藍坊主が約4年ぶりとなる新作ミニアルバム「月の円盤」をリリースした。
2021年8月にドラマーの渡辺拓郎が脱退した藍坊主。新体制となって最初の作品となる「月の円盤」には、配信シングル「夏の金網」「プールサイドヒーローズ」に加えて新曲5曲が収録され、藍坊主の個性と新しさが共存した作品に仕上がっている。
音楽ナタリーでは、メンバーのhozzy(Vo)、田中ユウイチ(G)、藤森真一(B)にインタビュー。今作の制作エピソードを軸に、コロナ禍、メンバーの脱退を経て到達した現在の藍坊主について語ってもらった。
取材・文 / 森朋之ライブ写真撮影 / AZUSA TAKADA
「俺たち、ここにいるぜ」
──新作ミニアルバム「月の円盤」がリリースされました。まずは前作「燃えない化石」(2019年7月発売)以降の活動について聞かせてもらえますか?
hozzy(Vo) はい。コロナ禍になってからも、なるべく活動のペースを落とさないようにいろいろと模索していて。配信ライブもやったし、バンドとして動きづらい時期は、田中と2人で「半月酒場」というアコースティックユニットでライブをやったりしていました。
田中ユウイチ(G) うん。2020年以降ライブができなくなって。「俺らなんて、ちょっと立ち止まっていたら、いないのと同じになっちゃうな」と痛感したし、なんとかしなくちゃなと思っていたんですよね。配信ライブなどを通して「俺たち、ここにいるぜ」と少しでも示したかったというか。半月酒場はhozzyと俺、マネージャーの3人なので、中止になってもダメージが少なかったんですよ。
藤森真一(B) 半月酒場の活動を通して、2人がバンドを止めないようにしてくれて。水族館やプラネタリウムでライブをやったりして、バンドではできない新しいことに挑戦しているのも心強かったし、表現が深くなっていることにも刺激を受けていました。自分としては、コロナ禍になって逆に曲作りの時間が増えて。とにかくメロディを作っていこうと思っていましたね。
──hozzyさんも曲は書き続けていた?
hozzy えーと、正直、めんどくせえなと思った時期もありました。
田中 ハハハ。
hozzy バンドとして先が見えない中で、なかなか曲を作るモチベーションまで持っていけなかった。それよりも窮屈な思いをしながら観に来てくれた人たちがいたので、配信やライブのほうがテンションが上がっていたというか。その代わり藤森がいっぱい曲を書いてくれてたし、2人でスタジオに入って、藤森が作ったメロディに歌を乗せたりもしていて。そのときに形にした曲は、今作にも入ってますね。
渡辺拓郎の脱退……お互いが前向きに進むために
──そして2021年8月にドラマーの渡辺拓郎さんが脱退されました。当然、バンドにとっては大きな出来事だったわけですが。
田中 そっちのほうがデカいですね。
hozzy うん。コロナもすごかったけど、それと同じくらいのインパクトだったので。
──拓郎さんの脱退は、いつ頃から話が出ていたんですか?
田中 最初に話があったのは、「燃えない化石」の制作が終わったあとくらいかな。そのときはいろいろ話し合って、「できることを考えながら続けていこう」ということになったんですけど、コロナ禍になって、2021年に正式に脱退ということになり。理由を説明するのはけっこう難しいんですけどね。
hozzy 2019年くらいから脱退の話は聞いていたんですけど、気持ちの変化やバンドをやるモチベーションの限界もあり、「もうしょうがないのかな」というポイントが2021年8月だったんだと思います。俺らも引き止めるというより、「お互いが前向きに進むために、どうしようか」という感じだったので。
田中 大きく言うと、拓郎が理想としていたドラムというのがあって、藍坊主の中ではそれが満たせないということだったんだと思います、たぶん。ありふれた言葉で言うと、音楽性の違いということになるんだけど。
藤森 僕も概ね同じ認識ですね。拓郎が表現したかったこと、演奏に対する考え方にズレがあったのかなと。最終的には「拓郎も僕らも活動しやすい状態に持っていこう」と確認して。
──4人体制の最後のライブは、2021年8月19日の豊洲PITでした。
hozzy 結局、配信ライブになっちゃったんですけどね。本当はファンの皆さんに来てもらってしっかり送り出したかったんですけど、ちょうどコロナがまた流行ってしまって。拓郎のモチベーションを考えても「ここが限界だろうな」という中で、“延期なし、配信のみ”ということになりました。ファンの中には不満に思っていた人もいただろうけど、ちゃんと説明したら皆さんわかってくれて。ライブができただけでもよかったと思います。
──その後は3人体制で活動を継続されています。
