BREIMENが7月20日に3rdアルバム「FICTION」をリリースした。
後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)の私設音楽賞「APPLE VINEGAR -Music Award- 2022」での特別賞受賞や、岡野昭仁(ポルノグラフィティ)と井口理(King Gnu)のコラボ曲「MELODY(prod.by BREIMEN)」への参加などで話題を呼んでいるBREIMEN。大きな注目を浴びる中リリースされた新作「FICTION」は、5人が奏でるサウンドのみで作られた肉体的なアンサンブルと、高木祥太(Vo, B)による内省的なリリックが印象的な作品だ。音楽ナタリー初登場となる今回は、彼らにこれまでのバンドの歴史を振り返ってもらうとともに「FICTION」の制作背景について聞いた。
また特集の後半には、BREIMENと親交のあるアーティスト10人からのコメントと、彼らが選曲したBREIMENのベストプレイリストを掲載する。
取材・文 / 天野史彬撮影 / NORBERTO RUBEN
BREIMENインタビュー
「TITY」で見えたBREIMENの中心点
──音楽ナタリー初登場ということで、まずは新作「FICTION」に至るまでの活動について伺えればと思います。これまでにリリースした1stアルバム「TITY」と2ndアルバム「Play time isn't over」はそれぞれ、バンドにとってどのような位置付けの作品ですか?
高木祥太(Vo, B) 「TITY」は……今振り返ると「若いな」と思いますね(笑)。ただ、俺らは旧体制も含めるとバンドとしてのキャリア自体はけっこう長いので、「TITY」の時点で、初期衝動とはちょっと違っていたのかなと思うんですよね。
──旧名義“無礼メン”の頃は、高木さんはボーカルではなかったし、ドラムもKannoさんではなかったんですよね。
高木 ボーカルが変わって全然違うバンドになったし、前体制でも曲と歌詞は俺が書いていたけど、自分で歌うとなると客観視できなくて。新体制になってからは「コンセプトは設けない」と決めて、プレイに関しても、無礼メンの頃はデモで俺が作り込んでいく感じだったけど、みんなに委ねるようになったんです。
サトウカツシロ(G) 無礼メンの頃は、音楽的にも今よりコンセプチュアルで、キャラクター性の強い音楽だったよね。
高木 だからこそ新体制になってから「TITY」を出すまでのシングルを切っていた時期は、音楽的にもとにかくコンセプトを設けず、できたものをひたすら出していく感じだったんです。そういう意味で「TITY」は「コンセプトがない」という前提のうえで、自分たちの指針が見えたアルバムというか。あのアルバムを聴いてくれた人たちの反応を見て、「自分たちはこう認識されているんだ」ということもわかったし。BREIMENとしての1つの中心点が、あのアルバムでわかったような気がしますね。
サトウ 前体制でも歌詞は祥太が書いていたんですけど、この5人になってから祥太が自分のことを歌うようになって、音楽に対しての主体性が今までとまったく違うものになったんですよね。そうやって生まれた曲を演奏するとなったとき、祥太に「この歌詞ってどういう意味?」なんて聞かないけど、祥太が作る音楽に対して、俺の考え方とそこまで相違がないという発見があって。もちろん100%一致するわけではないけど、祥太が書く曲を自然と“自分の音楽”として演奏できる。そういうことが初めてできたのが「TITY」だったのかなと思います。
──なるほど。今サトウさんがおっしゃった点に関して、ほかの皆さんはどうですか?
高木 これは、けっこうバラバラだと思いますよ。俺とカツシロの価値観が似ているのは俺もわかるけど、例えばいけだ(ゆうた)は全然違うと思うし。「みんなで1つのメッセージを伝えるために集まりました!」というバンドじゃないから。なんなら、あんまり価値観は合わない5人なんですよ。
いけだゆうた(Key) うん、まったく合わない。
一同 (笑)。
サトウ (いけだに向かって)祥太の書く歌詞に胸を打たれたりすることもあるの?
いけだ ない。難しい日本語とかよくわかんないから。「なんか言ってんな」と思ってるだけ。
高木 なんでだよ! 早稲田出てるんだろ?
いけだ 出てるけどさあ……わかんないよね。
──(笑)。林さんとKannoさんはどうですか?
