1938年に中国で生まれたなかにしは、立教大学在学中にシャンソンの訳詞を始め、「知りたくないの」のヒットを機に作詞家デビュー。「今日でお別れ」「石狩挽歌」「時には娼婦のように」「北酒場」など約4000曲の作詞を手がけ、「天使の誘惑」ほかで日本レコード大賞を3回、同作詩賞を2回受賞した。
小説家としても活動し、1998年に自伝小説「兄弟」を発表。翌年発表した次作「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞した。満州からの引き揚げ体験を描いた「赤い月」は100万部に迫るロングセラーとなり、映画化もされた。また舞台作品の台本・演出も手がけるなど幅広い分野で活躍した。
葬儀は故人の遺志により家族葬で執り行われる。お別れの会も後日執り行われる予定で、詳細は追って発表される。
細川たかし コメント
先生とは私のデビュー曲「心のこり」を作詞して頂いたのが最初の出会いでした。「私バカよね おバカさんよね」冒頭の歌詞が余りにインパクトが強く、よくキャンペーンなどで子供に「あっおバカさんが歩いてる」などと言われる程でした。元々タイトルが「私バカよね」でしたがデビュー曲でこのタイトルは可哀想だと先生が「心のこり」と付けてくれたんです。
その七年後「北酒場」も先生の作品で私にとっての代表曲です。
先生本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りしております。
氷川きよし コメント
突然の訃報を聞いて、まだ、信じられない気持ちです。
なかにし先生は、すごい偉い先生なのに、私のような若い人間の話を真剣に聞いてくださり、心を汲んで、「母」という詩を書いてくださいました。
今年、こんな大変な世の中で、価値観や人生観が大きく変わっていくときに、この「母」を歌わせていただくというのは、自分の根幹、原点を見つめ直すためにも、本当に意味のあることだと思いながら、今年一年、歌ってきました。
本当に偉大な先生でした。
なかにし先生からいただいた「櫻」「出発」「母」は、先生からの人生のメッセージです。
なかにし先生の魂の作品をこれからも大切に歌わせていただきます。
先生、どうぞ安らかに。
そして、いつまでも見守っていてください。
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なかにし礼が82歳で死去、「北酒場」「時には娼婦のように」など約4000曲の作詞手がける https://t.co/kwpmJ1FSxU