ASKAが昨年、ソロデビュー35周年を迎えた。そんな彼の節目を飾った昨年11月発表のアルバム「Wonderful world」は、CHAGE and ASKA名義で発表された既発曲の新録バージョンを含むバラエティに富んだ内容で、古くからのファンもうなる“今のASKA”を存分に感じられる充実作となった。
音楽ナタリーでは今回、3月16日に神奈川・ぴあアリーナMM、19日に兵庫・兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールでデイヴィッド・フォスターとの共演コンサートを行うASKAにインタビュー。世界的なプロデューサーであるデイヴィッドから受けた影響や、コンサートに向けた意気込み、さらに43年間のブランクがありつつも熱心に取り組んでいる剣道の話題などについても語ってもらった。
取材・文 / 秦野邦彦インタビュー写真提供 / フォトスタジオアライ
デイヴィッド・フォスターとの出会い
──今回はいよいよASKAさんとデイヴィッド・フォスターさんの共演コンサートが開催されるということでお話をうかがいに来ました。
音楽ナタリーさん、いつもありがとうございます。僕が何も動けなかったときにも本当によくしていただいて。
──これまで音楽ナタリーでASKAさんは「アーティストの音楽履歴書」(参照:第6回 ASKAのルーツをたどる)や、昨年のニューアルバム「Wonderful world」のインタビュー(参照:ソロデビュー35周年を迎えたASKAにとっての“心の鍵を壊されても失くせないもの”)でも、1980年代後半にデイヴィッド・フォスターの音楽に出会い、多大な影響を受けたという話をされていました。具体的にどんな作品と出会い、どういったところに魅了されたんでしょうか?
僕は昔から、みんながフォークやロックを聴いているときに映画音楽ばかり聴いていたんですね。映画音楽の柔らかさとか、心をつかんで離さないメロディにすごく傾倒していて。自分で音楽をやるようになってからも、洋楽のロックやポップスよりも映画音楽を聴いていたんです。そういう背景が自分の中にあることはずいぶんあとになって語れるようになったんですけど、長い間「何を聴いてきたんですか?」と質問されても「よくわからない」って答えてたんです。あるときふと、「あ、自分は映画音楽を背景にメロディを作ってきてたんだ」って気が付くんですね。それって「ほかの人とは違いますね」と周りから言ってもらえて、受け入れてもらえることだと思ったし、自分の売りなのかなと。そんなときに映画「セント・エルモス・ファイアー」(1985年公開)の音楽アルバムが発売されて、ひさしぶりに素晴らしいサントラが出たなと思ったんです。
──「セント・エルモス・ファイアー」は、エミリオ・エステベス、ロブ・ロウ、デミ・ムーアといった当時人気の若手俳優が出演した、大学を卒業したばかりの男女の友人グループによる青春群像劇です。
当時のアメリカ映画は(シルベスター・)スタローン、(アーノルド・)シュワルツェネッガーが出てきて、アクションもの、スペクタルもの全盛で劇画タッチのサントラが多かった中、自分の求めていたものはこれだと思って。とにかくメロディありきの素敵なアルバムで、ずっと聴いてました。そのあとChicagoの「Chicago 16」というアルバムをある人の紹介で知って、「Chicagoってこんなに素晴らしいんだ」と驚いて。
──大ヒット曲「素直になれなくて(Hard to Say I'm Sorry)」を収録した1982年のアルバムですね。
そう。で、前作の「Chicago 15」を聴いたら「Chicago 16」と全然違ったし、初期の作品はもっと違う。「なんで『16』と過去作でこんなに違ったんだろう?」と思っていろいろ調べたら、プロデューサーとしてデイヴィッド・フォスターのクレジットを見つけたんです。さっき話した「セント・エルモス・ファイアー」の音楽プロデュースもデイヴィッドだとのちのちわかって、いろんなつながりの中で「誰に影響を受けたのか?」という問いにしっかり答えられなかった自分は、今後この人の名前を出していこうと決めました。彼から受けた影響は大きくて、「デイヴィッド・フォスターだったらこの曲の展開をどうするだろう?」なんてことまで考えるようになりました。
