ナタリー PowerPush - BOOWY
大根仁×津田大介×℃-ute岡井千聖 世代を超えたファン座談会
ファン投票によるベストアルバム「BOOWY THE BEST "STORY"」のヒットにより、再び大きな注目を集めているBOOWY。今回ナタリーでは、BOOWYファンとして知られる大根仁(映像ディレクター)、津田大介(ジャーナリスト)、岡井千聖(℃-ute)の鼎談を実施。それぞれの体験を交えつつ、BOOWYの魅力について語ってもらった。
※文中にてバンド名を「BOOWY」と表記していますが、2つ目のOは/付きが正式表記となります。
取材・文 / 森朋之 撮影 / 佐藤類
日本のロックシーンを変えていくんだろうなって
──津田さんが渋滞にハマって遅れていますので、先に始めたいと思います。まずは大根さん、先ほどから資料のライブヒストリーに赤丸を書き込んでいらっしゃいますが……。
大根 自分が行ったライブですね。1985年~86年の都内近郊のライブはほとんど行ってます。
岡井 わー! いいなー!
大根 岡井さんは何年生まれ?
岡井 1994年です。
大根 もうBOOWYの影もない時期ですよね。何がきっかけで好きになったんですか?
岡井 お父さんとお母さんが、BOOWYが大好きだったんです。私も小さい頃からライブ映像を見たり、曲を聴いたりしていて。
大根 子守唄がBOOWYだったんだ?
岡井 子守唄ってほどではないかもしれないけど、盛り上がっちゃって。「ビビビビ、オマイビー!」って歌ったりしてましたから。
──(笑)。「ON MY BEAT」ですね。
岡井 あとは「LONDON GAME」とか。カラオケに行くと、お父さんとマイクの取り合いです(笑)。
大根 BOOWYの曲ってカラオケで歌っても気持ちいいからね。
──大根さんは初期の頃から聴いてたんですよね?
大根 BOOWYの活動を初期、中期、後期と分けるとしたら、中期くらいですね。はっきり覚えてるんですけど、1985年の6月1日に「ホンキ—・トンキー・クレイジー」のシングルが出て、そのタイミングでビジュアルのイメージが変わったんですよ。それが規格外のカッコよさで、「このバンドは絶対にくるな」と思って。で、伝説とされているベルリン帰りのライブ、1985年6月25日の渋谷公会堂で初めて生でBOOWYを観たんです。中学生くらいから都内のライブハウスでいろんなバンドのライブを観てたんですが、レベルがまったく違うっていうのは、何もわからない高校2年生のガキにも伝わってきましたね。この人たちが日本のロックシーン、音楽シーンを変えていくんだろうなって。
岡井 すごいですね……。
大根 今振り返ってみると、1985年はトピックな年だったんですよね。尾崎(豊)が代々木で2DAYSライブをやったのも1985年だし、LAUGHIN' NOSE、有頂天をはじめとするインディーズのムーブメントもあって。渦中にいるときは「いろんなバンドが出てきて楽しい」っていうだけだったけど、その先頭を走ってたのがBOOWYだったんじゃないかな。
──そうですね、確かに。
大根 ただ、僕がライブを観ていたのは1986年の最初の武道館ライブ、有名な「ライブハウス武道館へようこそ」くらいまでなんですよね。その後はライブも観てないし、アルバムもあんまり聴いてなくて。高校生の頃ってヒネくれてるじゃないですか。だから、大ブレイクしてメジャーになってからは、あんまり聴かなくなっちゃって。そのせいで、ちょっと恥ずかしいというか、後ろめたい気持ちもあったんですよ。ホントに最近ですよ、「BOOWYが好きだった」って言えるようになったのは。
岡井 私だったら自慢しちゃいそう。「有名になる前から観てたんだぞ!」って(笑)。私は映像でしか観たことがないし、あの時代に生まれてなかったのが悔しいなって思いますね。ホントにすごかったんだろうなって。
大根 すごい勢いだったからね。俺も勢いあまって、コピーバンドまでやってたから。
岡井 あ、うちのお父さんもやってたんですよ。ボーカルだったんだけど、あんまりうまくなかったみたいで(笑)。
大根 俺は一番手っ取り早いベースをやってたんだけどね(笑)。当時、BOOWYのコピーバンドって日本に2万くらいあったんじゃないかなあ。
「ライブハウス武道館へようこそ」って言いたい
──ベストアルバム「BOOWY THE BEST "STORY"」もオリコンランキングで1位を記録するなど、大ヒットしています。収録曲の中で、特に印象に残っている曲はどれですか?
