ASKA、憧れのデイヴィッド・フォスターとの共演を振り返る

ASKAが“憧れの人”であるデイヴィッド・フォスターとの初共演を果たしたのは2023年3月のこと。神奈川・ぴあアリーナMMでのコンサート「ASKA featuring DAVID FOSTER PREMIUM CONCERT 2023」は、即興曲を含むコラボセッション、ASKAの娘である宮﨑薫の参加など、見どころたっぷりの内容となった。

そんなコンサートの模様を収めたBlu-rayが1月17日に発売される。音楽ナタリーではこれを記念してASKAにインタビュー。デイヴィッドとの夢の共演を振り返りつつ、若返った声帯の真相、混乱する世の中で自分を保つ方法などについて語ってもらった。

インタビュー終盤には「音楽で世の中なんて変えられないですから」と発言したASKA。その言葉の前後には、自分の軸をしっかりと持つASKAらしい思いを聞くことができた。

取材・文 / 秦野邦彦撮影 / Yusuke Nishizawa

「SAY YES」で幕を開けたコンサート

──2023年3月に東京、神奈川、兵庫で開催された「ASKA featuring DAVID FOSTER PREMIUM CONCERT 2023」より、ぴあアリーナMM公演の模様がいよいよBlu-rayで映像化されます。ASKAさんとデイヴィッド・フォスターさん、2人のレジェンドによる世紀の共演を待ちわびていたファンの方は多いと思います。

あのライブは僕もうれしかったですけど、デイヴィッドもすごく喜んでましたね。本来は年内に映像化したかったんですけど、ちょっと欲張ってしまって。以前、デイヴィッド・フォスターが自身が手がけた映画音楽でグラミー賞にノミネートされたって話がありましたよね。あの映画の映像を使いたくて配給会社にBlu-rayに入れることができないか交渉していたんです。いけると思ったんですけど、権利的にどうしても難しいみたいで。それで1カ月遅れてしまいました。

──演奏を担当するのはピアニスト澤近泰輔さん率いるASKAバンド、Get The Classics Strings、そしてスペシャルゲストとして宮﨑薫さんもボーカリストとして参加されました。開演と同時にASKAさんのソロパフォーマンスが始まりましたが、まさか1曲目からシングル売上282.2万枚を誇る大ヒット曲「SAY YES」を披露されるとは、会場のお客さんも予想していなかったのではないでしょうか。

うん、そこは狙ってました。ただ共演という物珍しさだけでステージをやっちゃいけないと思ったんですね。やっぱりお客さんに喜んでもらってのステージなので。僕のライブをずっとご覧になられている方だけではなく、デイヴィッド・フォスターのファンや、僕とデイヴィッドが同じステージに立つことで興味を持たれた方もいらっしゃるだろうし。そういうのを複合して考えると、やっぱりつかみは「SAY YES」だなと思ってこの曲にさせてもらいました。

──普段のツアーで歌われるときとは心境も変わるものですか?

どうでしょうね。喜びのほうが先だったので、緊張は何もなかったんですよね。僕は不思議と、初めてデイヴィッドとお会いしたときから全然緊張しなくて。

──それは憧れの人に会えたというより、同志を見つけたという感覚ですか?

いやいや! そんな言葉は使えないです。やっぱり憧れの人ですね。だってデイヴィッド・フォスターじゃないですか。Airplay(デイヴィッド・フォスター、ジェイ・グレイドンによるユニット。1980年に発表したアルバム「ロマンティック」はAORを代表する名盤)の人ですよ? もうどれだけ音楽業界が一色に染まったか。しかもデイヴィッドはAirplay、作曲家、プロデューサーと3回染まらせましたから。こんな人はもう未来永劫出てこないでしょうね。

──16のグラミー賞を獲得し、最も成功した作曲家・プロデューサーの1人ですからね。ちなみに、これまでASKAさんがお会いして緊張した方はいらっしゃるんですか?

