「唾奇という人間が愛について歌ったらどうなるか」に興味があったんです
──「愛のままに」に客演として唾奇を迎えた理由は?
ソロ活動を2011年リリースのアルバム「RAP AMAZING」でスタートさせて、2017年に発表した「LOVEBUM」までの6年間は、BASIという1人の世界でアルバムを作ってきたんです。
──客演はあまり迎えていませんでしたね。
自分のスキルやセンス、考え方を明確に込めたいと思っていたので。でも「LOVEBUM」を作り終えた近辺で、“第1章”を終えたなという感触があったんですよね。そのうえで愛をテーマにした「愛のままに」を作り始めたときに、ここからを“第2章”とするならば、何か新しいことをしたいと。それで、自分の好きなラッパーなどを客演に迎えて作品作りをしてみようと思ったんですよ。そして、その候補として唾奇がパッと浮かんだんです。唾奇の持っているメッセージ性とかバックボーン、活動のスタイルを見たうえで、彼に“愛”を歌ってほしいと思って。
──ただ、唾奇くんは恋愛や色恋の曲もありますが、“愛”についてのリリックを明確に書くようなタイプではありませんよね。
だからこそ、彼の考える愛を歌ってほしかった。このオファーを受けてくれるかも、このテーマについてのメッセージを持ってるかもわからない。でも「唾奇という人間が愛について歌ったらどうなるんやろうか」というのにとにかく興味があったんです。それに、唾奇が愛についてラップしてるその隣に自分がいる絵が、僕の中で強烈に浮かんでたんですよ。
──明確な根拠はないし、どうなるかは未知数だけど、彼と愛について歌うことはイメージできていたと。
プラス、彼はラップという表現で自分の生活や日常を成立させている男なんで、そういう人間だからこそ、愛に向き合った内容を書くことで伝わるものがあるんじゃないか、それがすごくリアルに感じるんじゃないか、と思ったんですよね。
ラッパーが“愛”を歌うのはインコースギリギリで、一歩間違えばデッドボール
──この曲のフックは、抽象性は高いけれどもすごく意思を感じる内容だと思います。これは今後BASIくんがやっていくことに対する意思表明だったりするのかなとも思ったんですが。
どっちかと言うと、この曲のテーマを明確にしたセンテンスだと思いますね。SHINGO☆西成さんに会ったときによく「BASI、俺ら役割分担していこうや」って言われるんです。彼の音楽は僕にはできないし、その逆も然りですよね。それはSHINGOさんだけじゃなくて、ほかのラッパーもそうだと思うんです。
──ラッパーとしてのアイデンティティだったり、差異も含めたオリジナリティだったりの話ですね。
それが僕の場合は“愛”だと思うんです。ただ、ラッパーが“愛”について歌うのは、特に「愛のままに」みたいな内容を歌うのは、野球の球でいえばインコースギリギリだと思うんですよね。しっかり入ればこれ以上ない完璧なストライク、でも一歩間違えばデッドボール、みたいな。だから「LOVEBUM」も「愛のままに」も、作った時点では正直「さあ、どう出るか」っていう不安と覚悟はありました。
──昔ほどではありませんが、日本語ラップでラブソングを書くということは、一歩間違えばセルアウトというそしりを受けかねないですからね。
みんなリスキーだと感じるから手を伸ばしづらいし、なんとなく避けがちなんだと思います。だけどそこに着手するのは、自分しか書けないと思うからだし、そこに面白いものが埋まってるんじゃないかなっていうのが、ここ2、3年感じていたことで。だから「LOVEBUM」では恋愛だけじゃなくて、“友愛”や“音楽愛”みたいな幅広い愛を書いた作品に落とし込んだんです。あのアルバムでの感想や評価によって、覚悟を決められたところもありましたね。それもあって「愛のままに」で、直接的に“愛”を書けたんですよ。ただ、フックで明確に言ってる分、自分のヴァースはややアブストラクトな表現にして。
──それによって油っこくならないように構成されていますね。また「愛のままに」と「星を見上げる」は、アルバム「切愛」の軸になっているようにも感じます。
「LOVEBUM」を作り終えてから、コンセプトを立てて10曲ぐらいデモを作ったんです。その後半に「愛のままに」と「星を見上げる」の2曲ができて、この2曲を大事にしたいと思って「愛のままに feat. 唾奇 / 星を見上げる」として7inchでリリースしたんですけど、その反響の高さを知って「改めてこの2曲を軸にしたアルバムを作ろう」と思って、それまで作ってた曲を全部やり直したんですよ。
──つまり、没になったロストアルバムのようなものがあると。
そうですね。だから7inch以降に作った作品でまとめたのが今回のアルバムです。それによってコンセプトも明確になったと思う。このアルバムは全体として、「愛のままに」に至るまでのプロセスを編み上げたアルバムなんですよ。それは構成的にも、感覚的にも。