ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390 EPISODE.0 [バックナンバー]
イントロダクション:KEN THE 390の証言
独自進化してきたMCバトルの歴史
2023年8月28日 19:00 46
90年代の「B-BOY PARK」、00年代の「ULTIMATE MC BATTLE」などの大会や、10年代の「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」「フリースタイルダンジョン」といったテレビ番組。アンダーグラウンドで活性化し、独自の発展を遂げてきた日本のMCバトルは、今や日本武道館などアリーナ規模で大会が行われ、ユースカルチャーにとって欠かせないコンテンツとなった。
そこで、音楽ナタリーでは、日本におけるMCバトルの歴史を紐解き、現在に至るまでの変遷をたどる連載を新たに始動させることにした。本連載では、伝説的ブロックパーティ「B-BOY PARK」の時代から、リスナー、プレイヤー、審査員としてMCバトルの進化を現場で見続けてきたラッパーの
EPISODE.0では、この連載の発案者でもあるKEN THE 390自身が、企画の経緯、MCバトルの今昔について語る。
取材・
1999年の「B-BOY PARK」から約25年
──「ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE」は、そのタイトル通り、これまでのMCバトルの動きやシーンの変化について、KEN THE 390くんをホストに、そこに関わるアーティストをゲストに迎えて、対談方式でその実像を追う連載企画として進められればと思っています。今回はエピソード0という形で、企画の骨子や、KENくんから見た大まかなMCバトルのヒストリーを洗い直そうと。この企画自体、KENくんからの発案でスタートしましたが、まずMCバトルについての証言を、そしていわゆる「プレイヤーがプレイヤーにインタビューする」形で残そうと考えた理由は?
大きな大会だけでいっても、「B-BOY PARK」(BBP)のMCバトルが1999年に始まってから約25年経ちます。そして現在は「ラッパーが向かい合って相手に対してラップをぶつけて、それを交互にやっていく」ということを「MCバトル」として多くの人がイメージできるようになってますよね。
──呂布カルマが出演したACジャパンのCM「寛容ラップ」も、「MCバトルというイメージ」が共有されているからこそ、世に流れるものとして成り立っているとも言えます。
そのイメージを世間一般の人が共有できることは、かなりすごいことですよね。10年前だったらその「MCバトルというスタイル」自体、周知されてなかったと思うし、それぐらいポピュラリティを得たコンテンツだからこそ、なぜそうなったかをこのタイミングで振り返りたいなと。
──MCバトルが市民権を得たきっかけには、2012年スタートの「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」や、2015年スタートの「フリースタイルダンジョン」というメディアコンテンツが与えた影響が大きいと思いますが、そこで一過性のブームで終わるのではなく、完全にカルチャーとして定着しました。
「高ラ」や「ダンジョン」の流行の上に現在のMCバトルシーンがあるのは間違いないと思うのですが、集客や規模、YouTubeの再生回数なんかを見ると、ブームが起こった頃に比べて今はもっとシーンが大きくなってるように見えますし、パワーがみなぎってると感じるんです。
──2016年に「高ラ」の第10回大会が武道館で行われたときは、誰しもがその規模に至ったことに驚きましたが、今や武道館規模でMCバトルが行われるのは、そこまで珍しいことではなくなっています。
