4人のキュレーターがそれぞれ話を聞きたい次世代アーティストとトークする「Coming Next Artists」シーズン2の対談企画。第13回ではキュレーターのmabanuaが橋爪ももに、生い立ちや音楽活動を始めたきっかけ、4月17日にリリースされた1stフルアルバム「本音とは醜くも尊い」について話を聞いた。
取材 / 近藤隼人 文 / 酒匂里奈 撮影 / 須田卓馬
- 橋爪もも(ハシヅメモモ)
- 東京都出身の女性シンガーソングライター。高校卒業後に音楽活動を開始した。衣装のロリータ服は自身で制作している。2017年5月に岩手・さわや書店フェザン店で、アーティスト名を伏せて歌手X名義でシングル「文庫Xの歌」を発売。書店店頭のみで約300枚を売り上げて話題を呼んだ。同年10月に1stシングル「願い」で徳間ジャパンコミュニケーションズからメジャーデビュー。2018年3月にはBSテレ東のドラマ「逃亡花」の主題歌として「自由」が起用された。同年6月には1stミニアルバム「夜道」をリリース。2019年4月には1stフルアルバム「本音とは醜くも尊い」を発売した。
怒りに寄り添う
mabanua まずは音楽を始めたきっかけというか、生い立ちから聞いてもいいですか?
橋爪もも あまり具体的には言えないんですけど、幼い頃に身近な大人の理不尽な行いで痛い思いをしたことがあって。でもそれによってやさぐれたりはしなくて、「大人にも悩みや事情があって、こういう行動に出るんだな」と子供ながらに受け止めていました。その幼少期の体験のおかげで、相手が悩んでるときや怒ってるときに反発するのではなく、その人の怒りに寄り添うような考え方ができるようになったと思います。
mabanua そうなんですね。自分にも子供がいて、子供のためを思って叱っているつもりでも、結局自分が大人になりきれていない部分もあると思っていて。でも子供はそんなのわからないじゃないですか。
橋爪 わからないですね。
mabanua それを「大人はこう思ってるんだろう」と考えられていたのはすごいです。
橋爪 「この人はお父さんでもあり、人間でもあるんだ」と生々しく感じてたんですよね。
mabanua 少し語弊があるかもしれないですけど、橋爪さんは今までの境遇を生かしてアーティスト活動をされている感じがして、少しうらやましくも思いました。音楽の道に進む人って、学校を中退して荒れ狂う人か、家庭環境に恵まれて幼い頃から音楽をやっているかの2パターンが多い気がして。橋爪さんはそのどちらでもないですよね。
橋爪 そういう方が多いですよね。私はずっと東京育ちだし、上京されてきた方の熱意とかと比べると「ぬるいのかな」と不安になる時期もありました。
mabanua いやいや(笑)。でも“恵まれてることに対しての罪悪感”みたいなものって、特に今の時代は感じやすいような気がします。
橋爪 確かにすごく感じますね。
ロリータファッションという主張
mabanua 幼少期の経験は、ロリータファッションへ興味を持つきっかけになった部分でもあるんですか?
橋爪 きっかけの1つですね。自分の爆発しそうな思いを発散させるためというか。本屋さんでロリータファッションの本の表紙を見て「あ、これだ」という思いが芽生えたんです。ロリータファッションは目立つ格好ですし、マイノリティではありますけど、意味合いとしてはトレンドの服と変わらないと思っていて。たぶんトレンドの服を着ている方も「こういうふうに見られたい」という主張をしているんですよね。見た目の派手さは違いますけど、何かを主張したくて、武装するようにロリータ服を着ていることには変わりないのかなと思っています。ロリータ服に興味を持つようになって、中学生の頃から独学で服を作り始めて、いずれは服飾の道に進むんだろうなと思っていました。
mabanua 橋爪さんは服飾の学校を卒業されたそうですが、そのときにはもう音楽は始めてたんですか?
