JAGATARAの映像作品「ナンのこっちゃい HISTORY OF JAGATARA」のBlu-ray盤が本日1月27日にSony Music Shop「オーダーメイドファクトリー」限定でリリースされたことを記念し、5人のアーティストのコメントが公開された。
「ナンのこっちゃい」はJAGATARAの10年間の活動をライブ、リハーサル、レコーディング、インタビューなどさまざまな貴重資料で振り返る映像作品。1990年の江戸アケミ(Vo)の死去に伴い、同年3本のVHSでリリースされ、2003年にはDVD化された。江戸の命日である本日発売となったBlu-ray盤は、3本分の映像を1枚のディスクにまとめて収録している。
コメントはオカモトショウ(
オカモトショウ(OKAMOTO'S)コメント
JAGATARAというバンドがなんだったのか、年表を追うように見ることができる映像がそもそもあることを知らなかったので、この映像は素晴らしかったです。5時間超、全然感じなかった!! あっという間に見終わって、今日からしばらくJAGATARAしか聴きたくない、JAGATARAでしか踊りたくない!
コムアイ コメント
大学時代、最寄駅から実家までの帰り道にじゃがたらの南蛮渡来をよく聴いていた。熱くなり、鼻血が出そうなっていた。キレッキレ。なにかに分類しようとしても、なんだかよくわからない。キレッキレなのだけはわかる! 江戸アケミが亡くなったのは、私が生まれる前だったんだ。音源の声で江戸アケミのことを知ったような気がしていたけど、彼の顔を、彼が動いて、声を出して、ステージの上で生きているのを初めて観て、目が離せなかった。彼の生きた人生、日本が若かった80年代の混沌を垣間見ることができた。本当にすごいスターがいたんだよ。そして江戸アケミを見守るメンバーたちの懐の広さよ。冷たく生命力の弱い生き物には、なりたくない!彼らを羨む暇があったら強く生きていきたいと思いました。
Mars89 コメント
あれから31年、さらに暗黒を深めた国の暗い暗い住人へ
この見渡す限りの荒野を行くとき
このブルーレイディスクによって再生されるJAGATARAの、そして江戸アケミの
その音が言葉がリズムが、31年の時を超えて我々に明日を生きる力を与えてくれるだろう!
ナンのこっちゃい!
近田春夫 コメント
江戸アケミの、日本語をビートに乗せるモダンなセンス――例えば「みちくさ」の“とんだーとっころでみっちくさしっちまったぁーぜぇ”とか――には、本当に感銘を受けた。
今振り返って何より思うのはそのことである。
七尾旅人 コメント
同郷の人、アケミさんが亡くなった年、まだ小学生だった自分は、ずいぶん遅れて十代の終わりに、じゃがたらのレコードと出会った。それから二十余年、ずっとじゃがたらは、僕が聴いた最も凄まじいバンドで、江戸アケミは、最も偉大なヴォーカリストのままだ。僕がずっと彼に対して感じてきたことを、アケミさん本人が言葉にしていた。「俺は音楽には興味のない人間だから。音楽じゃないんだよ。音楽じゃないんだよ」音楽じゃない江戸アケミは、まるで音楽そのものだ。欧米のポップカルチャーの翻案とローカライズに力を注いできた極東の島国の大衆音楽史を大きく覆すオリジナリティ、規格外のスケール。宇宙創生を告げるビッグバンのようで、渦巻くブラックホールのようでいて、大気圏外に放逐された小さな人工衛星のように空寂でもあったひとりの男。粉々に砕けた太陽のかけらが溶け込んだ雨が降る、日本南西部の辺境、中村(四万十)から出てきた男。ささやかなものを愛し、掻き消された声を聴き、都市と文明の未来を幻視する男。彼を信じてともに走り抜けたソウルメイトたちによる、音と言葉と存在の大伽藍。なんのために歌い、奏で、踊るのか。なんのために生き、そして死ぬのか。これほど本質に立ち返らせてくれるバンドは他にない。計5時間半、フレームのあらゆる一瞬に、すべてが詰め込まれている。わずか10年間でこのバンドが放った凄まじいエネルギー、希求、渇望、よろこび、挫折、光と影のすべて。これを一枚のブルーレイに詰め込んだ、類を見ない映像作品が、コロナ禍であえぐ2021年の人々の胸元に供された。これは灯りだ。あの頃の自分のように、じゃがたらと邂逅を果たす若い世代がたくさん現れるのではないだろうか。一緒に走りたい。永遠に古びることなく、この瞬間を生き続けるアケミと。
Jagatara2020のTV・ラジオ出演情報
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