そこに至るまでにいろんな大会やイベントの中でルールや構造が整備されていって、ブラッシュアップし続けられているのが、MCバトルだと思うんです。そして、そのブラッシュアップを続けているのは、プレイヤーや(プレイヤー出身者が多い)運営という、内部の人なんですよね。例えば昔の「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)で言えば、主催者のMC漢さんが自ら出場者として参加しているわけですけど、オーガナイザーが自分で参加するコンテストって、なかなか珍しい(笑)。
──確かに(笑)。中立性が保たれませんからね。
でも“主催者”であり“当事者”だからこそ、観る側もそこに違和感を感じないし、その当事者がバトルを磨き上げている。外側の人が手を突っ込んできてバトルの構造やシステムが大きく変わったというのは、基本的にはないと思うし、イベントや大会の中で磨かれていったのが、MCバトルのシステムですよね。ヒップホップ側にいて、最初はプレイヤーとして動いていた僕の中でも、MCバトルに対するイメージは変化してるんです。僕がMCバトルを最初に知った「BBP」は、対戦者同士がそれぞれフリースタイルを披露し合って、それを審査員がジャッジするという、もっとコンテストに近い形でした。でも、そこからさまざまなバトルが生まれて、現在のような「即興のラップでMC同士がコミュニケーションを取る」「8小節ずつを基本にしたターン制」「オーディエンスの声援で判断する」というのが基本的な形になっていく。
──大会によって、また状況によってルールやシステムは変わるけど、ベースになるのはその形ですね。
それは25年間の積み重ねで成り立ったものだと思うし、だからこそ、現場にいる人、シーンに直接関わっている人たちの声を聞くことで、見えるものがあるんじゃないか、この先のMCバトルについても建設的にまとめることができるんじゃないか、と。
──試行錯誤が現在の形につながっているということですね。
新しいチャレンジやアプローチという試行錯誤を繰り返して、運営側やMCバトルに出場するラッパー、オーディエンスが面白いと思うものを抽出して、その面白さが一番伝わる形にルールやシステムを厳選して、変化し続けているのがMCバトルなんじゃないかなって。バトルのイズムとしても、“スポーツ”なのか“音楽”なのか、“リアル”なのか“エンタテインメント”なのか、“ライミング”なのか“パッション”なのか、いろんな考え方や評価軸があると思うんです。では、なぜそういう評価軸やイズムの変化が生まれていったのかを、俯瞰ではなく、プレイヤーだからこそ感じる部分の話として聞きたいなと。
「え! 俺の友達に悪口言ってる! 許せない!」みたいな(笑)
──今回はその前提となる、KENくんのプレイヤー的な部分をザックリとですが伺えればと思います。
「BBP」のMCバトルは、いちリスナーとしては知っていたのですが、影響力を感じたのは2002年。同じ大学のサークルに所属していて、一緒にグループも組んでいた志人(降神 / TempleATS)が、2002年の「BBP」、MC漢さんが優勝した回で準決勝まで進んだんです。その当時、学校の仲間でクラブイベントをやっていたんですけど、お客さんはサークル仲間か誰かのツレみたいな、全員顔見知りのような状況だったんですね。だけど、志人が大会で4位に入った途端、まったく知らない人が何人もお客さんで来て「知らないお客さんがいる!」って驚いて。
──ライブも緊張しちゃって(笑)。
「知らない人の前でライブするのか」みたいな(笑)。当時は学生だし、リリースも何もしていないからメディアにも出ていなかったし、世の中の誰も僕らのことなんか知らないわけですよ。でも、志人のMCバトル効果でそういう影響が起こったことで「今チャンスがあるとしたらMCバトルだぞ」って、それこそ同じサークルだったTARO SOULとかDEJIとも盛り上がって。それでめっちゃくちゃバトルの練習をみんなで始めて、細かくあった小箱のMCバトル大会に出るようになったんですよ。それが2002年の冬ぐらい。
──当時の状況は?