ジョージ林(Sax) 僕は高木祥太とは18歳くらいの頃に出会っていて、この5人の中で一番付き合いが長いんですよ。祥太は、初めて会った頃はベースもそんなに弾けなかったし、ただ「顔がいいな」という印象だったんですけど(笑)、そのあとに音楽的な面において、予測できる成長速度を大幅に超える成長をしていった。僕は“天才”という言葉は好きではないですけど、こと音楽において「こいつは天才なんだ」と思ったんです。ただ、それが前提にあったうえで「人としては終わってるな」と思っています。
一同 (笑)。
林 人としては終わっているけど、根源に流れているものというか、生きていくうえで譲れないものは、僕と祥太はかなり近いんじゃないかと思っていて。世の中の渡り方は違うけど、核は一緒だと思う。だから祥太から出てくる曲や歌詞には納得できることが多いです。
高木 ……俺って、人として終わってるんだ?
林 うん、終わってる。
高木 でも、俺のこと好きでしょ?
林 うん、好きではある。
──(笑)。Kannoさんはどうですか?
So Kanno(Dr) 俺は途中加入だし、無礼メンの頃からのファンだったということもあって、今でも祥太が作るものに対してファンのような感情があるんです。歌詞が上がってきたときには「いいなあ」と思うし。曲作りの面では、俺自身の中にある尖った部分を遺憾なく発揮できる場です。BREIMENは生活の一部みたいなものなんですよね。なので、生活している中でいろんなことを学んでいる感覚もあります。それゆえに、祥太に影響を受けたりもするんですけど(笑)。
いけだ それはダメだよ(笑)。
修学旅行で無理やり組まされた班みたい
高木 最近よく言うんだけど、俺たちって、もし同じクラスにいても一緒のグループにはいなかったであろう5人なんですよ。
サトウ そうだね。誰かが言ってたけど「修学旅行で無理やり組まされた班」みたいな5人です(笑)。
高木 でも一緒に回ってみたら意外と楽しかったっていう(笑)。「バイブスが合う」という点に重きを置いてバンドを組む人たちも多いと思うけど、俺たちは音楽的な部分で判断して集まった5人なんですよ。もちろん人も好きだけど、それ以上にこの音が欲しかったからこのメンバーを集めたし、だからこそこれだけバラバラな5人が集まった。でも蓋を開けてみれば、意外と通じる部分もあって。結局、人も音も同じことなのかもしれないですね。「この人の音めっちゃいいな」と思った人は、しゃべってみたら感覚も合うことが多いし、「こいつの出す音、微妙だな」と思ったら、感覚も合わないことが多い。
──さっき高木さんが言っていた「TITY」で見えた中心点というのは、そうしたバンドの在り方みたいなものなんでしょうか。
サトウ そうですね。この5人が混ざり合って1つの形になるということが見えたのが、「TITY」だったと思います。
高木 さっきも言ったように、「TITY」から自分自身について歌った曲が多くなったけど、うちは音楽的にはかなり民主主義なんです。俺の独裁政治ではなく、みんなで意見を出し合って突き詰めていく。それはパートも関係なくて、「どのシンセを使うか」みたいなこともみんなでアイデアを出し合ったりする。そういう部分こそがBREIMENというバンドの特色なんだということがわかったアルバムだったかもしれないです、「TITY」は。
──では、2ndアルバム「Play time isn't over」はどうですか?
