ナタリー PowerPush - 赤い公園

活動休止を経てつかんだ「公園デビュー」

作曲家しか職業を知らなかった

──今日は改めて津野さんの音楽的なバックグラウンドについても聞きたいんですけど、そもそも津野家は音楽一家なんですよね。その影響は計り知れないと思うんだけど。

津野 そうですね。おじいちゃんも、お父さんも作曲家です。

──おばあちゃんは宝塚出身なんだよね。

赤い公園

津野 そうです。父はいろんなジャンルの音楽を聴いてポップスを作る人だったんです。クラシック、ジャズ、フュージョン、現代音楽、アイドル、バンドものも聴くし。私がジャンル関係なくいい音楽はいいと思えるのは、津野家に生まれたからだと思いますね。家にはたくさんCDがあって、お母さんもピアノが弾けて。あと兄が2人いるんですけど、上はギターが弾けて、2番目はドラムを叩けるんです。私は小さい頃、ピアノを習う前はカスタネットやタンバリンを叩くくらいしかできなかったんですけど、家のリビングで突如として始まる音楽会に参加するのが楽しくて。

──プレイヤーとしての原風景だ。

津野 そうですね。その原風景が今、一番、赤い公園の演奏に生きてるなって思うんです。ピアノと歌に突然、笛が入ってこようが、みんなで一斉に歌い出そうがなんでもよくて。そこにみんなが集ってることが重要で。

──家族でフリーセッションみたいなことをしてたの?

津野 そうそう。みんなでジャムってました(笑)。お父さんがベースでバンマスをやって。家は防音設備とかあったわけじゃないんですけど、立川にあるアメリカンハウスで、裏の家に住んでる人もサックスを吹いてたりしてたから、遠慮なく演奏できて。

──思い浮かべるだけで素晴らしい光景ですね。

津野 ホントに幸せな時間でしたね。

──そういう環境で育ったら、自然と自分は音楽と生きていくんだって思うようになるよね。

津野 そうですね。幼稚園のときの将来の夢も「作曲家」って書いていて。作曲家しか職業を知らなかったんです。お父さんが作曲してお金をもらっている姿しか見てこなかったから。

曲が作れなくなる恐怖心といつも戦ってる

──高校で軽音部に入ったのは、バンドが組みたかったから?

津野 ホントは吹奏楽をやりたかったんですけど、サックスとか吹くのがめっちゃ疲れるんですよね(笑)。あと、吹奏楽の人間関係って独特で。女子がたくさんいるといろいろあるじゃないですか。純粋に音楽を楽しみたいと思ってたし、青春したいし、とりあえず入ったんです。

──そこで軽音部に入らなかったらどうなってたと思う?

津野 1人で、ピアノで曲を作ってたと思います。

──ギターは触ってなかった?

津野 触ってなかったと思いますね。アコギを軽く弾いたりすることはあったと思いますけど。

──そういう人が軽音部に入ってバンドをやろうと思ったのが、赤い公園の面白さの始まりですよね。

津野 そう思います。バンドでバンドっぽくないことをやってみたいと思ったのが始まりなので。

──アカデミックに音楽を学びたいと思ったことはないんですか?

津野 それはなかったですね。今になってピアノはずっと続けておけばよかったと思いますけど、自分で自由に曲を作りたいという気持ちが常にあったので。ピアノをやめたのも、課題で曲を作ることになって、そのときに先生から「ドとシを一緒に鳴らしちゃダメ」って言われて。そのとき習っていた範囲で曲を作らなきゃいけないことにどうしても納得いかなくて。それで音楽を学ぶことにちょっとトラウマがあるんですよね。

──制限されることが耐えられない。

津野 そう。でも、いつか余裕ができたらちゃんと音楽を学んで、自分の理論を広げたいなとは思ってます。

──津野さんにルーツを聞くといろんな答えが返ってくるじゃないですか。チャイコフスキーだったり、ジョン・ウィリアムズだったり、ジム・オルークだったり、椎名林檎さんだったり。そのときどきのルーツがあるんだろうなって。で、それを全部自分の音楽的な筋肉にしてるっていう。

