ナタリー PowerPush - カラーボトル
僕らにあるのは雑草魂 震災を経て「COLOR BOTTLE」完成
2004年の結成以降、魂を揺さぶるアグレッシブなロックサウンドを発表し続けてきたカラーボトル。昨年は自主レーベルを立ち上げ、ベーシストの脱退で3人体制になるなど、彼らにとって大きな変化が訪れた1年だった。そして、東北地方に大きな打撃をもたらした3月11日の東日本大震災は、仙台出身の彼らにとってバンドの未来や個々の人生観をも大きく揺るがす出来事となった。
ナタリーでは今回、そんなカラーボトルの震災後初音源となるセルフタイトルアルバム「COLOR BOTTLE」に注目。今作は震災を経て感じた思いが凝縮された1枚ということで、制作秘話や激動の2011年について話を訊くべく、彼らの地元・仙台でインタビューを敢行した。震災を境に、彼らはどう変わったのか。メンバー3人にじっくり語ってもらった。
取材・文 / 川倉由起子
泣きそうになりながら取材を受けた
──今日は皆さんの地元・仙台に対する思いなども含めながら、お話を伺っていきたいと思います。ちなみに地元での取材となると、心構えや心境は違うものですか?
渡辺アキラ(G) 今回のアルバムは特に震災の話を避けては通れないところがあるので……例えば地元のラジオに出演したときは、DJの方と同じ温度感、同じ感覚で話ができて。感慨深いものはありましたね。
大川“Z”純司(Dr) あと、地元のラジオだと震災で実際に被害を受けた人たちも多く聴いてるので、今回はそういう方々にどう伝えたらいいかっていうのをすごく考えました。他県だと、まずこういうことがあって……って知ってもらうところから話すと思うんですが。そういう意識の違いはあったかな。
竹森マサユキ(Vo) そうだね。僕も今回はやっぱりちょっと違って、同じ境遇の皆さんと「日本を明るくしよう、仙台を元気にしていこう」って気持ちを共有できたように思います。地元だとそういう意識が改めて強くなる気がして。みんな仕事や役割は違うけど仲間なんだな、って思って、泣きそうになりながら取材を受けることもありました。
震災で制作が一旦ストップ
──では、ここからは早速ニューアルバム「COLOR BOTTLE」について訊かせてください。まず、制作の第一歩はどんなところから始まったんですか?
竹森 曲作りは、昨年1月からデモを作って歌詞を書いて、ライブでもどんどん演奏して……っていう流れだったんですが、3月の震災で制作が一旦ストップして。同時に、そのとき持ってたテーマを一回止めて、今の日本に必要なメッセージはなんなのかを一度考え直そうということになったんです。でも、そこでまず僕はすごく悩んで。思うように歌詞が出てこなかったり、浮き足だった言葉ばかりが出てたりして、どうしたらいいんだろうって戸惑う時期が結構続きましたね。
──皆さんは仙台出身ということもあり、本当にいろいろな思いが心を駆けめぐったかと思います。
竹森 僕は曲が書けなくて、ラーメン屋さんで「もうダメだー」って昼間からビールを飲んだりしました。ギター持っても弾いてる感じがしないとか、集中して向かえないっていうこともありましたね。震災後は、少しずつ環境が整備され始めた4月にようやく被災地に行けたんですけど、それまでは1日も早く駆け付けたいっていう気持ちでいっぱいで。マネージャーさんに「いつ行けるんですか? 早く行きましょうよ!」って詰め寄ったりもしました。
渡辺 当初は家族とも連絡が取れなかったり、沿岸部はほとんど電気が通ってないって話を聞いたりして。本当に気が気じゃなかったんですよ。
──震災後、実際に被災地で皆さんが見た景色はどのようなものだったんですか?
大川 僕は宮城県の山元町というところが地元なんですが、実家が津波で流されてしまったんです。家族は無事だったし、「何もなくなったよ」って聞いてて覚悟もそれなりにはしてたんですけど……実際そこを訪れると何を考えていいのかもわからなくて。もちろんすごくショックだけど、だからといって涙が出るわけでもなく。この道がここにあるから、うちはこの辺かな?って想像ができたくらい。今まで味わったことのない感情でしたね。
魂を音に乗せて届けたい
──被災地では、避難所を回って物資を届けたりライブをしたりしたそうですね。
竹森 すごく不思議だったんですが、被災した皆さんと直接話をしていると僕たちのほうが逆にパワーをもらえるんです。すごくパワフルというか、「家がなくなってどうしようもないけど、じゃあこれからどうしよう?」って、既に気持ちを切り替えられてる人も多くて。一歩踏み出して明日へ向かっている前向きな姿勢が、すごく印象的でしたね。
大川 避難所でのライブは、「こういうところで自分たちが音楽をやっていいのかな」っていう葛藤や不安も最初はあって。決して音楽が好きな人だけじゃないし、疲れてる人もいるだろうし、不快に思う人もいるだろうしって思ってたんです。
──確かにそうですよね。
大川 でもそんな中で、自分たちができる精一杯の音楽を届けられて。最後に気仙沼の体育館でライブをしたとき、いろいろな方々と話をしたんですけど、あるおばあちゃんが「物資を届けてくれるのもうれしいけど、こうして音楽を届けてくれるのはもっとうれしいんだよ」って言ってくれたのが僕はすごく印象的で。そういう人たちのために自分たちはいるのかな、とか。音楽の力、音楽をやっていく意味がそこに見えた気がしたんです。音楽って別になくても命にかかわるものじゃないじゃないけど、人の心を救うことはできるのかもなって。
竹森 無我夢中でライブをやったあと、無表情だったおばあちゃんたちがすごく笑顔になってくれり、逆に元気な漁師のおじさんたちが涙をポロポロ流してくれてるのを見たとき、僕も改めて音楽の力を感じました。人間の表情の裏側にある気持ちっていうか、それを引っ張り出して浄化して、さらに前に進む力を与えてあげられる力を持ってるのかなって。だから僕は、言葉を、魂を音に乗せて届けなきゃ、っていう責任感のようなものも強く感じました。
カラーボトル
2004年1月、仙台にて結成。同年12月にバンドオーディション全国大会に北海道・東北代表として出場し、準グランプリを獲得する。2007年6月に「彩色メモリー」でメジャーデビュー。2011年2月、自らのレーベル「SUPER SOUL COMPANY」を発足し、ミニアルバム「情熱のうた」をリリース。表題曲である「情熱のうた」はbjリーグ復興支援ゲームのテーマソングに。同アルバムの収録曲「走る人」は味の素(R)TV-CFソングに現在も使用されている。ボーカル竹森マサユキの絞り出すような歌声が、多くのロックファンの支持を受けている。2012年2月にはセルフタイトルアルバム「COLOR BOTTLE」を発表。東日本大震災を経て得た経験と、音楽への思いが詰まった作品に仕上がっている。