松本隆、槇原敬之、aikoらから学んだこと
──ひと言で言うのは難しいでしょうけど、杏沙子さんにとって松本隆さんの歌詞の魅力はどんなところにありますか?
風景の描写の仕方ですね。卒論のタイトルも「松本隆の風景」って付けたんですけど、どの曲を聴いても風景が感じられるし、色まで感じ取れる。でもそれはガチっと固定されたものではなくて、聴く人それぞれが思う風景だったりする。松本さんも「どの人も寝転ぶことのできるハンモックみたいな歌詞を書くことを意識している」というようなことをおっしゃってましたけど、まさにそんな感じで、自由に感じ取れる余白があるんですよね。
──「風街」という言葉がまさしくそうした表現の象徴のようなものですよね。
「風街」はどこでもいいんだ、その人にとっての場所でいいんだよというようなことを話されてますよね。そういうふうに、聴く人に委ねられるような歌詞を書くことを私も目標にしていきたいと卒論を通して思いました。
──ほかに好きな作詞家とかソングライターというと、どんな人がいます?
槇原さんはやっぱり好きですね。歌詞に引き付けられるし、ちゃんと理解したくなる。あと平井堅さんの曲も歌詞を深く味わいたいと思わされます。
──では、メロディに関して影響を受けた人はいますか?
aikoさんはメロディの部分でだいぶ影響を受けてます。自分から出てくるメロディのルーツになっている。あとは、いきものがかりさんも、どの曲もメロディが大好きで。aikoさんの曲は不思議な展開をするじゃないですか? そういう曲を書く面白さ、難しさってあるだろうなって思うんですけど、でも、いきものがかりさんのようにシンプルでまっすぐなメロディを作るのもまたすごく難しいということが、自分で作るようになってからわかってきましたね。
初めて作った「道」で歌ったリアル
──杏沙子さんが自分で曲を作るようになったのはいつからなんですか?
大学2年のときです。ピアノは4歳から弾いてましたけど、かといってプロの方のように弾けるわけでもないし、それで作詞作曲ができるわけでもない。人前で歌いたいという気持ちは子供の頃に始まって大学に進むまでにどんどん大きくなっていったんです。でも私が1人でステージに出ていったところで何ができるのかもわからない。そういう不安とか葛藤がずっとあったんですけど、やっぱりやりたい、歌いたいというまっすぐな気持ちもずっとあって。そんな中で、作詞作曲しようみたいなこととかを何も考えずに、自然にそのときの気持ちが歌になってでてきたのが「道」という曲なんです。それが初めてできた曲。だから歌詞もそのときに本当に思ったことしか書いてないし。
──その曲の「きれいに生きなくていいんだよ」というところがすごく刺さりました。決意を歌にするにしても、自分の言葉で書いている印象で。葛藤しながらも「思い描く場所があるなら 今その足で旅に出よう」と心に決めた杏沙子さんの気持ちがリアルに感じられました。
はい。そのときは自分でも不思議なくらい、本当にナチュラルに歌詞とメロディが一緒に出てきたんです。だからこんなにまっすぐで、なんの混じりっけもない曲ができたんだなって思いますね。
──混じりっけのない歌詞を書くことは難しいですよね。
段々汚れていきますもんね。
──汚れるってことはないでしょうけど(笑)。
まだ大丈夫だと思います(笑)。
自分の曲をもっと作りたいな
──「道」は歌詞とメロディが一緒に出てきたということですが、普段は詞先、曲先、どっちが多いですか?
決まってなくて、どっちもありますね。「道」のように同時に出てくることもありますし。サビのワンフレーズだけ一緒に浮かんで、そこから肉付けしたりもしますし。
──ライブハウスで歌うようになったのは、「道」ができてからわりとすぐだったんですか?
「道」ができたのが大学2年ですけど、その前にアカペラサークルに入っていたんですね。そこからより真剣に歌に向き合うようになって、そのアカペラグループでライブハウスに出演するようになって、ライブハウスのブッキングをしているある方と仲良くなっていろいろ相談していたら、「まず1人で出てみたら?」と言われて。それで初めてライブをしたのが大学2年の秋。伴奏してくれる方が必要だったので探してお願いして、オリジナル曲はまだ「道」しかなかったので平井堅さんやいきものがかりさんの曲をカバーしたりして、最後に「道」を歌ったんです。
──そこで手応えを得た。
はい。初めてのライブですから観に来てるのは友達が多かったんですけど、初めて自分の言葉を自分のメロディに乗せて人前で歌ったときに、「こんなにもストレートに思いを伝えられるんだ⁉」って思って。「ああ、自分の曲をもっと作りたいな」って強く思ったんですよ。曲を作ったこと以上に、それを人に伝えられたということに感動した。そこからもっと真剣に曲を作るようになったんです。大学2年から曲を作り始めるって、世の中のシンガーソングライターの人たちからするとちょっと遅いのかもしれないけど、そこから月に2回くらいライブをやって、毎回新しい曲を歌おうって目標を立てて、実際にそれをするようになって。そんな中でさっきお話したプロデューサーさんと出会ったけど、うまくいかなくて。
──そうなんですね。
それで1回くじけてしばらく歌えなくなった時期があったんですけど、Superflyさんの「Last Love Song」に支えられながらどうにか過ごして、半年くらい経ったときに「またがんばらなきゃ」って思って。そこからはとにかくライブの数を増やそうと、いろんな人と会って、右も左もわからなかったけど周りの方に教えてもらって……もう無我夢中でしたね。でもつらい半年があったから、その反動でむしろ強くなれたし、お客さんが少しずつでも増えていったことが支えになりました。
──こうと決めたら力が出るタイプなんですね。
そうかもしれないです。でも聴きに来てくれる人がいたからがんばれたんだと思うし、歌うことがただただ楽しかったので。
次のページ »
インディーズでの活動を振り返って……
- 杏沙子「花火の魔法」
- 2018年7月11日発売 / Victor Entertainment
-
[CD]
1728円 / VICL-65025
- 収録曲
-
- 天気雨の中の私たち
- マイダーリン(re-recording)
- クラゲになった日の話
- 流れ星
- 花火の魔法
- 杏沙子(アサコ)
- 1994年生まれ、鳥取県出身のシンガー。大学時代に音楽活動を開始し、2016年に初のオリジナル曲「道」を含むインディーズ1stシングル「道」を発表した。2016年7月に公開した「アップルティー」のミュージックビデオが、中高生の間で注目を集めYouTubeオフィシャルチャンネルにて350万回再生を記録。2017年9月にはコバソロの1stアルバム「KOBASOLO」にボーカリストとして参加した。2018年7月にミニアルバム「花火の魔法」でメジャーデビューする。
2018年7月11日更新