鮎川誠(SHEENA & THE ROKKETS)が生前に参加した楽曲を集めた企画アルバム「VINTAGE VIOLENCE~鮎川 誠GUITAR WORKS」が発売された。
鮎川の一周忌企画として編集された本作には、サンハウスやTHE ROKKETSの代表曲、Yellow Magic Orchestra、高橋ユキヒロ、原由子(サザンオールスターズ)、泉谷しげる、佐山雅弘らと共作した楽曲のほか、BLANKEY JET CITYとの共演音源「I'M FLASH "Consolation Prize"(ホラ吹きイナズマ)」、小山田圭吾によるSHEENA & THE ROKKETS「STIFF LIPS」リモデル版といった初CD化の7トラックを含む全25曲が収められている。
ロックンロールに愛され、死ぬまでロックンロールを愛した鮎川誠──その魅力を再確認できる「VINTAGE VIOLENCE~鮎川 誠GUITAR WORKS」を音楽評論家・小野島大に解説してもらった。
文 / 小野島大
ロックンロールを求め続けた鮎川誠
昨年1月29日に亡くなった鮎川誠(1948-2023)の一周忌企画として、SHEENA & THE ROKKETS以外のソロワークスや客演等を中心とした編集盤「VINTAGE VIOLENCE~鮎川 誠GUITAR WORKS」がリリースされた。
鮎川誠とは何か。ロックンロールへのひたむきな献身。バンドへの信頼。ギターへの愛情。ブルースへの深い深い敬愛。それに尽きる。鮎川はかつてこう語っている。
「『ロックンロール!』、言葉の響きだけで、胸がワクワクして、感性がピカピカに光る。ロックンロールは生まれてから50年にもなるけど、いつだってフレッシュやし、ピュアやし、どんな時でも俺に勇気をくれる。ロックンロールのない人生なんか、考えられんよ。あるとき、俺の胸の中で『Bomb!』ちゅう音がして、気がついたら、いつの間にか俺の脳髄体内血液すべてが、ロックンロールになっとったんよ」
「ソロもええけど、バンドの特権は4人とか5人でやる中、マジックやミラクルが生まれてくることやね。これはソロでは絶対できん」
「ロックはギターがなきゃ始まらん。ギターさえあれば、ロックは永遠にあり続ける。ギターと、強いヴォーカル、カッコいいドラムス、ご機嫌なベース、それだけでどこでもいつでもロックできる。ロックほど、ロック・ギターほど、ロック・バンドほど、ご機嫌でカッコいいものはない」
(鮎川誠著「'60sロック自伝」より)
「電気ギター持ってバンド作ってやるのなら、ブルースをちょっと拝んどかなきゃいかんのやないけ? エレキ・ギターを持ってやりよるスタイルの始まりは、ブルースマンなんやし。ブルースに触れたいと思う気持ちのない人の音楽なんて、ロックする心、ビートを求める心がまったくないに等しいと僕は断言するね」
(「ギター・マガジン」1993年7月号より)
しかしロックンロールとひと言で言っても、その領域は果てしなく広く、深い。鮎川はロックンロールが生まれる前のブルースやポップス、フォークやR&B、ジャズを探求するだけでなく、古い形式に囚われずに常に新しい音楽にも接してきた。彼の音楽はそうした裏付けがあるからこそ、凡百の徒がお題目のように唱える「ロックンロール」とは比べものにならない厚みと深さと広さがあるのだ。
「あの時代はすべてのバンドにパンクの影響があった。影響受けんヤツはアンテナが錆びとるし、ギター持っとってももったいないちゅう感じよ。パンクは色褪せんとよ。いつも毎日生まれ変わるけん。俺は今日もパンクなんよ。俺たちはルーツも大切にしてきたけど、そういうこともわかってた」
(「ギターマガジン」2018年3月号より)
「VINTAGE VIOLENCE~鮎川 誠GUITAR WORKS」は、18歳のときに初めてエレキギターを手にして以来、57年もの間ロックし続けてきた鮎川誠の業績の、ほんの一部である。「GUITAR WORKS」とあるが、ギターを弾いてない曲も、ロックとは言えない曲も、ブルースとはかけ離れた曲も、バンドサウンドとは言えない曲もある。だがそれでもここで鳴っているのは「鮎川誠の音楽」であり、その後ろに果てしなく広がるのは、音楽の豊穣な歴史と伝統がたっぷりと溶け込んだ大海なのである。
