BARBEE BOYSの映像作品「BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22」が11月21日にリリースされた。
10月に東京・NHKホールで行われたイベント「The Covers'Fes.2018」で約8年ぶりに演奏を披露したBARBEE BOYS(参照:BARBEE BOYSは8年ぶり演奏!リトグリ、向井秀徳ら名曲歌った「The Covers」フェス)。同月には1988年8月に行われた東京・東京ドーム公演の模様を収めたライブ映像が全国の劇場で公開され、ファンにはうれしいサプライズが続いている。このドーム公演の映像をパッケージ化した「BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22」の発売を記念し、音楽ナタリーでは杏子(Vo)、いまみちともたか(G)へのインタビューを実施。東京ドーム公演当時のほか、バンド結成時のエピソード、「The Covers'Fes.2018」出演などさまざまなトピックについて語ってもらった。
取材・文 / 臼杵成晃、高橋拓也 撮影 / 後藤倫人
杏子加入はイマサ&KONTAの策略で実現
──BARBEE BOYSはボーカルが2人いたり、歌詞や楽曲のタイトルも不思議な言葉遣いだったり、当時から異色の存在でした。いったいどのような成り立ちでできたバンドなんでしょうか?
杏子(Vo) もともとバービーは男子4人組だったんですよ。私はたまたまライブハウスで対バンしたときに初めて観たんですけど、すごい衝撃を受けて。ギターのサウンドが突き刺すような感じで、KONTA(Vo, Sax)くんはどこか病的で(笑)。バンド名もお笑いグループみたいだし。
いまみちともたか(G) 俺たちシティボーイズが好きだったから(笑)。
杏子 そのあとも四谷にあったFOURVALLEYっていうライブハウスによく観に行ってたんです。
──杏子さんは当時、喝!タルイバンドのメンバーとして活動していたそうですね。
いまみち 喝!タルイバンドはその頃、めちゃくちゃお客を集めてて。
杏子 当時私はOLで、ライブのチケットは「来なくていいから買ってください!」って会社の人たちに売りさばいてたんです。その中から半分くらい来てくれたら、けっこういい感じにフロアが埋まったんですよ。
いまみち そのお客をバービーのライブにも呼んでもらいたくて、杏子に「うちのバンドにゲストで出てくれない?」ってお願いしたんだよ。もちろん杏子のボーカルがカッコよかったこともあるんだけど。それで女子パートのある曲を作ってみたらいい感じだったんで、KONTAと策略して、もうメンバーだってことにしちゃったんだよね。
杏子 男女ボーカルの曲を録ったの、確かそのライブの翌日だったと思う。で、そのデモテープをソニーが募集してたオーディションに送って。
──杏子さんが入る前から、音楽性はそのままだったんですか?
いまみち 変わってないかな。KONTAは杏子が入る前から女言葉で歌ってたし。
杏子 そうそう! 「タイムリミット」は私が入る前から歌ってたよね。
──サウンド面は、今改めて聴くとニューウェイブに近いものを感じます。実際にニューウェイブの影響はあったんですか?
いまみち ニューウェイブは嫌いじゃなかったけど、ジャンル的にこれ!って決めてはいなくて。意識していたのはKONTAとか杏子の声が前面に出て、俺は気持ちよくギターを弾けたらいいかなってことぐらい。
杏子 イマサ(いまみち)が音楽性の軸を担いつつ、プロデューサー的な部分も担当して、そこにみんなが付いていったんだよね。だから一貫性があったんだと思う。
やる前に騒ぐより、やってから伝説になればいい
──BARBEE BOYSは1984年にソニー内のレーベル・EPIC(現EPICレコードジャパン)からデビューし、全国区で名が知れ渡る存在となりましたが、どのシーンからも独立した孤高のバンドという印象がありました。そのあたりは実際どうだったんですか?
いまみち 杏子はいろんな人たちと仲良くなるタイプだったんだけど、俺とかKONTAはあんまりね……。
杏子 いやいや! 私も友達だったのは米米CLUBぐらいだったかな。
いまみち バンドって派閥みたいなのあるじゃない? そういうのに入りたくなかったから。
杏子 だからほかのバンドから見たら、感じ悪かったかも。
いまみち EPICの中でも浮いてたと思う。
──そんな中でさらに広く認知され、1988年には東京ドームでのライブを実現させました。日本人アーティストでは初の単独公演となったそうですね。
杏子 でも東京ドーム公演が決まって取材を受けたとき、男子はみんな「いや別に?」って様子でね(笑)。私は「めっちゃうれしい!」って思ってたんだけど。ドーム公演を終えたあとに伝説になればいい、やる前に騒ぐよりやってから伝説になればいい……みたいなこと、男子は話してたよね?
