大阪出身のシンガーソングライター・番匠谷紗衣が12月5日にメジャーデビューシングル「ここにある光」をリリースする。
中学2年生のときに路上ライブを始めた番匠谷は、翌年からはオリジナルソングを引っ提げてライブハウスでも活動をスタート。強さと切なさが同居する歌声と、感情を乗せたアコースティックギターのサウンドを武器に地道な歩みを重ねることで、2017年3月には大阪・BIGCATでのワンマンライブをソールドアウトさせる。2018年には東芝「dynabook.com」のWeb広告への出演およびCMソングの歌唱や、静岡・つま恋リゾートで行われたライブイベント「ap bank fes '18」の“pieni stage”への出演などを果たし、注目度はさらに上昇。現在放送中のドラマ「科捜研の女」主題歌となる「ここにある光」を収録した本作で満を持してのメジャーデビューを果たすこととなった。
音楽ナタリー初登場となる今回のインタビュー。芯の強さを感じさせながらも、誰からも愛されるであろう朗らかさをたたえた番匠谷紗衣に、これまでのバイオグラフィからメジャーデビュー作に注いだ熱い思いまで、じっくりと話を聞いた。
取材・文 / もりひでゆき 撮影 / 前田立
歌を歌って生きていきたい
──番匠谷さんはどんな幼少期を過ごしてきましたか?
幼い頃はわんぱくで遊ぶことしか考えてなかったですね。とにかく勉強嫌いで。ただ、音楽だけは大好きだったので、家では流行りのJ-POPなんかをずっと聴いていたし、小学校低学年の頃には自分なりに歌の練習を日々やっていました。たまたま親戚の結婚式で歌わせてもらえることがあったので、そういう機会に向けて全力投球で練習しておくっていう(笑)。
──そのくらいの年齢から人前で歌うことを前提に練習していたのはすごいですね。
幼稚園くらいの頃から人前で何かを表現することが好きでしたね。要は目立ちたがり屋なんです。とにかく誰よりも目立ちたい。「気付いてくれ、私に!」みたいな(笑)。ただ、結婚式で歌わせてもらったとき、その場にいる皆さんが笑顔で聴いてくださっていた光景を見たことが私としては歌手を志す大きなきっかけになったと思うんです。今も1人ひとりの表情が鮮明に焼き付いているくらい、大きな喜びを感じることができたと言うか。その瞬間からだと思いますね、「私は歌を歌って生きていきたい!」って強く意識するようになったのは。
──ご自身の歌に関しては自信もありました?
いや、そこはまったくなかったです。お母さんにはずっと「雑音」って言われ続けてましたから(笑)。でも、だからこそ自分なりにたくさん練習したんだと思うんですよ。洋楽、邦楽問わず歌のうまいアーティストのCDを聴きこんで発声練習をしたり。ちょっとだけレッスンを受けたこともあるんですけど、歌い方に関してはほぼ独学ですね。
踏み出した大きな一歩
──歌手になるという夢を実現させるために、何か具体的なアクションは起こしました?
中学生になると家庭環境のことだったり、学校にあまりなじめへんかったりで、いろいろ悩むようになっていて。そんなとき自分にとっての救いになっていたのが音楽なんですよね。あらゆる音楽を聴きまくり、家で歌うことで現実逃避していたと言うか。でもあるとき、「もう一度人前で歌いたい。誰かに自分の歌を聴いてもらいたい」という気持ちが強く湧き上がってきたので、路上ライブを始めることにしたんですよ。アカペラで路上ライブするのはちょっとしんどいと思ったから、そのタイミングでおばあちゃんの家にあったギターを練習するようにもなり。弾き語りスタイルで、いろんな曲をカバーしてました。それが中学2年生のときですね。
──路上ライブでは手応えを得ることができましたか?
自分にとっては大きな一歩だったとは思いますけど、最初はとにかく怖いし、恥ずかしいし、緊張するしで、毎回家を出る前は「もう無理やわー」みたいに渋ってましたね(笑)。ただ、いざ路上に立ってみれば足を止めてくださるおばあさんがいたり、飲み物を差し入れしてくれる方がいたりして。その時期の私にとっては、人に出会う唯一の場所が路上ライブだったのですごく救われていたし、力をもらえていたなって思います。で、そういう経験に勇気をもらえたから、その後はボーカリストのコンテストに応募するようにもなって。
──そのコンテストの1つで撮影された動画がきっかけで大きな出来事にもつながったそうですね。
そうなんですよ。YouTubeにアップしていただいた私の歌唱動画をきっかけに、ある番組のカラオケバトルに出演させていただくことができたんです。そこでちょっと自分の歩みに広がりを感じることができたので、「じゃあもっとがんばろう」ってことでライブハウスでライブをすることを決めて、そこに向けて作詞、作曲も始めました。それが中3のときです。
思い立ったらすぐ行動
──最初のオリジナル曲はどんなふうに作っていったんですか?
私には幼なじみの友達がいるんですけど、その子がいろんなことで落ち込んでいる時期があって。その頃は私もちょっと病んでた時期だったから、彼女の気持ちがめっちゃわかったんですよ。でも、言葉にするとうまく励ますことができなかったから、どうすれば元気になってもらえるかなって考えた結果、「そうや、曲にしよう!」と思って。で、「どんな曲にしようかな」と考える中で、寝る前にふと歌詞とメロディが一緒に出てきて生まれたのが「君へ」って曲なんです。
──そのお友達には聴いてもらったんですか?
はい、友達に聴かせた時点では何も言われなかったんですけど、あとから「聴いたよ、すごく励まされた」って言ってもらえたんです。それがまた自分にとっての大きなきっかけになったと思いますね。曲を作り、それを歌ったときに生まれるパワーみたいなものに自分でもビックリしたんですけど、自分が音楽に救われてきたように、私が作る曲を通して誰かを励ますこともできるんだ、自分にもできることがあるんだって気付いたことに意味があって。ここからもっともっと勉強して、それを極めていきたいってすごく思えたんですよね。
──オリジナル曲を持ってライブハウスに出るようになったのも中学生のときなんですよね? ブッキングもご自身でやったのでしょうか?
そうですね。中3のときに初めてライブハウスに出たときから、ブッキングも自分でやってました。周りにそういうことをやってる人がいなかったから勇気のいることではあったけど、とにかく動かなきゃと思って。それ以降は毎週必ずライブして、多いときは月に8本くらいやったりしてましたね。
──行動力がハンパないですよね。
思い立ったらすぐ行動しないと気が済まないんですよ(笑)。私は常に身近な目標を1つ立てて、そこにどうしてもたどり着きたいから必死でがんばるっていう。そういう計画をいくつもクリアしながら今に至るっていう感じですね。
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ライブは毎回死ぬ気で