小玉ひかり「ドラマチックに恋したい」でメジャーデビュー!元気を与えるシンガーでありたい、今の彼女を作ったもの

ミュージックレインに新設された音楽マネジメントチーム・MiCLOVER所属のシンガーソングライター、小玉ひかりがメジャーデビューシングル「ドラマチックに恋したい」でメジャーデビューを果たした。

表題曲は現在放送中のテレビアニメ「カノジョも彼女」Season2のオープニングテーマとして書き下ろされたカラフルなポップナンバー。カップリングには「今夜君に、」「淡雪」というカラーの異なる2曲も収録したデビュー作には、恋愛が1つのテーマとして編み込まれたシングルとなっている。

この特集では、14歳のときに本格的に音楽活動をスタートさせた小玉が、メジャーデビューに至るまでに歩んできた音楽人生を振り返りつつ、新たな一歩となるメジャーデビューシングルについてじっくりと話を聞いていく。

取材・文 / もりひでゆき撮影 / はぎひさこ

カツラを被って芸能活動

──小玉さんがシンガーソングライターを志すようになったのにはどんなきっかけがあったんですか?

4歳の頃からクラシックピアノを習っていたので、音楽が好きだという自覚はずっとあったんですけど、シンガーソングライターになりたいと思ったのは小学校2年生のときでした。きっかけはテレビの音楽番組で観たアンジェラ・アキさん。それまでの私は歌手という存在は認識していたけど、自分で作った曲を自分で歌う人がいることをそのときに初めて知ったんです。「自分で作ったメロディ、自分で紡いだ言葉だからこそ、こんなにもグッとくる歌になるんだな」ということを幼心にすごく感じて。それ以降、自分の夢がシンガーソングライターになりました。小学校の卒業アルバムにも「シンガーソングライターになってみんなを笑顔にする!」って書きましたからね(笑)。いろいろなことに対して飽き性なタイプですけど、その夢があったから音楽だけはずっと続けることができたんだと思います。

小玉ひかり

──そこからすぐにソングライティングを始めたんですか?

はい。ピアノを使って即興の歌を作るようになって、それをお母さんに聴いてもらったりしていました。最近、実家に帰ったときに小学生の頃の文字で音符と歌詞が書いてある音楽ノートを発掘したんですけど、それは「ともだち」というタイトルの曲でした(笑)。ただ、その頃は本格的に作曲していたわけではなくて。しっかり弾き語りで作曲し始めたのは中学に入ってからです。

──ご自身の音楽性に影響を与えているルーツはどのあたりになるんでしょうか?

ルーツでいうと、父の影響でずっと聴いてきたサザンオールスターズさんとThe Beatlesは自分の根底にある音楽だと思います。自分で選んで聴いてきた音楽で言うと平成のJ-POPシーンを作り上げてきた方々、絢香さんやMr.Childrenさん、コブクロさんが大大大好きで。そこからの影響はすごく大きく受けていると思いますね。

──高橋優さんもお好きだと伺ったのですが。

そうなんです! いろんな音楽を聴いてきましたけど、1人の方にめちゃくちゃハマることはあまりなかったんですよ。でも高橋優さんは中学時代にめちゃくちゃ好きになって、すごく意識していたと思います。高橋優さんのような社会風刺というか、穿った思考で世間に訴える歌が作りたくて、ダークな曲ばかり書いていたこともありました(笑)。ただ、そういったタイプの曲は自分にはあまり合っていないことに気付いて、いろいろ模索していく中で今の“小玉ひかり像”が作られていったような気がします。今もまだ模索中ではありますが。

──中学生になってから音楽活動を本格化されていったんですか?

はい。中学3年生の冬に初めてオーディションを受けて、そこから3年ほど事務所に所属しました。でも、校則が厳しい高校に通っていたので、表立った芸能活動ができなかったんですよ。なので、その頃はカツラを被ったりしながらライブをしてました(笑)。先生たちに気付かれないように。

──YouTubeにアップされている初期の映像は顔がほぼ見えないように撮られていますもんね。

そうそう。ライブ映像やオリジナル曲を上げたりしていたんですけど、すごく遠くから撮っているものだったり、あとは私が登場しないリリックビデオだったり。そんな時期を経て、大学に入ってからやっと公にできるようになったので、そこからは精力的に活動をし始めました。

──その時点で見えていた“小玉ひかりらしさ”とはどんなものでしたか?

物事に対する思いをまっすぐに言葉とメロディで伝えるということだと思います。抽象的な表現だったり、小説を読んでいるかのようなストーリー性のある曲も好きなんですけど、自分で書くものに関しては聴き手の心にわかりやすくストンと落ちる歌にしたいんですよ。よく「小玉ひかりは等身大の曲を書くよね」と言われることがあるんですけど、そこは自分でも大事にしていることだと思います。そういう部分は高橋優さんからの影響が大きいのかもしれないですね。

小玉ひかり

人が好きでめちゃくちゃ負けず嫌い

──本格的にソングライティングを始めた頃からの年月を数えると、もうだいぶ時間が経っていますよね。

そうですね。14歳から本格的に活動を始めたので、来年で10年になります。

──その間にご自身の中で芽生えた変化はありましたか?

それはすごくありますね。まず歌い方がだいぶ変わりました。もともと地声がけっこう低いので、高音に苦手意識があったんです。だから自分で作る曲にしても、レンジ的に低くて暗めなものが多かった。でも、大学1年生のときに「ぷらそにか」に参加したことが1つのターニングポイントになったんですよ。

──ぷらそにかは個々に活動しているシンガーソングライターが参加するアコースティックセッションユニットですよね。過去には幾田りらさんやにしなさん、eillさんらが参加されていました。

はい。そこで同世代のミュージシャンのいろいろな個性や豊かな歌声にたくさん触れたことで、自分らしさについてめちゃくちゃ研究するようになったんですよ。その結果、歌声がどんどん変わっていって。それに伴って曲作りに関しても、聴いてくれた方が明るい気持ちになってくれるような雰囲気を主軸にするようになりました。皆さんに元気を与えるシンガーでありたいと強く思うようになったことは、今につながる大きな変化でしたね。

小玉ひかり

──小玉さんはぷらそにか以外にも、オンラインのアカペラサークル・WHITEBOXに参加されていたこともありました。そういった意味では、孤高のシンガーソングライターというよりは、他者との関わりの中で自らの個性や方向性を見出すタイプなのかもしれませんね。

まさにその通りだと思います。私、本当に人が大好きなんですよ(笑)。人とお話しする中で自分のことを理解していく感覚がすごく好き。自分1人だと気付けないことがすごく多いので、いろいろな方と音楽をやる機会に恵まれていた環境が今の小玉ひかりを作ってくれた部分はあるんでしょうね。

──その中で闘争心みたいなものが養われる感覚もあるんですか? 同世代のミュージシャンからいい刺激を受けると同時に、「負けるもんか!」という気持ちに火がついたりとか。

それもあるかも(笑)。めちゃくちゃ負けず嫌いなところがあるので、悔しい思いがバネになることもすごく多いんです。ぷらそにかに参加したばかりの頃は、全然うまく歌えなかったことが悔しくて泣いて帰ることもありました。でも、それで辞めたいという気持ちになることは一切なく、じゃあどうしたらいいんだろうと徹底的に考えるんですよ。負けず嫌いな部分も小玉ひかりの大事な要素なんだと思います(笑)。