岡井 私は「ONLY YOU」ですね。よくカラオケで歌ってるし、BOOWYを知らない子でも「いい歌詞だね」って言ってくれるんですよ。自分のライブでもカバーさせてもらってるんです。私のキーに合わせたオケを作ってもらったんですけど、つい原曲のキーで歌い始めちゃったり(笑)。
──原曲が身体に刻まれてるんですね(笑)。
岡井 SHIBUYA-AXでライブをやらせてもらったときは、氷室さんのマネして「ここは渋谷だぜ」って言いました(笑)。自己満足かもしれないけど、℃-uteのファンの方には30代、40代の方も多いから、けっこう盛り上がるんですよ。いつか「ライブハウス武道館へようこそ」って言いたいですね!
大根 (笑)。俺は楽曲というより3rdアルバム「BOOWY」の印象が強いですね。例えば「CHU-RU-LU」もそうだけど、洋楽っぽいカッコ良さと歌謡曲的な切なさの両方を持ってるというのかな。「CLOUDY HEART」なんて、女目線の曲でしょ?
岡井 そうですね。歌詞がセクシーなんですよね、BOOWYさんって。
──「CLOUDY HEART」はファン投票の1位ですね。
大根 そうなんだ。あとね、氷室京介が持っていったヤンキーっぽさも大きいと思うんですよね。当時はまだまだヤンキーカルチャーが強くて、「不良がカッコいい」っていう雰囲気もあったから、そこにうまくハマったというか。布袋さんの洋楽志向と氷室さんのヤンキーテイストが共存しているのがBOOWYっていう見方もできるんじゃないかな、と。
──なるほど。
大根 1986年の武道館以降だと思うんだけど、そのあたりからライブにヤンキーっぽい人が来るようになったんですよ。……お父さん、ヤンキーだった?
岡井 あ、そうですね(笑)。昔の写真を見ると、タンクトップでこういう髪型(リーゼント)してたから。お母さんはパーマで、唇は紫で。SHOW-YAのコピーバンドやってたんですよ、お母さん。
大根 なるほど(笑)。最初はライブハウス時代からのファンが中心だったんだけど、ヤンキーっぽい人が増え始めてから、チケットが取りづらくなったんですよね。当時、ネットとかないじゃない? 「ぴあ」っていう雑誌に読者交流コーナーがあったんだけど、「BOOWY好きな人、話しましょう」っていう都内の女子高生と文通してたからね。
岡井 ステキ!
大根 その子、どういう手段かわからないけど、やたらとチケットを取ってくれたんですよ。武道館のときも彼女にチケットを取ってもらって、しかも最前列! 「一緒に行きましょう」って連絡を取り合って——そうすると当然、好きになるわけですよ。
岡井 ハハハハハ!(笑)
大根 都有3号地のライブ(1986年8月4日、新宿で行われた野外イベント「ウォーター・ロック・フェス」)も行って、どしゃ降りの中で一緒に観て。その後、告白したんだけど、あっさりフラれたんですよね。あ、そうだ。たぶん、それでBOOWYを卒業したんだ。「メジャーになったから」とかではなくて、女の子にフラれたのが理由だったっていう(笑)。
- ニューアルバム「BOOWY THE BEST "STORY"」/ 2013年3月21日発売 / 3000円 / EMI Music Japan / TOCT-98027
- ニューアルバム「BOOWY THE BEST "STORY"」
DISC1
- IMAGE DOWN
- NO.NEW YORK
- ON MY BEAT
- DAKARA
- FUNNY-BOY
- DREAMIN'
- BABY ACTION
- ホンキー・トンキー・クレイジー
- BAD FEELING
- CHU-RU-LU
- ハイウェイに乗る前に
- CLOUDY HEART
- "16"
- わがままジュリエット
- JUSTY
- ミス・ミステリー・レディ(VISUAL VISION)
- LIKE A CHILD
DISC2
- B・BLUE
- ONLY YOU
- WORKING MAN
- RAIN IN MY HEART
- DRAMATIC? DRASTIC!
- SENSITIVE LOVE
- LIAR GIRL
- LONGER THAN FOREVER
- MARIONETTE
- PLASTIC BOMB
- FANTASTIC STORY
- MEMORY
- 季節が君だけを変える
<BONUS TRACK>
- NO.NEW YORK<12インチversion>
- CLOUDY HEART<Single Version>
BOOWY(ぼうい)
1980年代に活躍した、氷室京介(Vo)、布袋寅泰(G, Cho)、松井恒松(B)、高橋まこと(Dr)の4人からなるロックバンド。1981年に結成され、1982年にアルバム「MORAL」でメジャーデビュー。ニューウェイブを取り入れた先鋭的なサウンドや、スタイリッシュなファッションなどで全国的な人気を博す。代表曲は「わがままジュリエット」「ONLY YOU」「ホンキー・トンキー・クレイジー」「B・BLUE」など。人気絶頂のさなかの1987年に突然解散を発表し、翌1988年4月5日の東京ドーム公演をもって解散。しかし彼らのフォロワーは多く存在し、解散から25年以上が経つ今も新たなファンを生み出し続けている。