ゴリゴリのアンダーグラウンドでしたね。だから物騒だったし、怖かった(笑)。「BBP」のKREVAさんの3連覇とかもあって、小さいMCバトルでもまあまあお客さんはいましたが、統率は取れていないし、MCのバトルスタイルもみんな模索中だし、お客さんのリテラシーもまだ低かった。だから演者同士はバトルだと思って、ある意味では割り切ってるんですけど、お客さんは誰かのツレが多いから、バトルを観て「え! 俺の友達に悪口言ってる! 許せない!」みたいな(笑)。
──義侠心と友情が間違った方向に(笑)。
当時は賞金も3万ぐらいで……その頃の自分たちにとっては大きな額でしたけど、今なら優勝したらその賞金をバーカウンターでパッと散財しますよね。でも、友達が悪口を言われていきり立ってる人もいるから、危ないしそそくさと帰ろうみたいな(笑)。ただ、自分たちでイベントを開く以外は、バトルぐらいしか自分の周辺の人たち以外の前でラップする機会がなかったから、かなりのバトルに出たし、そこでDARTHREIDERやMETEORという、のちに音楽レーベルDa.Me.Recordsを立ち上げる面々とも出会って。あと、当時は「バトルとライブと音源」が一致してたんですよ。
──イベントの中でバトルに出て、ライブに出て、CD-Rも含めた音源を売るのが1つの流れになっているというか。
そうですね。ライブはもちろん、バトルが盛り上がればCDも売れて、それが収入になっていた。あとはライブイベントでも最後のオープンマイクではバトルの延長戦が行われて、かなりワチャワチャしてたし、その延長戦を楽しみに来ている人もたくさんいましたね。当時はネットのBBSでそういう情報が発信されてたんですよ。
──SNSではなくて、掲示板ですね。
BBSかmixiでしたね(笑)。「この日のバトルはこうだった。その後の延長戦は誰が誰をステージ上から呼び出して、こういう内容のセッションがあって」みたいなことを書くんですよね。例えば「漢さんがダースさんをステージに呼び出して、KEN THE 390はその流れでこんなこと言って、それにメシアTHEフライがこう返して……」みたいな。それを現場に行けなかったヘッズが読んで、次はお客さんとして来てくれて。
──会場に行けなかった人や地方のヘッズはそこで幻想を膨らませる。
それによって熱を帯びていく感じはあったし、やっぱりMCバトルは名前を売るための登竜門でしたね。
「自分をさらけ出す能力」が武器になった「SSWS」
──そして、2004年にMC漢 a.k.a GAMIやMSCが中心となったMCバトルイベント「お黙り!ラップ道場」が始まり、その流れを受けて2005年には「UMB」が始まります。それらのイベントは現在のMCバトルの大きな源流になっていると思うので今後の連載でも触れていきますが、KENくんやDa.Me.Recordsのメンツは「SSWSシンジュク・スポークン・ワーズ・スラム」にも出ていましたね。
「BBP」で漢さんが優勝して、いわゆる“リアルなラップ”の流れが強くなっていくんですけど、一方でもっと違うスタイルを模索しているラッパーが名前を上げる場所として、「SSWS」は大きかったと思いますね。
──いわゆる“サグ”ではない側の人たちというか。
「SSWS」はラップだけじゃなくて、ポエトリーリーディングや漫談みたいな、「言葉を使った表現ならなんでもあり」なイベントだったんですよね。フリーエントリーだったから、タイミングが合えば出場できるのも大きかった。「あそこに出ればラップできる」というので、ラップしたがりなダメレコの連中がけっこう出ていて(笑)。そこで「UMB」などのMSC周辺のMCバトルとはまったく違う部分を鍛えられたと思いますね。
──というと?
「SSWS」は持ち時間制なので、3分なら3分、ずっとフリースタイルし続けることになるんですよね。しかも多い日は4本とか5本やることになるから、結局自分のことを歌うとか、自分の中身をどれだけさらけ出せるかになってくるんですよ。
──ターン制のMCバトルのように、相手の言葉に返すこととは違う能力が必要になると。
自分の悩みとか葛藤も含めてさらけ出して、赤裸々な内容をライムしながら、さらにエンタテインメントが求められる。そうしないと、ポエトリーの人とかに対抗できない。その中で自分をさらけ出す能力が鍛えられると、ほかのバトルに出たときに、それがすごい武器になったんですよね。即興で固い韻を踏めるみたいな“スキル”だったり、ストリート性やハードコアな表現を基にした“リアル”だったりを超えて、“情熱”でぶつかるような言葉が瞬時に出せるようになっているから、それがオーディエンスを引き付けた。自分の制作的にもそういった内面やマインドを歌詞として書けるようになったし、それをみんな聴きたくてCDを買ってくれる、といういい循環に入ることができました。だから、当時は大まかに言えばKREVAさん的なスタイル、漢さん的なスタイル、そしてSSWS的なアプローチがあったと思いますね。
──当時、練習はどのように?