ポール・マッカートニーはさすがに緊張しました。デイヴィッドもポールに会ったことがあるそうで、The Beatlesの解散話を聞かせてもらいました。世の中に出てる話とは全然違いましたね。

ステージで過ごした幸せな時間

──序盤に披露した6曲の中でも、ソロデビュー曲「MY Mr. LONELY HEART」からデイヴィッドさんの登場パートにつなぐあたり、「僕のこれまでの歩みをデイヴィッドに見せたい」という思いが感じられて、たまらないものがありました。

「MY Mr. LONELY HEART」は僕にとってデイヴィッドの音楽を知った入り口みたいなものでしたから。あそこから曲の作り方が変わりましたし。今回セットリストを決める際、「曲を聴かせてほしい」と言われて、そこからデイヴィッドが選んだ楽曲もあるんです。彼がスコアを書いてくれたんですけど、上がりがものすごく早くて。ああ、こうやってちゃんと書いてくれるんだなって感激しました。リハを含めて準備期間は短かったんですけど、ギュッと濃縮されたところを用意しつつ、最後に再びデイヴィッドに出てきてもらおうっていう大まかな構成は見えていて、そんなに大変ではなかったんです。それに、一緒のステージに立って自分の楽曲を聴いてくれてることにファンとして感動がありました。そこは同じステージに上がったパフォーマー同士なんて言い方は僕にはできないです。「デイヴィッド、ありがとう」でしたね。本当は“デイヴィッドさん”と言わなきゃいけないんだろうけど、向こうではみんな“デイヴィッド”なんで、僕もそう呼ばせてもらってるんですけれども。

──流暢な英語でデイヴィッドさんを迎え入れたときのやりとりも手慣れた感じでしたね。

本当はもっといろいろしゃれたことを言いたかったんですけど、ステージ脇からデイヴィッドの顔が見えたので「早く呼び入れなきゃ!」と思っちゃって(笑)。それで僕が会場のお客さんに日本語で説明していたら、すかさず彼が「ヘイ! (日本語はわからないから)英語で話してくれよ」って、ひと笑い取ってたでしょう? デイヴィッドはパフォーマーだし、エンタテイナーだし、その場の空気を一瞬で変えることができる人ですよね。

ASKA

──デイヴィッドさんが演奏に加わって最初に披露されたのは、ジョシュ・グローバンなどのカバーで知られる壮大なバラード「You Raise Me Up」。難しい高音部も軽々と歌いこなされていました。

いやいや、軽々とじゃないです(笑)。デイヴィッドが5曲ぐらい候補曲を送ってきたんですよ。この中から1、2曲やらないかって。まあ、パッションいっぱいで歌うのもいいんですけど、デイヴィッドとやる機会もそうそうないものですから、しっかり歌えるものって考えたときに「You Raise Me Up」になりましたね。

──共演に際して、ASKAさんの中でチャレンジという意識はあったんですか?

そこまで考えなかったですね。すごく幸せな時間をいただいたと思っているので、思いっきり楽しもうと思ってました。最初はデイヴィッドが限られた出演時間の中でプロデューサーとしてどういうステージを構築するんだろうと思って、積み上げていくところを見るつもりだったんです。でも、そういう自分の考えはデイヴィッドが現れた瞬間にシャットダウンしました。なくなりました。そんなことより一緒に楽しもうって気持ちになったので。

本当に上に行く人ほど“普通の人”になる

──音の魔術師たるデイヴィッドさんは、今回もYAMAHAのグランドピアノを弾かれていましたね。

デイヴィッドはYAMAHAのピアノが好きなんですって。一番いいって言ってました。とにかく気遣いのできる人なんですよね。僕だけじゃなくメンバーに対しても本当に素敵な人で、男の色気満載でしたね。僕はポール・マッカートニーにお会いしたときもそう思ったんですけど、本当に上に行く人──とんでもなく上に行く人ほど“普通の人”になっていくんだなって感じたんです。みんなから尊敬されて、称えられて、崇められてというのはこちらの感覚で、そういう人たちはとてつもなく“普通の人”になっていくんだなって。デイヴィッドにもそれを感じましたね。リハーサルでもメンバーにすごく話しかけてくれて。彼らもデイヴィッドと同じステージ立てる喜びは大きかったですから。

──バンドメンバーとは事前にどんなお話をされたんですか?

