ナタリー PowerPush - あらかじめ決められた恋人たちへ
池永正二が語る「DOCUMENT」劔樹人が語る「劔樹人」
劔樹人インタビュー
特に音楽好きでもなかったし、ただぼんやり時間が過ぎていた
──今日は「ベーシスト劔樹人はどのようにできあがったのか」というテーマなので、まず今までどういう音楽を聴いてきたのか教えてください。
中学生のときに尾崎豊を好きになったのが最初です。いまだに尾崎はソラで歌えるんですよね。僕、尾崎を歌うとうまいんですよ(笑)。
──尾崎ということは、やはりあのメッセージに共感したんでしょうか?
いや、その頃は「音楽が好き」って自覚は特になくて、みんなが聴くようなものを自分も聴いてたって感じです。その後はBLANKEY JET CITYとかが好きでした。THE YELLOW MONKEY、Green Day、フリッパーズ・ギター、Hi-STANDARDとかも。ハードロックとかは友達に薦められてもグッとこなかったんですけど。でも今言ったようなバンドにも別に、どれもすごくのめり込んだって感じでもなく……。好きな音楽について自覚的になったのはもうちょっと経ってから。19歳の頃に早川義夫さんを好きになったあたりですね。
──一番多感な中高生の時期に、それほど熱心に音楽を聴いてなかったと。
いわゆる音楽リスナーじゃ全然なかったんですよ。じゃあ何をやってたのかって言われたら……あんまりよくわかんない。普段何してたのかな(笑)。勉強はそれなりにできたんですけど、ちょっと偏差値が高い高校に行ったんで、その中では別に成績いいほうじゃなかったし。一応バンドもやったけど、今思えばそこまで熱心じゃなかったです。あ、高校では山岳部に入ってました。でも山岳部って、いわゆるスクールカースト的にはものすごく下なんですよね(笑)。
──僕も山岳部だったのでわかります(笑)。周りから見たら「なに運動部ヅラしてんだよ」みたいな存在で。
イケてる部活ではなかったですよね。そこで練習と称して、公園でサッカーとかしてました。
──「鬱屈した学生時代を送っていた」みたいなことも特にないんですか。
悶々とはしていたと思うんですよ。でも学生時代はそこまで表現欲求があったわけでもなくて。先のことも何も考えてなかったし、すごくぼんやりしてました。ただ時間が過ぎていったというか。だから、その頃にすごいドロドロした思いを溜めこんだとか、そういう感じでもなくて。
「お前は自分の人生を自分で決めたことがない」って言われて
──そんな人がどうして10代の終わりになって、サブカル的な趣味にシフトしたんですか?
大学の友人の影響ですね。最初はスキー部に入りたかったんですけど、たまたま出会った人に誘われて音楽サークルに入ることになって。難波ベアーズが大学からすごく近かったから、先輩と行くようになったんです。そこで完全にベアーズの洗礼を受けて、ノイズとかアバンギャルドとかそういうものを聴くようになって。あら恋の池永さんともそのときに出会ったんですよ。池永さんは当時ベアーズで働いてたので。その頃って「友達に会いたかったら、ベアーズに行けば誰かいる」って感じでしたね。
──で、それを観て自分もそういう音楽をやりたくなったと。
うーん、でもなんか別に自分には才能もないし、うまいこと何かができるとは思ってなかったんです。まあ、その頃からちょっと自我が強くなって、何かをやりたいって欲もちょっと出てきたんですけど、相変わらずぼんやりしてました。バンドを始めたのは、大学2年のときに先輩に誘われたからですね。イデストロイドっていうバンドなんですけど。
──どんなバンドだったんですか?
