[ALEXANDROS]が2016年11月発売の「EXIST!」以来となるニューアルバム「Sleepless in Brooklyn」を完成させた。
「Sleepless in Brooklyn」は[ALEXANDROS]が日本とアメリカ・ニューヨークのブルックリンを往復しながら制作した1枚。木村拓哉が主演を務めるPlayStation 4用ゲームソフト「JUDGE EYES:死神の遺言」の主題歌として書き下ろした「アルペジオ」をはじめ、書き下ろしの新曲を多数収録した13曲入りのアルバム作品だ。音楽ナタリーのインタビューではブルックリンでのメンバー4人の共同生活のこと、川上洋平(Vo, G)が「昔のものは早く捨てたい」と過去に発表した曲やそのイメージを脱ぎ捨てることを決めた経緯、アルバムの内容に紐付いたフードプロジェクト・Snack Time!とのコラボイベントについてなど、じっくり話を聞いた。
取材・文 / 清本千尋 撮影 / 草場雄介
刺激的だったひさしぶりの共同生活
──[ALEXANDROS]は秋にアルバムをリリースすることを今年の元日に発表しました。そのアルバムが「Sleepless in Brooklyn」で、今作は4人だけでアメリカ・ニューヨークのブルックリンで暮らしながら制作されたそうで。どれくらいの期間ブルックリンにいたんですか?
川上洋平(Vo, G) 合計で半年ぐらいですね。ブルックリンに一軒家を借りて、4人で共同生活をしながら制作をしていたんです。3日スタジオにこもって、2日オフ、また3日スタジオ……そのルーティーンでした。今年はライブのために帰国する感じでニューヨークを拠点に過ごしていたので、時差ボケもそうですけど、“場所ボケ”もあって、自分たちは今何月のどこにいるんだろうとか、この曲いつどこでできたんだろうとか……振り返ってみても正直あまりわからないです(笑)。
──以前4人で共同生活していたこともありますよね。実に何年ぶりの共同生活だったんでしょう?
川上 5、6年ぶりですね。全員バラバラに住んでもよかったんですけど、自然に4人で暮らしていましたね。
磯部寛之(B, Cho) うん。4人で暮らすことへの違和感が全然なかった。もともと4人で暮らしていたからっていうのもあるだろうし、ちゃんと個人の部屋はあったので。
川上 4人ずっと同じ部屋だったらさすがにキツいでしょ(笑)。
──オフの日は別々に過ごしていたんですか?
川上 完全にフリーなので、各々いろんなところに行っていましたよ。最初の1カ月で観光スポットはあらかた回り尽くしたし、それ以降はその場で生活をしながら曲を制作していた感じです。みんなライブにはよく行っていたけど、僕は舞台や映画もたくさん観ました。いろんなエンタメに触れられたし、メシも毎日違う国のものを食べられて、ニューヨークで制作ができてよかったなと思っています。
──川上さんと磯部さんは海外に住んでいた経験がありますが、ニューヨークで暮らすのは今回が初めて?
川上 はい。ニューヨークは小学生の頃に観光で行ったっきりでした。
磯部 俺も小学6年生のときに行ったな。クリスマスシーズンだったんだけど、めっちゃくちゃ寒くて。で、今回の冬もすごく寒かったんですよ。バーからの帰り道で鼻から空気を吸うだけで痛くて泣きそうでした(笑)。
川上 寒波が過ぎたあとだったから寒かったよね。もちろんこっちから防寒着は持っていったけれど、帰ってくるときにはみんなダウンジャケットを2、3着増やして帰ってくるっていう(笑)。
白井と庄村がニューヨークで得たものは?
──白井さんはブルックリンでの暮らしはいかがでしたか?
白井眞輝(G) ニューヨークは旅行で数回行ったことがあったんですけど、それはいわゆるニューヨークらしいところ……マンハッタンとか都市部だったんですよね。ブルックリンに行くのは今回が初めてだったんですけど、同じニューヨークとは言えけっこう違うんだなと思いました。マンハッタンが都市部だとしたら、ブルックリンは下町と言うか、ベッドタウンなんですよ。アメリカのリアルな暮らしを体験していろんな文化を知れてよかったなと思います。周りからしたらアメリカにかぶれて帰ってきたと思われているかもしれないですけど、自分としてはすごくいい刺激を受けたなと感じていて。
──それは具体的に言うとどういうところで?
白井 うーん、空気感ですかね。例えばスーパーマーケットのレジのスタッフの愛想がよかったり、そうじゃなかったりするんですけど、誰もそれを気にしている様子がないんですよ。日本だとそういうことがすごく気になるじゃないですか。でもニューヨークの人らってみんな「自分が何をするか」が大事で、他人が何をしていようが、あまり興味がないんです。日本だと、街なかでおじさんが大声で歌いながら道を歩いていたら振り向く人が多いと思うんですけど、ニューヨークだとみんな気にしていないんです。僕は日本でそういうのをすごく気にするタイプだったんですけど、でもよく考えたらそれって気にする必要がないんですよ。だってレジのスタッフの愛想がよかろうが悪かろうが、自分が欲しいものを買えれば問題ないんだから。ブルックリンで暮らしてみて「世間体を気にするばっかりに縮こまっていたんだな」と気付いて、意外と人の目を気にせず生きていくのもアリかもと思えたんです。それはギターのプレイや自分から出てくるフレーズにも影響していると思います。
──庄村さんはブルックリンでの暮らしはいかがでしたか?
庄村聡泰(Dr) よかったですねえ。アメリカは日本よりもずっと音楽が身近なエンタテインメントなんですよ。だから音楽をきっかけに現地の方といろいろお話ししたんです。アジア人でドレッドっていうのが珍しかったのか、よく「お前のドレッドすげえカッコいいな」って話しかけられて、そのまま音楽の話をすることもしばしば。僕は英語はさしてしゃべれないんですけれど、音楽が共通言語になって「そのTシャツのバンド、好きです」とか、話題が尽きなかったんですよね。タイムズスクエアの近くのステーキショップのウエイターとデスメタルの話題で盛り上がったのも楽しかったな。「日本でこのバンドの話を誰かとしたことなかったよ!」と伝えたら、相手も「いやいや、日本人でこんなコアなバンドまで知ってるの!? 俺はすげえうれしいぜ!」って喜んでくれたり。いかに音楽が身近なエンタテインメントとして根付いているのかを肌で感じられたのはすごく大きな収穫でした。
──そういった会話がアルバムの内容に影響したと思いますか?
庄村 もちろん。いろんな国の人たちと話していく中で、人種を問わず踊らせられるグローバルなビートってどういうものなんだろうとずっと考えていました。それで閃いたアイデアを翌日のスタジオで試してみたり、現地の人たちとの会話の中で得たものがしっかり反映されていると思います。
──磯部さんもブルックリンでの経験が自身のプレイに生かされていると感じますか?
磯部 はい。ブルックリンはレンガ造りの町並みからしてカッコよくて、街行く人たちがみんなオシャレで、自分なりに「魅力的とはどういうことなのか?」と考えながらレコーディングしていたので、そこで受けた刺激は確実に自分のプレイや音に出ていると思いますね。
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昔のものは早く捨てたかった