ちゃんみなが4作目となるアルバム「Naked」をリリースした。
新作はインパクト大のアートワークに加え、これまで以上にロックのサウンドを取り入れた作風になっているが、実のところ制作に対するそのスタンスは変わっていない。つまり、自身のルーツやコアを見つめ直し、「ちゃんみなとは何者か?」という問いをどこまでも掘り下げているように感じる。「Naked」というタイトルが表す通り、その深度はますます深くなっている。
ちゃんみなはいくつかの曲について、センシティブな内容のため「私もリリースするか迷いました」と語る。なぜ彼女はそこまでむき出しの自分をさらけ出せるのか──今作の制作過程を聞いた。
取材・文 / つやちゃん撮影 / 斎藤大嗣
横浜アリーナワンマンで見せた素顔
──前作「ハレンチ」は、ちゃんみなさんの内面を大きくさらけ出した1枚でした。その後リリースされた「Mirror」などの作品がポップパンク調だったので、なんとなく新しいアルバムは明るい発散系の方向性になると予想していたんです。けれどもまったく違っていて、「Naked」はさらに深く内面に迫る内容となりました。制作にあたり方向性やコンセプトはどう考えていったのでしょうか?
私は今24歳なんですが、20代前半の絶望感やあきらめ、自問自答といったものの繰り返しが積み上がって、今までとは種類の違う自分になってきている実感があるんです。そういった部分を今回のアルバムでは出したかったので、「Naked」というテーマは最初からありました。アルバム用のストックが50曲くらい溜まっていて、「Naked」には古いものだと3年前の曲とかも入っています。ちょうど1年くらい前にNYやLA、韓国に行って、2カ月くらいかけていろんな場所でいろんな人と会って作品を作ってきました。その中には、自分のルーツをもう一度たどって作った曲もあります。
──おっしゃる通り、今作にはご自身のルーツを掘り下げた曲も入っていて生々しい内容になっています。例えばポップスターとして、“ちゃんみな”という別人格をどんどん偶像化させていく活動方法もあると思うんですよ。でも、ちゃんみなさんの場合はそうではなく、自分自身を掘り下げてどんどんコアに向かっていっている印象です。
私はライブのパフォーマンスはエンタメとして「魅せに行く」というスタンスでやっているんです。その源となるものを生み出す音源のほうは「見に来て」というスタンス。ですので、作品はライブと違って「私の人生を見たいんなら覗いてみて?」という意識で作っている。私の場合、楽曲は自分のプライベートなものとして捉えているので。
──そうやって切り分けているからこそ、楽曲はかなり個人的でディープな内容に振り切れているんですね。ただ、ちゃんみなさんの場合はそれをライブで披露する際も両者が切り離されずにつながっている気がするんです。例えば、先日の横浜アリーナ公演「AREA OF DIAMOND」での「美人」のパフォーマンスは象徴的でした。ステージ上でメイクを落とす演出は、あれこそが作品で描いた個人的なメッセージを、ステージでもパフォーマティブに見せていくという、ちゃんみなさんの中での作品とライブの両方の部分がきれいに交差した瞬間だと感じました(参照:ちゃんみなが大観衆の前で武装解除、満員の横アリでさらけ出した“素顔”)。
パフォーマンスとして「魅せに行く」という部分があるからこそ、初めからあの演出はプランの1つとして考えていましたし、今おっしゃっていただいた通り、両方が融合していくという意味であれこそが私にとっても必要な演出だったと思います。でも、ギリギリまで悩みましたし躊躇しました。そもそも、私は「THE PRINCESS PROJECT」において武道館がスタートラインだと思っていて。今回、横浜アリーナに立つということで新しいフェーズに入った気でいたんです。だからこそ、ちゃんみなとしても、乙茂内美奈としても、1人の女性としてもちゃんと誠意を持ってオーディエンスと接したかった。
──実際、あの演出をされてみていかがでしたか?
ひと口にメイクを落とすと言ってもいろいろなやり方があるじゃないですか。アイメイクだけ落とすのか、それともリップも落とすのか。変な話、パフォーマンスとしてはアイメイクだけ落とすだけでも成り立つ。でも、結局私はアイメイクやリップどころかベースメイクまでつるっつるに落としました。本当はあそこまでやらなくてよかったんだけど、どうせならもう全部やってしまったほうが面白いんじゃないかと思って(笑)。リハーサルでは、鏡を見なくてもちゃんと落とせるかも含めて研究しました。結果的に、オーディエンスの反応を見ていても、やってよかったなと思っています。
多様性ってなんだろう?