田中 そうですね。僕ら3人のバンドに対する意思は同じだったし、それが強いものだということも改めてわかって。新しいメンバーを入れるよりは、まずはこの3人で藍坊主を高めていこうということになりました。
藤森 うん。実は2004年のメジャーデビューのタイミングのときも3人だったんですよ。
hozzy メジャーデビューの年に当時のドラムが脱退して。その後、拓郎がサポートで入ってくれて、正式メンバーになったんです。
藤森 それから17年経って、同じような状況になった。ユウイチのアイデアで、当時と同じ場所、同じような服装でアーティスト写真を撮ったんです。撮影してくれたのも当時と同じ、地元の人間で(カメラマンの大川直也)、「これからも応援します」とはっきり言ってくれました。ほかにもいろんな人が支えてくれて、いいリスタートが切れたのはよかったですね。
今の体制で練り上げた曲じゃないと意味ないよね
──3人体制になって最初に発表された楽曲は「夏の金網」でした。拓郎さんが脱退して3カ月後のリリースですね。
田中 その前から作っていたデモ音源などもあったんですけど、「このタイミングで出すんだったら、3人でイチから作って、今の体制で練り上げた曲じゃないと意味ないよね」という話になって。
藤森 確か脱退が決まって、発表するまでの間に作り始めたのかな。ファンの皆さんが好きになってくれる藍坊主らしい曲にしたいという気持ちもありつつ、どこかに「新しいことをやりたい」という欲望もあって。例えばAメロは一般的なポップスのコードではなく、クラシックっぽい感じになっていたり、サビの中でも展開があったり。hozzyの歌詞が乗って、ユウイチがアレンジしてくれることも想定しながら、「絶対にいい形になるだろうな」とイメージしながら作っていましたね。
hozzy 最初のデモは藤森の弾き語りみたいな音源だったんですけど、その時点で「すごくいいな」と思って。新体制になって気持ちも切り替わっていたし、これは絶対シングルにしたいなと。この頃、ちょうどオリンピックをやってたんですよ。男子バスケの試合を流しながら歌詞を書いてましたね。だから夏の歌になったのかも。
──当時の心境もダイレクトに反映されていて。
hozzy そうですね。自分はそのときの状況に影響されやすいんですけど、「どこまでも行けるはずさ」とか「僕ら心のまま」とか、まさにそうだなと。過去も大事だし、懐かしさや「戻りたいけど戻れない」という気持ちもいいなって思うんだけど、今感じている風だったり、この先の希望なんかも含めて“現在”ってすごく尊いなって。そこに焦点を当てて書いた歌詞ですね。アレンジはユウイチが進めてくれて。
田中 2人が話した通り、コロナ禍だったり、拓郎の脱退の中で作っていた曲なんです。「当たり前だと思っていたことがそうじゃなかった」みたいなことを強く感じていたし、個人的には、「藍坊主を好きで聴いてきた人たちは、今の僕らの音楽をどう捉えているんだろう?」ということも考えるようになって。それを全部つないでいけるような曲になればいいなと思ってアレンジしてました。あと、サポートドラムのHAZEさんの存在がすごくデカくて。もともと同じ事務所の先輩なんですけど、初めてスタジオに入ったときの感触がものすごくよかったんです。その後のライブもHAZEさんにお願いしていて、その手応えもめちゃくちゃいいんですよ。
hozzy うん。PICK2HANDというバンドのドラマーだった方で。
田中 同じメンバーで10年以上やってきたから、違うドラマーが入ってどうなるかなんてわからないじゃないですか。最初は不安もあったんですけど、スタジオに入ってバーン!と音を出した瞬間に「もう大丈夫だ」って。「もっと新しいもの、自分たちの奥にあるものを出していけるんじゃないか?」みたいなことも感じたし、1回のスタジオだけでいろんな閃きがありましたね。
藤森 まったく同じ気持ちです。
hozzy 俺も一緒です(笑)。同じ事務所なのもあって、以前対バンさせてもらったこともあるんですけど、当時から「すごいドラマーだな」と思っていたんですよ。まさか10数年経って一緒にやるとは思ってなかったけど、藍坊主のフィーリングに合わせてくれるし、本当にHAZEさんにお願いしてよかったです。
田中 実は、拓郎が脱退する以前からバンドが停滞していると感じることもあったんですよ。でも、HAZEさんが加わったことで目の前がパーッと開けた感じになって。藍坊主の曲は160曲くらいあるんですけど、「今のバンドでやったらどうなるだろう?」みたいな話もずっとしているし。先の希望も見えて、バンドが楽しい時期ですね、今は。
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藤森さん、天才かよ