大森は自身のブログ「あまい」内にコメントを掲載し、バンドの解散について「もう自分のつくったものの味が、わかる人にだけわかればいいという考えにはなれないな、大森靖子が色んな体験をして、色んな人に伝わるようになっていかなければならないタイミングだと感じました」と説明。ファンに感謝を述べ、「最初で最後のアルバム『トカレフ』は、そんなみんなへのお礼の弾丸です。一緒にギャハギャハ笑ながら、しょーもない自分らを殺っちまって、ちゃっかりしっかり明日をやりましょうね」とコメントを締めている。
大森靖子&THEピンクトカレフは2011年に大森靖子(Vo, G, Key)が中心となり活動を開始したロックバンド。結成当初は小森清貴(G /
大森靖子(Vo, G, Key)コメント
私達は平等に終わるということを知ってる、だって死ぬジャン!それでも細胞のひとつ、ひとつずつの可能性を丁寧に追求し、舌打ち、嫉妬、自惚れ、嫌いな自分を自分でぶん殴って自分で痛くてギャーーー泣くっていう毎日で、だからこその幻みたいな音が出せる瞬間があって、トリップ的にも論理的にも完全に全員一致で正しいぞっていう、そういう瞬間を、一瞬じゃなくて魔法じゃなくて、ここぞというときに完璧な音をハイどうぞ!とだせるドラえもんみたいにならなくちゃいけないのですね、私は。いつも誰かのせいにしながら、自由は不自由不自由は自由、きれいはきたないきたないはきれい、を繰り返していくうちに、なんかいい曲できちゃいました、じゃいけないぞこれは、という自覚が、まあ遅いかもしれませんが、2014年9月にメジャーで活動しはじめて、生まれました。私の好きな音楽は、今でも、拙さを含めた人間力が基となるものです。だから不器用な、いかにもインディーで馬鹿なピンクトカレフのメンバーが大好きです。だからメジャーで活動することになっても、自分が一人でもがいてやっと届いた大きなステージにピンクトカレフを度々連れていきました。奇しくもそこでピンクトカレフの演奏で届く範囲というのを、まざまざと可視化させられました。そこで改めて、もう自分のつくったものの味が、わかる人にだけわかればいいという考えにはなれないな、大森靖子が色んな体験をして、色んな人に伝わるようになっていかなければならないタイミングだと感じました。一万人いれば一万人私の世界に引きずりこむために、私に一万人分の経験値が必要で、その方向に大森靖子を蹴り上げる作業を年始からコソコソモゴモゴしています。脱皮みたいに髪を切ったり染めたりしながら、嫌なことがあった日に着ていた洋服はソッコーゴミ箱にぶち込みながら、ああ、バンドの成長待てないなって思いました。若いなら共に生き急ごうとも言えましたが、なにせ最年少の私ですらアラサーなので…きゃはは。
今までピンクトカレフのライブで、生きててよかったみたいな顔しやがってくれた皆様、サイコーでしたよ。大森靖子&THEピンクトカレフ、最初で最後のアルバム「トカレフ」は、そんなみんなへのお礼の弾丸です。一緒にギャハギャハ笑ながら、しょーもない自分らを殺っちまって、ちゃっかりしっかり明日をやりましょうね。
パーーーーン!!!
リンク
- 大森靖子公式サイト
- あまい
- 大森靖子&THEピンクトカレフ「 hayatochiri 」MusicClip - YouTube
- 大森靖子&THEピンクトカレフ「Over The Party」2014年1月1日 - YouTube
- 大森靖子&THEピンクトカレフ「背中のジッパー」「新宿」@広島QUATTRO - YouTube
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ギュウゾウ🦂60/電撃ネットワーク/ギュウ農 @gyuzo_rock
ええええええーーーーーーっ!
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大森靖子&THEピンクトカレフが解散 - 音楽ナタリー http://t.co/sg3cBsfRkQ