「VINTAGE VIOLENCE~鮎川 誠GUITAR WORKS」DISC 1解説(前編)
01. レモンティー / サンハウス
1975年6月に発表されたサンハウスの1stアルバム「有頂天」から。サンハウスは鮎川にとって最初のプロのバンドであり、これはその代表曲だ。後年の鮎川誠 / SHEENA & THE ROKKETSにとってもライブで必ず演奏する代名詞ともなった曲だが、昔からThe Yardbirdsの「Train Kept A-Rollin'」との類似性を指摘され続けた曲でもある。これについて鮎川は、「そもそもブルースなど黒人音楽は和歌で言うところの『本歌取り』の伝統があり、イントロやコード進行、アレンジ、メロディ、歌詞などよく知られている楽曲の形式や趣向を借りて新しい歌を作るという文化であって、自分たちもその伝統に則って作っただけだ」という意味の弁明を繰り返し述べている。チャック・ベリー(1926-2017)のロックンロールのスタイルが後発の無数のロックバンドたちに引用され続けたのはそのわかりやすい例だが、後年のヒップホップに発するサンプリングカルチャーもまた、そうした黒人文化のあり方のバリエーションの1つと言える。そもそもThe Yardbirdsの「Train Kept A-Rollin'」自体がカバーだが、「レモンティー」は菊こと柴山俊之(1947-)の書いた歌詞の圧倒的なインパクトとチカラによって、唯一無二の「日本土着のブルース」としてのオリジナリティを保ち続けている。こんな歌を作れるのは、世界中広しといえどこの時期のサンハウスだけだろう。鮎川誠は、生涯このブルースの伝統に忠実であり続けたミュージシャンだった。
02. Day Tripper / Yellow Magic Orchestra
鮎川が客演したYMOの2ndアルバム「Solid State Survivor」(1978年9月)に収録。The Beatlesのヒット曲のカバーだが、鮎川も細野晴臣(1947-)らもDevoがカバー……というよりは解体したThe Rolling Stonesの「Satisfaction」(1978年)を気に入っており、なら自分たちはビートルズをテクノポップ風に料理してやるかと、高橋幸宏(1952-2023)のアイデアでこの曲を取り上げたらしい。古いブルースやロックンロールだけでなく、パンクやニューウェイブ、テクノポップなど新しい音楽に敏感に反応する感性の柔らかさを鮎川は持っていた。エルヴィス・コステロ(1954-)の来日公演の前座を務めたSHEENA & THE ROKKETSを見た高橋が鮎川のことを気に入り(そのとき、結成して間もないシナロケにとっての初ライブだった)、細野に紹介したのが客演のきっかけだが、鮎川とほぼ同年代の細野はそうした鮎川のセンスを直感的に感じたのだろう。経験豊富なリスナーとして古今のポップスに精通しており、かつ新しいものへの鋭敏な触角をも持ち合わせている点も両者は似ている。レスポールの6弦を外して5弦で弾いた鮎川のソロは、切り貼りのうえ再構成されているようだ。ちなみに「Solid State Survivor」と、細野のプロデュースしたシナロケのアルバム「真空パック」(1979年10月)は、発売日がわずか1カ月違い。両者はほぼ同時進行で制作されたものと思われる。
03. MURDERED BY THE MUSIC / 高橋ユキヒロ
その高橋幸宏のソロアルバム「音楽殺人」(1980年6月)にも鮎川は参加。鮎川は高橋とともに共作者としても名を連ねている。ノスタルジックなオールディーズ風メロディと尖ったニューウェイブ風のアレンジ、トゥワンギーなギターソロ。新しいものと古いものが入り混じった曲調がこの時期の両者らしい。
04. 危険な関係のブルース / SHEENA & THE ROKKETS