──ASKAさんの琴線に触れる音楽にデイヴィッド・フォスターが携わっていることが多かったと。
僕より少し前の世代だと、多くの方がThe Beatlesを通ってるんです。もちろん僕も影響は受けてますよ? ポール・マッカートニーのアカデミックさは素晴らしいですから。ジョン・レノンのフックのあるメロディもいいけど、アカデミックさというところではポールはジョンの比ではない。映画音楽をずっと聴いてきた流れでThe Beatlesにも惹かれていた中、最もガシッとハマったのがデイヴィッド・フォスターでした。この出会いをきっかけに、それまでの自分の音楽が本当にちゃちく感じてしまったくらいで、「思い切りこの人に影響されてみよう」と決めてからは曲作りが大きく変わりました。「PRIDE」なんて特に影響されてますよね。「MY Mr. LONELY HEART」なんて、もろChicagoですよ。デイヴィッド・フォスターって音楽的にすごく難しいことや作為的なこともやってるんですけど、ここぞというときにとてもオーソドックスなことをやるんです。だからどんなに複雑なことをやっても、それは複雑なことが複雑に見える“仕掛け”なんですよ。しかもサビではとてもわかりやすいメロディが出てくるので、一気に心をつかまれる。そういうことができる方です。あとは音の強弱ですよね。ダダダーン……みたいな強弱の中で柔らかいメロディがさっと出てくるみたいな。「音楽って強弱なんだな」ということを教えてくれたのがデイヴィッド・フォスターでした。
──そんなデイヴィッドさんとのコンサートが実現するわけですが、劇的な出会いがあったそうですね。
劇的な出会いっていうか僕がゴリ押しでいっちゃったんでしょうね(笑)。2018年に来日したとき(「Blue Note Tokyo 30th Anniversary presents AN INTIMATE EVENING with デイヴィッド・フォスター」)に楽屋まで呼んでくれるっていうのでお邪魔して、ちょっとお話をさせてもらったんです。それから4年後の昨年8月にまたショー(「AN INTIMATE EVENING WITH DAVID FOSTER デイヴィッド・フォスター Billboard Live 15th Anniversary Premium Live」)を観に行ったとき、デイヴィッドが「誰か歌いたい人はいませんか?」と言うので手を上げて、ステージで歌って、自分の存在を確認してもらったんです。それで今回コンサートのオファーをしたら受けてくれたという。よくよく考えると彼と僕は音楽家としての階級が違うわけですよ。そこはもう認めなきゃいけないぐらい違う。でもそういう方が、共演のオファーを受けてくれた。こんなことって……まあいつかこの先、誰かが同じようなことをやるでしょうけど、今の時点ではありえないくらい貴重な出来事なので、音楽ファンの方にはぜひ観てほしいですね。
──ラスベガスで行われた「デイヴィッド・フォスター&フレンズ」コンサートのライブ映像を観ると、ピーター・セテラやチャカ・カーンといった一流シンガーが次々と出てくるスタイルでした。しかも自身のパートで「そう言えばこんな曲もあったね」って語りながら自身のヒット曲のイントロをピアノで弾くと、観客がわっと沸いて一緒に歌い出すという場面もあって。
そうそう。デイヴィッドに声をかけられて断る人はいないでしょうね。「彼に認められた」ってだけでみんな喜ぶんじゃないでしょうか。
──ASKAさんもまたその1人ですね。
いやいや! 僕の場合は認められたんじゃなくて、僕からお声がけしてやっとそれが叶ったという。「胸を貸してくれたな」と感じているので、思いっきり飛び込んでみようと思ってます。
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デイヴィッドとその日限りの即興曲を作りたい