360 Reality Audio|音が全身を包み込む新たな音楽体験 三浦康嗣はイヤホンズ「記憶」をどう進化させたか? (3/3)

イヤホンズ「記憶」を立体音響で鳴らすなら?

──「記憶」を360 Reality Audioで作るうえで、音の配置はどのように考えていきましたか?

まずはさっき言った「ドラクエ型」で、リスナーが歌い手であるイヤホンズの3人の視点で聴くというのが前提ですね。そこでいきなり問題があって(笑)、360 Reality Audioはリスナーの頭の周りに球状に空間が広がっていて、プラグインソフトでそのどこかに音を配置するんですよ。主人公であるリスナーの位置、頭の中を中心に置こうとすると、そこには音を配置できない。でもド真ん前のセンターに配置する、2ミックスの超オーソドックスなやり方にはしたくなくて。それで、3人の声を足元に置くことを決めたんですよ。でもこれには音の特性があって、低い音というのは2ミックスでも低い位置に聞こえるんですけど、ボーカルを下に置いてもあまり低い位置に感じないんです。ベースもキックも同じ足元に置くという、普通ならやらないであろうことをやりました。なんでこんな広い空間があるのに真下に集めてるの?っていう。

──(笑)。

モノラルからステレオになってすぐの頃は、ドラムとベースが右chにいて、ピアノとギターが左chでボーカルが真ん中、みたいな、今聴くと無茶なパンニングの曲がいっぱいありましたよね。あれもきっとステレオという未知のフォーマットで試行錯誤していたんだと思うし、今聴いても面白い。いつの間にか思考停止で「キックは真ん中、ベースも真ん中、フロアタムはセットに合わせて左右に」みたいな配置をしちゃうようになったけど、360 Reality Audioでそれをやっても面白くないなと。さっき言ったようにそういうリアリティを僕は信じていないので。それはほかの360 Reality Audioのミックスとは考え方の違うところなんじゃないかな。まずは哲学というか「これはどういうことなの?」というのを自分なりに定めておかないと、自由すぎるからキリがないですよね。

──これまで以上に自由な空間配置ができる分、「ここにも置けるから置いちゃう」みたいな、筋の通ってないミックスをしてしまいそうですよね。その楽曲なりのしっかりとした筋、哲学を持っておかないと。

おそらくキングのスタッフがあまり面白さを見出せなかったのは、そういうことだと思うんですよね。「単に広くなるだけだよね?」っていう。「大丈夫、そういうことじゃないんだ」というのを明確に伝えておかないと、自分だけ理解していてもしょうがない。

三浦康嗣(□□□)

三浦康嗣(□□□)

──「記憶」には信号機や花火の音といった効果音がふんだんに盛り込まれているけど、単なる環境音ではなくリズムやメロディを構成する音としても機能しているので、どう配置するかはますます難しいですよね。

例えば花火の音は頭上で聞こえるものだから上のほうに配置したんですけど、この曲ではスネアやタムのような役割もあって。普通、ビート的な音色は上にあると音が抜けていっちゃうから、こんな配置にはしないと思うんですよ。信号機の高さというのは表現しにくいんですけど、耳で確認しながら微調整しました。下駄の音は真下かな。普通の楽器で使っているのはベースとエレピくらいで、ベースは足元に、エレピは歌い手=聴き手の気持ちを補足するような感じなので後ろかな?と。あとは音楽としていい感じになるように……この「音楽としていい感じ」がクセモノなんですけど、つい聴き慣れている2ミックスの感じに近付けちゃうんですよね。

──序盤はオリジナルバージョンとは違う音の広がりを楽しみながら聴いていたんですけど、後半のクライマックスに近付くにつれ、かなり混沌とした状態になりますよね。先ほどおっしゃった、夢の中のようなカオス感というか。それは2ミックスでは味わえないカオスな表現で。

曲の世界観としても、後半は夢なのか現実なのかわからなくなってくるから、めちゃくちゃでいいかなと。前半は現実的な配置を忠実に考えているんだけど、夢ってもっとグシャッとしてるから。その変化には気を配りました。静と動というか。常に動かし続けると飽和しちゃうから。人間は20秒も音を動かし続けてると慣れちゃうし、ありがたみがなくなるんですよ。ブレイクや“抜き”の部分は2チャンネルでも大事で。盛り上がる前には静かにする、という単純な話なんですけど。

──いろんな動かし方ができるからといって、動かしすぎちゃうとメリハリがなくなるし、飽きちゃうという。

そうそう。焼肉でもカルビとかマルチョウとか脂の強いものばかり食べてると飽きるから、いかにサンチュとかスープとかを挟むかが大事ですよね(笑)。それによって豊かな焼肉という食事のありがたみが味わえる。サイドディッシュがいかに大事か。音が広がらない時間を作るのが大事だなと思って。