サトウ 「Play time isn't over」のときはコロナ禍真っ只中だったし、祥太を主体とした音楽であることに変わりはないけど、「TITY」に比べると、よりみんなが共通意識を持っていたのかなと思いますね。
高木 そうだね。「Play time isn't over」は、歌っていること自体もみんなが半分くらい当事者というか。「TITY」は“ボクとキミ”という感じのアルバムだったけど、「Play time isn't over」は“ボクとみんな”というアルバムになったんだと思う。「みんな」というのはこの5人に限らず、マネージャーやミュージシャン友達も含めて。今振り返ると、俺はコロナ禍のあの頃、けっこう楽しかったんですよね。とにかく暇だったし、最初はめっちゃしんどかったんですけど、当時俺がやっていたシェアハウスに、暇だし寂しいしで友達が集まってきて。そいつらと「とにかく、自分たちで遊びを考えなきゃいけない」って、自分たちで映画を作ってみたりして。そこでできたのが「Play time is over」という映画で、そこから「Play time isn't over」というアルバムにつながっていったんです。享受するタイプの遊びではなくて、自分で作り出すタイプの遊びの在り方を思い出した感覚があった。小さい頃って、そういう発想のクリエイティブをしていたよなって。
──なるほど。
高木 あと、「Play time isn't over」の頃に思っていたのは、こうやってみんなで集まって遊べているのも、いつまでも続くことではないなということで。みんなコロナ禍で暇だから集まれていたけど、人間関係の移ろいもあるし、いつかは絶対に集まれなくなってしまう。あの「Play time isn't over」というアルバムには、その稀有な状況を音楽にして切り取りたいという思いもあったと思います。だからあのアルバムには、これまでにもなかったし、この先もないであろう、一瞬の儚さがある気がしていて。
林 あのアルバムは、音も違うもんね。
高木 そう、混沌としてる。
林 DIYの温かみがあるというか。そこがすごくいいなと思う。確か緊急事態宣言が出たあとはしばらく会わなくて、「そろそろ何か作ろうか」と思ってひさしぶりにメンバーで集まったときに最初に作ったのが、あのアルバムに入っている「noise」という曲なんですよ。祥太の両親が持っている個人の小さなスタジオで、自分たちでマイキングしたりしながら録ったんですよね。なので、いわゆるレコーディングスタジオで録った曲ではないんですけど、その小さい規模感が音にも出ているし、制作も楽しかったですね。大きいスタジオで、いい音にこだわって録るのももちろん楽しいんですけど、自分たちでできる範囲で、DIYで作っていく楽しさがあのときはあった。ちゃんと、そのときにしか出せない音が鳴っている作品になったと思う。
いけだ 夏休みみたいだったよね、「Play time isn't over」の制作は。あの制作スタイルは今後ないかもしれない。「上裸になった方がいいの録れるわ」とか言って上裸になったり(笑)。
サトウ 祥太のお母さんが、くそデカい鍋でカレーを作ってきてくれたりしてね。
高木 「Play time isn't over」は幻っぽいんだよな、全体的に。だからこそ、作れてよかったと思う。あの瞬間を切り取ることができたから。
シンガーとしての葛藤を描いた「MELODY(prod.by BREIMEN)」
──そこから今回の3rdアルバム「FICTION」につながるわけですけど、その前に岡野昭仁さんと井口理さんのコラボレーション企画に「MELODY(prod.by BREIMEN)」を楽曲提供し、さらに演奏やプロデュースも担当されたというトピックがあります。「MELODY(prod.by BREIMEN)」にはどのようなコンセプトがあったんですか?
高木 ノーオーダーだったのでけっこう迷ったんですけど、あの2人の共通点を考えたときに、やっぱり彼らはシンガーソングライターではなく圧倒的なシンガーで、それこそが特筆すべき点だと思ったんです。俺は言うなればシンガーソングライターのようなものだと思うんですけど、シンガーソングライターって、自分で書いた曲を自分で歌っちゃえば、ある意味なんでもOKなんですよ。でもシンガーって、それよりもハードルが高いと思うんです。自分が書いていない曲を歌って、それを自分のものにしないといけない。
林 役者だよね。
高木 そう。あの2人はその最高峰だと思っていて。その立場の苦悩を勝手に考えて、歌詞を書きました。俺って楽な立場だなと思ったんですよ。勝手に書いて勝手に歌っちゃえばいいから、責任は俺にしかない。でも、あの2人はもっと作品に対しての葛藤があるはずで。それは楽器をやる人とも違うと思うんです。彼らが歌う歌詞が、リスナーからすると彼ら自身の言葉にもなりうるので、そのうえで、歌を続けていくこと……“音楽を”ではなく、“歌を”続けていくことについて俺なりに考えて書こうと思いました。「MELODY」は仮タイトルが「MUSICA」だったんですけど、やっぱり“歌”の曲だから、「MELODY」の方が合うだろうと思ってタイトルも変えたんです。
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「FICTION」は“制約の美学”を意識したアルバム