞も含めて何度も作り直しました。
──ミニマルなアレンジとファンキーなワウギターは、例えば「Small Talk」(1974年)の頃のSly & the Family Stoneにも通じるものがあると個人的には思いました。
尾崎 ギターロックっぽい感じに絡めとられてしまうのは不本意だったし、少なくとも、自分はギターを弾かないと決断しました。サウンド面でも、例えばキーを少し下げて、今まで使っていなかった声の要素を出してみようと試行錯誤して。あまりにも今までと違う路線だったので「本当にこれで大丈夫かな?」「せっかく曲を作ったのにこれでダメだったらどうしよう」という不安もあったのですが、初めてライブで披露したときの反応をSNSで見て「ちゃんと届いた」と安心できました(参照:「クリープハイプの日」に新旧織り交ぜた全23曲を演奏、映画主題歌の新曲も初披露)。
──池松さんはクリープハイプの「ナイトオンザプラネット」を初めて聴いたときにどんな感想を持ちましたか?
池松壮亮 音楽については専門じゃないので素人感想ですけども、ものすごい感動しました。尾崎さんの楽曲をずっと聴いてきたからこそなのかもしれませんが、それを差し引いてもこれは素晴らしい曲だなと。パーソナルな感情を歌っていながら、普遍的な力も持っている。なんか曲自身から人生を感じるようなエモーショナルと温かみを感じます。松居さんがこの曲を聴いて「これだ!」と思ったのはよくわかります。そもそも主題歌ありきで映画が作られるのは滅多にないことです。
松居 確かにそうだね。
池松 その順番をひっくり返してしまうような力が、この「ナイトオンザプラネット」にはあるなと思いました。
ジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プラネット」について
──先ほど松居さんが、尾崎さんはジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プラネット」を観てバンドを始めたとおっしゃっていましたが、どんな思い入れがあるのでしょうか。
尾崎 初めて「ナイト・オン・ザ・プラネット」に出会ったのは高校生の頃で、当時はちょっと背伸びをして観た記憶があります。それでも自分にぴったりとハマるというか、寄り添ってくれるような感覚があって。当時から周囲に合わせるのが好きじゃなくて、かといって誰ともつながりたくないわけでもない。自分でも自分のことを把握しきれていない状態だったんですけど、そんなモヤモヤを「ナイト・オン・ザ・プラネット」が映画という手段で形にしてくれたような気がしたんです。
──なるほど。
尾崎 「ナイト・オン・ザ・プラネット」は音楽映画ではないけれど、それでも「言葉にできないことを形にする」という、自分が音楽でやりたいことの理想と重なったんですよね。登場人物が言葉のやりとりをしているのを観て「人に会いたい」「つながりたい」と思った。それまではずっと1人で弾き語りをしていたんですけど、人とつながるならやっぱりバンドだと思って。そういう気持ちになれたのは「ナイト・オン・ザ・プラネット」のおかげなんです。
──池松さんと松居監督にとっても、やはりジャームッシュは特別な存在ですか?
池松 ジャームッシュは今日映画に携わっていれば避けては通れない存在だと思います。映画史に残るもっとも偉大な監督の1人です。この映画に出演することになって、ひさしぶりにジャームッシュ作品をすべて観直したのですが、「ナイト・オン・ザ・プラネット」は学生の頃に観たときよりも、5年前に観たときよりも、その素晴らしさが増して感じられたんです。弱者と弱者をタクシーという閉ざされた、けれども窓から広がる世界の中で緩やかに、団結させていきます。非常に実験的で非商業主義なことを、ポップかつスマートにそして何より素敵にやり遂げていて、ひさしぶりに観直してなお唸りました。
松居 僕はこの映画を大学生の頃に観ていますが、非常に力の抜けたストーリーで、特殊なカット割りなどせずオーソドックスに撮っているのが印象的でした。「これなら俺でも撮れるんじゃないかな」と思ったんですよ、恐れ多くも(笑)。もちろんそんな簡単に作れるはずがないんですけど、「俺にもできるかも」と思わせるのって、とても意味があるし、すごいことなんですよね。
ジャームッシュ組・永瀬正敏からもらった言葉
──「ちょっと思い出しただけ」がとりわけユニークなのは、1年に1度訪れる“ある1日”だけをどんどん遡っていくところです。主人公の照生(池松)と葉(伊藤沙莉)が別れた状態で物語が始まって、最終的には2人が出会う前までさかのぼるという。こういった構成はどんなアイデアから生まれたのでしょうか?
松居 エンドロールでクリープハイプの「ナイトオンザプラネット」がかかるラブストーリーにしようと決めて、そこから考えていったときに、ジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プラネット」が、同じ時間帯にまったく違う国のタクシー内で起きた出来事を並べていたという大前提にたどり着いて。とはいえ、コロナ禍であちこち移動することは難しいので撮影はきっと東京近郊になる。それならば舞台は同じ場所にして、そこで起こったさまざまな時間の出来事を描いたらどうだろうとひらめいたんです。横軸を縦軸にして、定点観測のお話にしたら面白くなりそうだと思った。でも、ただ時間軸が順行だと「男女が出会って別れていく」という、単に悲しい話になりそうだったので「だったら時間を逆行してみよう」と。1年かけて半ば強引にアイデアを引っ張り出した感じでした(笑)。
──時間をさかのぼることによって、何気ない日常がいかにかけがえのない「奇跡」であるかが浮き彫りになっていますよね。そんな逆行する時間軸に対して、永瀬正敏さん演じるジュンだけ順行しているのも不思議でした。
松居 映画は照生と葉が別れたところから始まるし、ほかにも國村隼さん演じるバーのマスターなどいろいろな人の恋愛模様が描かれるのですが、その中で誰か1人、愛を貫くキャラクターを置きたかったんです。愛を貫く人は、僕らが作り上げたこの物語の構造すら逸脱した存在として描きたいなと。それでジュンだけ時間の流れを逆にして「未来の世界で妻を待つ」という設定にしてみました。
──永瀬さんといえば「ミステリー・トレイン」「パターソン」に出演するジャームッシュ組の一員ですが、本作に出演するにあたって何か言っていましたか?
松居 永瀬さんはジャームッシュのことを「ジム」と呼んでいらっしゃるのですが、「ジムは日本が大好きで、本当は『ナイト・オン・ザ・プラネット』でも東京のエピソードを描きたかったけど、夜のパリやヘルシンキを舞台にしたあの映画の設定だと、日本は昼間になってしまうから入れられなかったらしい」という話をしてくださって。
池松 「本当は東京でも撮りたかった」とジャームッシュは永瀬さんに話していたそうです。
松居 そう。「だからこの映画がジムに向けた、『ナイト・オン・ザ・プラネット~東京編~』になったらいいね」と永瀬さんに言っていただきました。
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タクシー内という独特の空間の面白さ