──反響も多く届いたかと思いますが、あのパフォーマンスをされた今現在、ちゃんみなさんの中で「美しさは画一的なものではなく、多種多様なものである」という考えはやはり変わらないでしょうか。
変わらないです。でも、多様性って本当に難しいですよね。LGBTQ+など、「ジェンダーに対する多様性を認めてほしい」という声がある一方で、「それを認めたくないという意見も多様性である」と考える人もいるじゃないですか。ルッキズムも同じで、私の意見に対して「いやいや、美人はこういう目でこういう鼻でこういう体型のことだから」と声があるのもおかしくはないし尊重されるべきだと思います。でも、オーディエンスが私側に立って美しさの多様性を主張することによって、そういった声は“悪”となってしまう。だから、すごく難しい。そうやって考えていくと、私は、みんながもう少しだけ他人に興味がなくなってもいいんじゃないかと思うんです。そもそも多様性という概念自体、わざわざ言葉にしなくていいんじゃないかって。それに、私がルッキズムに苦しんだのって結局は自分のせいなんですよね。もちろんいろんな人に嫌なことを言われた事実もあるんですけど、それを気にしたのは自分だし、苦しい気持ちになってストレスを溜めてしまったのも自分だしって考えると……もうわかんなくなっちゃう。
──「もう少し他人に興味がなくなってもいい」というのは、美しさの基準というものは自分との対話によって定まるということでしょうか?
本当に難しい問題ですけど、1つだけ答えを挙げるとするならば、例えば「自分がどういうものに惹かれているのか」「どういったファッションが好きなのか」みたいなことを発言する前に、もう少し自分について深く考えることが大事なのかもしれない。そうすることで、日本の美しさの基準だけではなく、世界の美しさの基準も見えてくると思う。こんなところにピアスを付ける人がいるんだ、日本の価値観とは違うな、とか。
──もしも答えづらかったら回答いただかなくても大丈夫ですが、いわゆる世の中で美人とされているような容姿の人を見たときに、ちゃんみなさんは憧れたり「こうなりたいな」と思ったりすることは今でもありますか?
あります。でも、それは“私が好きな顔”であって、“私のタイプ”として捉えるようにしている。比べたり押し付けたりしなければ、好きな顔があるのはいいことですよね。もちろん、整った顔やスタイルに対して「いいな」と思ったりもしますよ。私は生まれて一度もモデル体型というものになったことがないから、友達と話すときも「あの人、脚長すぎて私の首くらいまである!」とか言ったりもします。でも、そこと比べたりしなければ世の中はもう少し平和になるんじゃないかって。私もまだまだ悩みながらだけど、「美人」という曲を作ってしまった以上、このテーマについては現在進行形で答えを探し続けています。
自分では絶対に書けないAwichのリリック
──その「美人」ですが、本作ではAwichさんを迎えリミックスとして再構築されました。
もともとAwichには「美人」のリミックスをお願いしたいとずっと思っていたんです。でもなかなかタイミングが合わなくて、今回ようやく念願叶って実現しました。Awichもやりたいと言ってくれたし、2人でやる「美人」を世に残したかった。
──Awichさんの強烈なヴァースを聴いていかがでしたか? ちゃんみなさんからのディレクションは一切なく、すべてAwichさんにお願いされたのでしょうか。
そうです。私からのオーダーはなく、すべてまるっとお願いしました。本人にも伝えたんですけど、私には絶対に書けないリリックですよね。だって、冒頭の「未亡人のシングルマザー / 36おばさんラッパー?」って1つも私は経験がないんですよ。やっぱり人それぞれ自分に刺さる嫌な言葉は違うし、それをAwichの口から彼女でしか成立し得ない形でラップしてくれたから、すごくうれしかった。
──「自分でしか歌えない」という点では、ちゃんみなさんのラップも同様だと思います。それはやはり「自分とは何者なのか」ということを掘り下げているからだと思うし、今はもうあまりジャンルのことは言われたくないかもしれませんが、そういった意味ではAwichさんはもちろんのこと、ちゃんみなさんにもヒップホップの精神性を強く感じます。
それは言われてすごくうれしいですよ! 私がずっと示したかったのはそういうことだったから。ヒップホップというものは音楽そのものだけではなく、音楽に対してどう向き合うかということ、つまり生き方や意思だと思ってきたので。それがちゃんと伝わっているのはうれしいです。
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ロックサウンドに接近