橋爪 いえ、そのときはまだ服飾の道しか考えていなくて。音楽や歌うことは好きだったんですけど、自分で曲を作ったり演奏をしたりということは頭になかったです。でも9割服飾に気持ちが向いている中で、1割だけモヤモヤっと「歌が好き」という気持ちがあったんですね。その気持ちがどんどん膨れ上がって「人前で歌ってみたい」に変わったときがあって。通っていた高校が月に一度生徒の自主企画ライブを行う学校だったんです。そのライブで初めて人前で歌って、モヤモヤしていた気持ちが発散できました。これで心置きなく服飾の道に進めると思ったんですけど、高校卒業後にまたモヤモヤしてきて(笑)。
mabanua その1割のモヤモヤは、服を作ることでは発散し切れなかった?
橋爪 そうですね。当時たくさんのアーティストさんの歌詞、言葉に癒されたり、救われたりして服飾に意識を向けられていた部分があって。やっぱり自分にとって音楽が大きいポジションを占めているんだと実感したというか。
mabanua そこからどういう経緯で本格的に音楽を始めたんですか?
橋爪 初めてちゃんとしたステージに立つきっかけになったのは、カラオケです。バイト先のカラオケ店で、酔ったお客様が私に「ちょっと歌ってみてよ」と言ってきて。店長も「歌っちゃいなよ」と言うので「マジか」と思いながらもそこで1曲歌って。そしたらそのお客様が個人でイベントを企画している方で、そのイベントに出演させていただけることになったんです。そのときはカバー曲を2週間練習してステージに立ちました。
mabanua すごいですね。オリジナル曲を書き始めたのはいつ頃から?
橋爪 その2年後くらいだったと思います。カバー曲を歌っているうちに、「声が好き」と言ってくださったり、応援してくださる方も増えてきて。この人たちの気持ちに応えるためにはどうしたらいいんだろうと考えて、オリジナル曲を作るしかないなと思ったんです。挑戦してみたら1曲書けたので、1曲書けるなら2曲3曲書けるはず、と思って続けて作っていきました。
橋爪一家は独自の世界観をつづるアーティストが好き
mabanua 影響を受けたアーティストさんはいますか?
橋爪 父がギターを持っていて、ずっと家でさだまさしさんや南こうせつさんを聴いていて。
mabanua それで資料の好きなアーティスト欄にさだまさしさんが入ってたんだ(笑)。
橋爪 当時は自分でCDを買うお金がなかったので、基本は家で流れているものを耳にしていましたね。さだまさしさん、THE YELLOW MONKEYさん、あと兄が聴いていたTHE BACK HORNさんなど。なぜか橋爪一家は独自の世界観をつづるアーティストさんが好きだったみたいで、そこは根強く影響を受けていますね。
mabanua 歌詞にメッセージ性のあるアーティストが多いですよね。
橋爪 そうですね。
mabanua 橋爪さんの歌の雰囲気や歌詞からは「周りはどうでもいい! 私の内なる思いを!」みたいな印象を受けたのですが、話を伺っていると悩んでる人のことや、周りの人のことをすごく意識されているんですね。
橋爪 自分の幼少期がそんなに晴れやかなものじゃなかったことを考えると、きっと同じような状況の人もいるんだろうなと思っていて。そういう人たちの背中を少しでもさすれるような存在になりたいんです。当時の私も音楽を聴いて救われたので。
mabanua 「がんばれ! がんばれ!」と言われても、「そんなことわかってるよ!」ってなりますよね。
橋爪 そうですね。「がんばってるから疲れちゃったんだよ!」という感じです。
mabanua 歌詞を読ませてもらって、陰、陰、陰ときて、少し陽が見えて最後はまた陰で終わる曲もありますよね。僕は自分と同じ境遇の歌詞に救われることのほうが多いので、好きだなと思いました。
橋爪 ありがとうございます! 精神的、哲学的な表現が多いので、売るほうとしては大変なんだろうなとは思っています(笑)。
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右から左へ聴き流されないために
2019年9月5日更新