日本テレビ系で毎週金曜深夜24:59から放送中の音楽番組「バズリズム02」から生まれた、MCのバカリズムの音楽プロジェクト「バカリズムと」。2017年にプロジェクト第1弾として秦基博とのコラボユニット・ハタリズムが誕生し、その後も水野良樹(いきものがかり)とのユニット・ミズノリズム、大原櫻子とのユニット・大原バカリ子としてそれぞれのユニットで楽曲を発表してきた。
プロジェクト第4弾の相手に選ばれたのはフジファブリック。2組はコラボユニット・フジファブリズムを結成し、フジファブリック節炸裂の楽曲にバカリズムらしい世界観の歌詞をドッキングした「Tie up」を制作した。この楽曲の制作秘話に迫るべく、音楽ナタリーではバカリズムと山内総一郎(フジファブリック)へインタビューを実施した。相思相愛コラボだったというフジファブリズムの魅力を2人の言葉から紐解く。
取材・文 / 清本千尋 撮影 / 後藤壮太郎
念願だったバカリズムとのコラボ
──日本テレビ系の音楽番組「バズリズム02」で企画されてきたバカリズムさんの音楽プロジェクト「バカリズムと」ですが、第4弾にしてバンドとの初コラボレーションを果たしました。
バカリズム いつかはバンドとやりたいなと思っていたんです。「バカリズムと」プロジェクトは2017年の秦基博さんとのハタリズムが最初で、その後、いきものがかりの水野良樹さん、大原櫻子ちゃんとご一緒させていただいて。秦さんがゲスト出演した際に山内(総一郎)さんがコメント出演してくださったんですが、そこで「バカリズムさんとコラボしていてうらやましい」とおっしゃったんです。現場のディレクターも「来た!」と思ったのか「やりたいんですか?」と前のめりに山内さんにお聞きしたら「やりたいです」と。これはもう「録れてる? 今、『やりたい』って言ったよね?」といった感じでさっそくオファーさせていただきました(笑)。
山内総一郎(フジファブリック) 秦くんがほかのアーティストとのコラボをいろいろやっているのは知っていたんですが、バカリズムさんとのコラボがめちゃくちゃうらやましかったことを覚えていて。それでコメントを撮影しているときに「うらやましいな」と発言したら今回のコラボが決まったので、言ってみるものだなと思いました。
バカリズム そんなことをおっしゃっていただけてありがたいことですよ。フジファブリックにスタジオゲストで来ていただいたときにも「フジファブリックさん、一緒にやってくれないかな?」という話が出ていたくらいですから。だからあのコメントでそうおっしゃっていただけたのは、本当にタイムリーでした。
──具体的にこの企画が動き出したのはいつ頃だったんでしょうか?
バカリズム 今年の春でしたかね。山内さんのコメントを受けてすぐに動き出しました。フジファブリックにあまりコラボのイメージがなかったので、まさか本当にコラボできるとは……。
山内 お声がけいただけて本当にうれしかったです。「うらやましい」と言っただけで、こんなにスルスルと決まるものなのかと、スムーズさに驚きました。
──バカリズムさんはフジファブリックの音楽を普段からよく聴かれていたんですか?
バカリズム そこまで昔からではないんですが大好きです。フジファブリックはミュージシャンに愛されるミュージシャンなので、周りから名前を聞くことが多くて、それがきっかけで聴くようになりました。
──逆に山内さんはバカリズムさんのテレビなどでの活躍を見ていましたか?
山内 もちろん。大好きなんですよ。テレビでよく拝見していて、大喜利の番組なんかはバカリズムさんの回答を楽しみに観ています。脚本も書かれる方ですし、イラストもお上手で番組でのフリップ芸も楽しみなんです。先日ライブも観に行かせていただきました。
うわ、超フジファブリックだ!
──「Tie up(フジファブリズム)」はどのように制作を進めていったんですか?
バカリズム トラックを先に作っていただいて、僕が歌詞を書いたんです。お互いの“らしさ”を出してやったほうが面白くなると思ったので「フジファブリックらしい曲」というオファーをさせていただきました。そしたらね、本当に仕事が早かった。「バカリズムと」でいろんな人とやらせてもらって感じるのは、才能がある人は本当に仕事が早い。
山内 えー! 俺はそんなことないです! 普通にケツ叩かれまくりでしたよ(笑)。
バカリズム そうだったんですか。届いたトラックを聴いて僕は「うわ、超フジファブリックだ!」と感激したんですよ。リクエストしておきながら、“自分らしいもの”というテーマで作品を作るのが難しいのはネタを書く中で知っていたので、あのスピード感で「こういうことでしょ?」とあの曲を作ってくれたのは本当にすごいと思いました。前情報なしで聴いてもイントロだけでフジファブリックだとわかる、フジファブリック印の曲でした。
山内 自分たちもデビューから15年やっていていろんなタイプの曲があるので、正直けっこう悩んだんですよ。デビュー当時からずっと一緒にやっているエンジニアの方をはじめ、僕らの代表曲と言われている曲を作っているチームで制作したのでこういう形になったんだと思います。僕らは僕らで曲をお渡ししたあと「絶対に面白い歌詞が乗るだろうな」とワクワクしていました。
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作詞家として尊敬します