ダイナミックなノイズバンドみたいな。当時の大阪の音楽シーンに「関西ゼロ世代」ってあったじゃないですか。まさに僕なんかその中にいたんですが、もうその辺はみんなBOREDOMSの影響下にあったんじゃないかという世代で。でも同じことをやるのは絶対嫌で、やるからにはBOREDOMSと違うことをやって超えていきたい、って気持ちを持った人たちばかりだった気がします。その中では自分たちはBOREDOMS直系な感じで、カッコいいことをしてると思っていたので「自分もこのバンドでがんばってやっていきたい」「海外にも進出してみたい」みたいな夢もあったんですよ。
──ここにきて初めて自分の夢の話が出てきましたね。今までのエピソードは全部「周りの人たちに流され続けて、なんとなくたどり着いた」みたいな話でしたけど(笑)。
というかまあ、進路とか全然考えてなかったんで就職活動とかも一切してなくて。研究室では一生懸命勉強してたから「大学院に行こう!」って思い立って授業をもう1回受け直したりとかしてたんですけど、院試に落ちちゃって。だからもうバンドをやらざるを得なくなったという。
──ああ、ほかに選択肢がなくなって仕方なくなんですね(笑)。
でもホント流されてますよね。昔そのバンドのリーダーに「お前は自分の人生を自分で決めたことがない」って言われて、すごいショックでした(笑)。
──そういえば、そもそも数ある楽器の中から、なぜベースを選んだんですか?
高校生の頃に友達と初めてバンドやろうって話になったときに、ポジションが空いてたから。で、そんなに自分にできることの幅があるなんて思ってなかったし、ほかの楽器をやってみようという考えに至らず、そのままなんとなくずっとベースを弾いてたんですね(笑)。高校のときにちょっと練習してたから、大学に入ったときはけっこう弾けたんですよ。だから「経験者が入部した」って、先輩たちから期待されてて。
──実際、期待に沿うことはできたんですか?
それ以上は1年経ってもうまくなんなくて、先輩から「お前、全然伸びなかったな」って。一生懸命練習してたから、そんなこと言われてショックでしたね。でも、あるときになんか覚醒して、飛躍的にうまく弾けるようになったと感じるときがあったんです。すごく覚えてます。
- ニューアルバム「DOCUMENT」/ 2013年9月11日発売 / KI-NO Sound Records / KI-NO 001
- [CD] 2600円 / KI-NO 001
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収録曲
- カナタ
- Res
- Conflict
- へヴン
- クロ
- テン
- days
- Fly
"Dubbing 06" あらかじめ決められた恋人たちへ Release TOUR 2013
- 2013年9月22日(日)
- 京都府 京都METRO
<出演者>
あらかじめ決められた恋人たちへ / LAGITAGIDA - 2013年11月1日(金)
- 大阪府 梅田Shangri-La
<出演者>
あらかじめ決められた恋人たちへ - 2013年11月2日(土)
- 愛知県 池下CLUB UPSET
<出演者>
あらかじめ決められた恋人たちへ - 2013年11月9日(土)
- 東京都 代官山UNIT
<出演者>
あらかじめ決められた恋人たちへ - 2013年11月16日(土)
- 福岡県 天神graf
<出演者>
あらかじめ決められた恋人たちへ / LAGITAGIDA / チーナ / 百蚊 / Hearsays - 2013年11月23日(土・祝)
- 岡山 YEBISU YA PRO(オールナイト)
<出演者>
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あらかじめ決められた恋人たちへ
(あらかじめきめられたこいびとたちへ)
1997年、池永正二(Track、鍵盤ハーモニカ)のソロユニットとして活動をスタートしたエレクトリックダブユニット。当時の池永の勤務先、大阪・難波ベアーズを中心としたライブハウスやカフェ、ギャラリーなどでライブ活動を開始し、2003年アルバム「釘」をリリースする。2005年のアルバム「ブレ」のリリースを経て、2008年に拠点を東京に移すと、クリテツ(テルミン、Per、鍵盤ハーモニカ)、元ズボンズのキム(Dr)、元ミドリの劔樹人(B)を迎えたバンド編成でのライブを積極的に展開。同年に3rdアルバム「カラ」を、2009年にはライブ音源をエディットしたフェイクドキュメンタリー的アルバム「ラッシュ」を発表する。そして2011年に全曲バンドレコーディングによる「CALLING」を発売。これと前後して“叙情派轟音ダブバンド”としてその名を広く知らしめ「FUJI ROCK FESTIVAL」「BAYCAMP」「RISING SUN ROCKFESTIVAL」「朝霧JAM」など、大型ロックフェスにも多数招へいされる。2012年、30分2曲のミニアルバム「今日」をリリースし、2013年9月には5枚目のオリジナルアルバム「DOCUMENT」を発表した。