しらふ 第1章【後半】

なんでこうなってしまったんだろう。昔は確か、もっと笑っていたし、もっとまともだったんだ。若者らしいそれ相応の無鉄砲さや、根拠の無い自信とか、僕にもあったはずなんだけれど、今となっては懐かしむだけの遠い思い出でしかないよ。

でもそのおかげで、というか、そのせいで、ミュージシャンに憧れて田舎から上京して、まぁ、色々あって、明日には田舎の実家に帰るんだけれどね。その辺の話はよしておくよ。良くある話だ。また暗くなっちゃったじゃないか。

そんな事を考えていたら、ホームレスが一人、公園に入って来たんだ。彼はこの駅周辺じゃよく見る顔で、水筒をぶら下げている。子供が遠足に持っていくようなやつ。あれには焼酎やら日本酒やらビールやら、空き瓶から集めたような雑多な酒がごちゃまぜに入っていてさ、それをちびちびやりながら、いつもほっつき歩いているんだ。一度、酒屋の脇で見かけた事があるんだ。彼もまた“素面の人間”で、飲まなきゃやってられないんだろうな。

これは僕の予想だけど、彼はこの世界と関わる事をやめたんじゃないかな。僕らを窮屈にさせる世間体とか、人間関係のしがらみとかさ。そういう社会的なルールの残酷さに気付いている人間は、この公園の中では僕と彼だけだろう。本来、人の暮らしやすい生活の為に出来たであろう暗黙の了解が、いつしか、それを乱す危険分子を隔離してしまう規律と言っていい程、したたかで、厳しいものに変わってしまったんだ。そしてそれが拡大解釈されて、平日の昼間から公園で酔っぱらっている人間や、家も仕事もない汚らしい外見の人間に対して、無視や蔑視という刑罰を静かに下す。僕ら、素面の人間が最も恐れているのは、酔っぱらいの無意識な自己統治なんだ。

だから、そういう面倒くさいものと決別したい、という気持ちはとても理解出来る。

普通の人間は、少年から大人になる過程で、そういうものと上手く折り合いをつける方法を身に付けるんだろうけど、時々それが出来ない、それが決定的に下手くそな人間がいるんだよ。甘えなんて言って貰いたくないね。それは僕の顔に産まれた時から張り付いているホクロ位に決定的なんだから。僕もそっち側の人間さ。あの子供達や母親達の側ではなくてね。酔っぱらいではなく、素面の側。罰する側ではなく、罰される側。だから一度彼の気持ちを聞いてみたいと思うよ。かといって関りたくはないんだけれど。

皆が皆、そんな風に考えて、互いの距離を測って生きているんだろうな。そして、その距離を上手く測れずに近づき過ぎたり遠ざかり過ぎたりしてしまう人間が、こんな匿名掲示板で傷を舐め合うしかやりようが無くなってしまうんだ。馬鹿みたいだね。

そんなような事をスレッドに書き込もうと思ったけれど、上手く言葉にまとまらなかった。

僕は一人で勝手に不甲斐ない気持ちになって、ベンチから立ち上がった。帰らなくちゃ。大嫌いなボロアパートだけど、引っ越す為の荷造りがまだ途中だ。明日には実家に帰る予定だけど、後一日あそこで眠らなければならない事を考えると酷く憂鬱だよ。けど、我慢しなくちゃ。

僕ふと思い立って、歩きながら携帯を取り出し、再度あのスレッドを開いた。

太陽は真上から少し傾いて、うつむいた僕の顔を覗き込もうとしているみたいだった。Tシャツの中で、汗が数本の筋を作って流れたのが分かった。八月の蝉の鳴き声と、遠ざかる子供達の笑い声と、車が走り抜ける音が混じり合って、なんだか無性に悔しいような、寂しいような気持ちになった。僕はスレッドに書き込んだ。

「俺は生まれ育った街で死ぬ事にしたよ」

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