YMOから離れ、ミッキー・カーチス(1938-)のプロデュースで制作されたシナロケのアルバム「ピンナップ・ベイビー・ブルース」(1981年9月)のために用意されたものの採用されなかった曲。1981年5月のリハーサル音源で、2006年にリリースされたレアトラック集「Rokket Factory~the worst and rarities of Sheena & Tne Rokkets in Alfa years~」が初出だ。モダンジャズの巨人アート・ブレイキー(1919-1990)率いるThe Jazz Messengersがフランス映画「危険な関係(Les Liaisons Dangereuses)」(ロジェ・ヴァディム監督)のサントラのために演奏した曲「No Problem」のカバーで、作曲はマイルス・デイヴィス(1926-1991)やチャーリー・パーカー(1920-1955)とも活動したピアニストのデューク・ジョーダン(1922-2006)。当時フランス映画では、「死刑台のエレベーター」(1958年)でのマイルス・デイヴィスなど、アメリカのジャズマンを音楽に起用するのが一種のトレンドだった。この曲は、哀愁あふれるテーマが超有名なファンキージャズの名曲だが、インストながら当時のシナロケらしい荒々しいジャンプブルースに仕上がっている。取り上げたのが鮎川のアイデアかミッキーのサジェスチョンか不明だが、いずれにしろ鮎川の音楽的知識の深さと幅広さを思い知ることができる選曲である。
05. ビールス カプセル / 鮎川誠
1981年10月の日比谷野音でのライブ音源を収録した、鮎川の初ソロ作品「KOOL SOLO」(1982年2月)から。シナロケのシーナ(1953-2015)登場前にパフォーマンスをしていた鮎川のリードボーカルパートを切り出したもの。従ってバックは当時のTHE ROKKETSである。作詞は柴山で、元はサンハウスの曲だが、シナロケの1stアルバム「SHEENA & THE ROKKETS #1」(1979年3月)が初出。ロックンロールやブルースの核だけを残して残りすべて削ぎ落としたような切り立ったストイシズムと、柴山節としか言いようがない危険極まりない歌詞が最高にカッコいい。サンハウスバージョンは後述の「クレイジー・ダイヤモンズ」に収録された。
06. キング・スネーク・ブルース / サンハウス
07. 地獄へドライブ / サンハウス
再結成されたサンハウスの日比谷野音でのライブ(1983年9月開催)の音源を収録した「クレイジー・ダイヤモンズ」(1983年11月)より。どちらもサンハウスの代表曲と言える名曲だ。「キング・スネーク・ブルース」は、ブルースのカバーばかりやっていたサンハウスが初めて作ったオリジナル曲。柴山が書いた歌詞に鮎川が曲を付けた。「この歌詞を鮎川が気に入らなければ、サンハウスはオリジナル曲を作り続けることはなかったかもしれない」とは柴山の弁。いずれも前出の「有頂天」にオリジナルバージョンが収録されている。柴山と鮎川はこのとき30代半ば。若い頃より一層すごみを増したゴリゴリに尖った演奏は強烈そのものだ。「クレイジー・ダイヤモンズ」はビクター内のレーベル・インビテーションから発売され、これを機に鮎川とビクターの生涯続く付き合いが始まった。
08. ヨコハマ・モガ / 原由子
サザンオールスターズの原由子(1956-)による2枚目のソロアルバム「Miss Yokohamadult」(1983年11月)のクロージングナンバーで、プロデューサーを務めた桑田佳祐(1956-)の作詞作曲。ノスタルジックなオールドジャズ風なアレンジの曲で、鮎川はギターを弾かず、原とのデュエットボーカルのみで参加している。2人の寸劇仕立てのセリフの応酬もある。この段階で鮎川の素朴で温かいボーカルの味に目をつけ起用した桑田と原の慧眼には脱帽のほかない。サンハウスの日比谷野音ライブと同時期の録音と思われるが、この極端な両面こそが鮎川の魅力である。ビクターのディレクターはサンハウスも手がけた高垣健(1948-)。なお、この時期の鮎川はシャワーという女性アイドルグループ(RIKACOが在籍)に「あっ!という間にビーチ・ラブ」(1982年1月)という楽曲を提供している。鮎川の60'sガールポップへの造詣と愛情がさく裂した隠れた名曲だ。