──ちなみに360 Reality Audioでは最大128トラックのデータを操作できるところ、この「記憶」のミックスでは128を超えたとお聞きしたんですけど(笑)。

花火だけでも20数トラックあるから(笑)、少しまとめました。全部だと本当にむちゃくちゃなトラック数で、2チャンネルのミックスを作るときも1週間ぐらいかかってますからね。

──2チャンネルのステレオ以上に細かく理想を追求できるから、本当にキリがない。

その「理想」というのがまたクセモノでね。コーデックの種類にもよるし、聴く環境やヘッドホンの性能……Bluetooth接続か有線接続かでも変わってくるので。

「一緒に作っていこう」という気概を感じる360 Reality Audio開発者たち

──実際に360 Reality Audioのプラグインソフトで音作りを体験してみて、新たに作るオリジナル楽曲に使えそうな現実的なアイデアは浮かびましたか?

うーん、実際に作り始めてみないとわからないかなあ。「記憶」はストーリーがあって演劇・映画的な側面が強いから、それに沿って忠実にやってるんですけど、もっとシンプルにハッとすることができると思うし。なんとなく考えたことはあるけど……すごく漠然としたことを言いますよ? 2ミックスに比べて空間が拡張したのは確かだけど、それに対して“時間”を感じさせることができないかなって。例えば1000年前から飛んできた声や歌が、今の音に乗っかって1つの意味を成すような。「記憶」や「あたしのなかのものがたり」もある意味そういう発想の曲だし、2チャンネルでもできるんだろうけど、もっとシンプルに、説明なく“時間”を感じられる曲が、より没入感のある360 Reality Audioで作れたら面白そうだなと。映画館から出たとき、ちょっと景色が変わって見えるような感覚があるじゃないですか。ああいう何かが音楽で表現できたら。それは刷り込みに近いものでもあるし(笑)、危険ではあるんですけどね。

──確かに(笑)。ある意味リスナーの時間や空間を支配できるものなので、それをポップスとしてどこまで有効に表現できるかにチャレンジするのは、アーティストにとっては大きなやりがいですよね。

僕は15年ぐらい前からそういうことを意識しているんですよ。音楽のソフトも日進月歩で進化している今、作曲家というのは音楽理論を知っているとか楽器ができるとか、そういう特権にあぐらをかいていられなくなっているんです。昔、金持ちしかエレキギターを買えない時代は持っているだけで特権になっていたし、新しい輸入盤を入手できる金持ちな音楽好きのサークルだけが知り得た情報もあった。その特権性がどんどん解体されて、特にこの15年はそれが大きく加速した。適当に素材を組み合わせるだけでいい曲が作れたりとか、それこそスティーヴ・レイシーなんてiPhoneのGarageBandだけで素敵な曲を作ってるんですよね。究極的には素人でもすごいイメージを持っていればそのまま具現化できる時代が来る。世界中のおもれえやつが、音楽という枠でとんでもない才能を発揮するかもしれない。それでも俺は負けねえ、そうならなきゃダメだということを、15年ぐらい前からすごく考えているんです。

──□□□の進化やイヤホンズへの提供曲での実験性を見ると、それはすごく伝わります。

同時に、新しいものに対面したときに、今までの自分を捨てる訓練を積んできたほうだから(笑)、「当たり前」に囚われずに考えることができるというのは、自分で言うのもなんですけど、360 Reality Audioを扱うのに向いてるかなって。360 Reality Audioの技術者たちも、未知なものを手探りで作っている最中だから、こちらのいろんな意見を聞いてくれるんですよ。「一緒に作っていこう」という気概があって。それぞれの時代の“常識”があるけど、15年前を振り返っても全然違う。ものを作っていて楽しいのは手探りなときだと思うんですよ。正解がわからないときが一番燃えるし、そういうときじゃないと「作っている」という実感が持てない。だからいつもややこしい曲ばかり作っちゃうんですけど(笑)、このスタジオも僕らクライアントと一緒に模索してくれる。そういうマインドを持っているのはすごく豊かなことだし、この先が楽しみですね。

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三浦康嗣(□□□)

三浦康嗣(□□□)

プロフィール

三浦康嗣(ミウラコウシ)

□□□の中心メンバーとして1998年に活動開始。2004年6月に1stアルバム「□□□」を発表し、2007年8月に4thアルバム「GOLDEN LOVE」で坂本龍一が立ち上げたavex内のレーベル・commmonsよりメジャーデビューを果たす。実験精神あふれる楽曲が高く評価され、外部アーティストへの楽曲提供や舞台音楽などでも手腕を発揮している。2018年3月にリリースされたイヤホンズのアルバム「Some Dreams」に書き下ろし楽曲「あたしのなかのものがたり」を提供。以降もイヤホンズには「記憶」「記録」「はじめまして」と継続的に楽曲を提供している。