津野 ああ、そうですね。年齢を言ってもらえたらそのときのルーツを答えますみたいな感じで(笑)。聴いてきた音楽を、自分の“筋肉”にしてやろうという執念はハンパないです。今までは自然とそれをやっていたと思うんですけど、バンドが仕事になってから、曲が作れなくなる恐怖心といつも戦っていて。ちょっと自分でダメだなと思う曲ができただけでもそのことばかり考えちゃうんですよ。だから、執念はどんどん強くなってますね。

高校時代から「津野先輩、すごい」

──これはほかのメンバーに聞きたいんですけど、高校の軽音部で津野さんは一目置かれる存在だったんですか?

歌川 オリジナル曲をやってる人が米咲くらいしかいなくて。しかもそのクオリティがめっちゃ高いから、みんな米咲の曲が大好きだったんですよ。「津野先輩、すごい」みたいな感じはありましたね。

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佐藤 私はバドミントン部だったから、軽音部時代の米咲先輩の話は2人のほうがよく知ってるんですけど、ある年に米咲先輩が組んでいたバンドが文化祭の開会式で曲を披露することになったんです。全校生徒の前で。当日を迎えるまでにみんなで盛り上げようってなって、毎日、休み時間とかお昼の時間の放送で米咲先輩のバンドの曲が流れることになって。私、その曲を最初に聴いたときに誰かのコピーだと思ったんです。それくらい自然ですごくいい曲だったんです。「え、これ津野先輩が作ってるの?」みたいな感じで。

藤本 そうそう、ふつうに「ミュージックステーション」とかで流れてもおかしくないような、みんなで口ずさめる曲で。自然すぎてすごかった。

──それはどういう曲だったんですか?

津野 めっちゃ感動する青春ソングみたいな。ポップロックみたいな、いかにもガールズバンドっていうサウンドですね。誤解を恐れずに言えば、私が今まで作った曲の中で一番いい曲だと思います。でも、いい思い出はいい思い出のまま封じ込めたくて。

ニューアルバム「公園デビュー」/ 2013年8月14日発売 / EMI Records Japan
初回限定盤[CD+DVD] 3500円 / TOCT-29184
通常盤[CD] 2800円 / TOCT-29185
収録曲
  1. 今更
  2. のぞき穴(Album Version)
  3. つぶ
  4. 交信
  5. 体温計
  6. もんだな
  7. 急げ
  8. カウンター
  9. 贅沢
  10. くい
初回限定盤DVD収録内容

5月5日大復活祭@渋谷クラブクアトロ映像(part2)

  1. 何を言う
  2. 公園
  3. 急げ
  4. もんだな
  • ドキュメンタリー映像「情熱公園」
赤い公園(あかいこうえん)
赤い公園

佐藤千明(Vo, Key)、津野米咲(G, Piano, Cho)、藤本ひかり(B)、歌川菜穂(Dr, Cho)からなる4人組。高校の軽音楽部の先輩後輩として出会い、2010年1月に結成される。さまざまなジャンルの音楽を内包したサウンドと、予測不能なアグレッシブなライブパフォーマンスが魅力。東京・立川BABELを拠点に活動をスタートさせ、自主制作盤「はじめまして」「ブレーメンとあるく」を経て、EMIミュージック・ジャパン(現ユニバーサルミュージック内EMI Records Japan)からミニアルバム「透明なのか黒なのか」でメジャーデビューする。しかし津野の体調不良を受け、2012年10月より半年間活動を休止。2013年3月1日活動再開を発表したのち、5月に東名阪で復活ツアーを開催し、8月に1stフルアルバム「公園デビュー」をリリースした。なお津野はソングライターとしても高く評価されており、SMAP「Joy!!」の作詞および作曲、南波志帆「ばらばらバトル」の作詞および編曲を手がけるなど活動の幅を広げている。