いまみち カッコいいこと言うね(笑)。
──ドーム公演ならではの音響設備は今でこそ整っているものの、当時はそのノウハウもまだなかったですよね。
杏子 うん。イヤーモニターもまだなかったのに、よくみんな演奏してたなって。
いまみち 「デカい音出さなきゃいけないからアンプの数増やそうぜ!」というアナログな感覚で。「バンドの中音は今まで通りがんばってやるから、客に向けてガンガン鳴らして!」ってスタッフにお願いしたんだよね。当時はそれしかやり方を知らなくて。だからライブが終わったあと、会場がデカすぎて音がよく聴こえてなかっただろうなと感じたし、ぶっちゃけ映像とか音源が残ってたとしても「聴かないで!」って思ってた。だけど今回の映像を観たらさ、意外とちゃんと演奏してたね。
杏子 今回の映像の音声ミックスって、イマサは立ち会った?
いまみち スタッフと一緒に聴いたけど、あれ何もエディットしてないの。
杏子 ええーっ! 音がよくてびっくり。
いまみち いやいや。音がいいってより……みんなうまかったんだよ。ボーカル2人も歌詞を飛ばしてないし、ピッチも外してないじゃん? 5人全員で前に出て、アンプラグド風に演奏した「Dear わがままエイリアン」も「何これ、コーラスバンド?」ってぐらいうまかったし。
杏子 コイちゃん(小沼俊昭 / Dr)もちゃんと歌ってたし。それにしても私のMC、「〇〇でえー」「みんなあー」ってめっちゃ悪ぶってるんだけど、全然板についてなかったね(笑)。
「ここは三次元」発言の真意
──この規模感の会場だとガンガン煽るようなMCを行うロックバンドが多いと思うのですが、バービーの場合はとてもフランクな雰囲気でお話ししていたのが印象的でした。
杏子 「〇〇だぜ、イエー!」みたいなやつだよね。実はそういう雰囲気、私も嫌だなって思っていたことがあって。「負けるもんか」の冒頭って曲のタイトルを叫ぶのがお決まりなんだけど、いつだったか淡々と「負けるもんか……」って言ってたことがあった(笑)。でもそれだと、お客さんのテンションは下がっちゃうよね。
──「二次元の映像が(ステージ上に)あるけれど、俺たちが立っているここは三次元だ」といういまみちさんのMCがありましたが、メンバーの皆さんもあの規模感の中でステージに立っていることが不思議だったのかな……と思いました。
いまみち ライブをやっているときって、客の目線が自分たちに向かってたら安心するじゃない? だけどあの日の客はスクリーン越しに俺たちを観てて。顔は見えなくても、視線はなんとなくわかるじゃん。それが寂しかったから言ったんだろうね。
──いまみちさんは映像作品「蔵出し・蜂大全」(2009年8月発売)内のインタビューで、日本武道館でのライブについて「うちらのサウンドは武道館には合わない」と語っていました。会場の規模感とバンドの音楽性が合わなくなっていたと振り返っていましたね。
いまみち 確かに武道館公演あたりからはそう思ってたね。アリーナクラスのバンド特有のサウンドってあるじゃん。でもバービーのサウンドは全然違うし、ハナからそういうバンドだと思ってなくて。東京ドーム公演のときも、俺らは表向き「はーん、別に?」って感じだったけど、裏では「どうすんのよ……」って途方に暮れてたし。
杏子 私は全然そういうこと考えてなくて、「どうにかなる!」「大きいとこには大きいとこ用のセットがあるから大丈夫!」って思ってたよ(笑)。
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「全然ドームっぽさが感じられない」ライブ映像
- BARBEE BOYS「BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22」
- 2018年11月21日発売 / ソニー・ミュージックダイレクト
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[Blu-ray] 5940円
MHXL-61 -
[DVD] 4860円
MHBL-332~3
- 収録内容
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- なんだったんだ? 7DAYS
- 帰さない
- MIDNIGHT CALL
- もォやだ!
- あいさつはいつでも
- midnight peepin'
- 小僧-cryin' on the beach
- ふしだら VS よこしま
- タイムリミット
- 打ち上げ花火
- Dear わがままエイリアン
- 泣いたままで listen to me
- はちあわせのメッカ
- わぁい わぁい わい
- ごめんなさい
- ナイーヴ
- C'm'on Let's go!
- 離れろよ
- 負けるもんか
- 翔んでみせろ
- ラサーラ
- 使い放題tenderness
- 女ぎつね on the Run
- チャンス到来
- BARBEE BOYS(バービーボーイズ)
- KONTA(Vo, Sax)、杏子(Vo)、いまみちともたか(G)、エンリケ(B)、小沼俊昭(Dr)の5人からなるロックバンド。1984年9月にシングル「暗闇でDANCE」でメジャーデビューし、1987年にリリースした「女ぎつね on the Run」でブレイクする。1992年1月に解散するが、2003年に行われた所属レーベル・EPICレコードジャパンの25周年記念イベントで復活を果たした。さらに2008年8月には野外フェスに出演、2009年2月には約17年ぶりの全国ツアーを4都市で実施。2018年10月にはイベント「The Covers'Fes.2018」にて約8年ぶりとなるライブを行った。同年11月には、1988年に開催された東京・東京ドーム公演の模様を収めた映像作品「BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22」がリリースされた。