前々回のツアーが終わったときに打ち上げをやったんです。Blu-rayができあがったから、みんなで集まって観ようよって。観終わって全員拍手したところで「僕からみんなにお知らせがあります」と。「今ちょうどデイヴィッド・フォスターに連絡していて、どうなるかわからないけどなんとなく一緒にやりそうなムードは感じる。そのときはデイヴィッドに演奏は僕のメンバーでやりたいって伝えるから、みんな頼むぜ」と言ったら、全員「イエーッ!!」って。それが形になったんです。

──それは士気が上がりますね!

澤近(泰輔)なんて、ものすごく影響を受けてますから。僕らの世代のポップスをやるミュージシャンで、デイヴィッド・フォスターを聴いてない人はいなかったと思いますよ。映画音楽やクラシックの人も含めて。

──バンド、ストリングスともども一体感を感じられる演奏でした。

デイヴィッドはさすが自分の見せ方をよく知っていて、歌っているボーカリストを背中越しで応援するんですね。ニコっと笑ったり、「Here we go!」って言ってみたり。ボーカリストがいいパフォーマンスをしたら、後ろでデイヴィッドが「いいね!」って表情をする瞬間をお客さんは見てるわけですから、これは盛り上がりますよ。パフォーマーとしてのあり方をものすごく心得てますよね。

──さすが60年近くショービジネスの世界を渡り歩いてきた方です。

以前「デイヴィッド・フォスター&フレンズ・ライブ」と題して、デイヴィッドが自ら声をかけたミュージシャンとラスベガスでライブをやっていたでしょう? もっと出会いが早かったら、僕もあそこに呼んでもらいたかったなと思ってるんです。でも、それもすべてが流れなので、そのときやるべきじゃなかったんでしょうね。だから今回できて、ちょうどよかったんだと思います。

ASKA

──デイヴィッドさんが奏でる映画「St. Elmo's Fire」のテーマやChicagoのヒット曲メドレーもぜいたくな時間でした。「Chicago 16」(1982年にリリースされ、プラチナディスクを獲得したアルバム)をデイヴィッドさんがプロデュースする際、「僕は君たちがデビューした頃からの大ファンだけど、今の君たちは全然ダメだ」と言って、1年かけて「Hard To Say I'm Sorry」を筆頭に名曲たちをボーカルのピーター・セテラと作り上げたそうですね。

そうそう。それでChicagoのメンバーと大ゲンカしてるんです。ピーター・セテラはデイヴィッドとすごくフィーリングが合って、さっさとChicagoを抜けてデイヴィッドと一緒に曲を作るようになるんですよね。その1つが映画「ベスト・キッド2」の主題歌「Glory of Love」(ビルボード1位 / 第29回グラミー賞ノミネート)なんですけど、そのあたりの話もデイヴィッドから聞きました。当然Chicagoとしては面白くないわけですよ。「Chicago 16」が売れたときはうれしかったと思うんですけど、「Chicago 17」「Chicago 18」と続くとデイヴィッドの力で売れてると言われることに不満があったようです。Chicagoとしてもプライドがあったでしょうからね。でも、実際なぜ売れたのかなんてことは自分たちでわかってる。それは他人から言われたくない。葛藤は大きかったでしょうね。その結果デイヴィッドは離れるけど、別のプロデューサーと作った「Chicago19」は、デイヴィッド・フォスターの音楽をまるまる継承していたじゃないですか?「19」も、いいアルバムでしたよ。