サイファーはめちゃくちゃしてましたし、個人練習もやってましたね。1時間くらい歩きながらずっとフリースタイルしたりして。
──今みたいにワイヤレスイヤフォンをしてるなら、人と話しているように見えるけど……。
CDウォークマンでビートを流しながらだから、超大きい独り言ですよ。テンション上がっちゃって大声でラップしてたら、知らない家から拍手が起きたり(笑)。
──それ、威嚇されてるでしょ(笑)。
本当にそれぐらいしか手段がなかったですからね。
──その後、「UMB」がMCバトルの中心になりつつ、「3on3」などのさまざまなシステムのバトルが登場します。また「ENTER」などのバトルイベントも各地で行われますが、2010年ぐらいからはネットでのフリーダウンロードなど、リリース環境にも変化が訪れることで、バトルの持つ登竜門的な側面は以前よりも弱くなっていきます。そのあたりの流れも本連載ではフォローしたいのですが、KENくんとしてもメジャーデビューなども含め、00年代後半からはあまりMCバトルには積極的に参加しなくなりますね。
バトルは面白いんですけど、ラッパーとして評価されたい、音源を聴いてほしいと考えたときに、MCバトルにエントリーするより、自分の動きとしては別の方向を考えたほうがいいのかなって。だから10年代、特に2015、16年くらいまでは、呼ばれれば年に何回かバトルには出るし、全然避けているとかではないんだけど、積極的に自分から、という感じはなくなりましたね。単純にMCバトルでちゃんと勝つためには、そこに集中するだけの時間とモチベーションが必要だし、「UMB」みたいな大きな大会になればなおさらで。それに、そのくらいになるとMCバトルで勝つことと音源が注目されることがイコールではなくなっていったんですよね。もともと自分の曲を聴いてもらいたいというのもバトルに出る大きなモチベーションだったので。
「フリースタイルダンジョン」の字幕の影響
──例えば、R-指定が「UMB」で2連覇したあとに1stアルバム「セカンドオピニオン」を2014年にリリースしましたが、おそらくそのときよりも、現在のほうがアルバムは聴かれているでしょうね。その意味でも、MCバトルはよりアンダーグラウンドな、同時にマニアックな存在になっていた印象が個人的にはありますが、2012年にスタートした「高校生RAP選手権」が、徐々に人気を集め、2016年8月の第10回大会は日本武道館で行われるほどの人気コンテンツになりました。そしてT-PablowやYZERR、WILYWNKAのようなスターも番組から登場して。
ヒップホップカルチャーの中でも、MCバトルは一番凶暴でシーンの鬼っ子だと、関わっている自分でもそう思ってたんですよ(笑)。だから“世間”に届けるようなものではないんじゃないかなと感じていたし、特に00年代後半の日本語ラップが低迷していたような時期は、ヒップホップやラップをマイルドなものにして、どう届けるかを考えていることも多かったと思うんですよね。特にメジャーはそういうところに腐心していた。なのに粗削りな高校生同士がラップでバトルするという一番凶暴な姿が世の中で一気に注目されたから、みんな驚いたんですよ。もちろんテレビの演出も大きいとは思いますが。
──夏の甲子園のテーマ曲である「栄冠は君に輝く」に乗せてラッパーのバックグラウンドを紹介するというのは、「高校野球中継」と「ドキュメント女ののど自慢」をミックスしたような非常にテレビ的なパッケージではあるんだけど、実際のMCバトルに関しては、かなり剥き出しの形で放送されていました。
そうやってバトルをそのままテレビに乗せるという方向性が、2015年に始まった「フリースタイルダンジョン」で決定的になって。
──KENくんは「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演されていました。
「高ラ」は、高校生だからこその成長過程とか青春感、その人のバックグラウンドが注目されたと思うんですけど、「ダンジョン」で現役のラッパーや、ずっとMCバトルに出ていた人間に陽の光が当たるようになった。だから「即興で切り返す」とか「どう韻を踏むか」みたいなラッパーのスキルの高さや機転、バトル自体の面白さという部分も世の中に届いたと思うんです。あと大きいのは字幕ですよね。
──確かに。「高ラ」は初期には字幕がありませんでしたが、「ダンジョン」は最初から字幕が入っていました。
プレイヤー側の発想だと、ラップに字幕を付けるという考えはなかったと思うし、ちょっと難色を示す部分もあったと思うんですよ。「自分のラップは聴き取れないのか」ということだし、即興だからこそ出た言葉が、文字で残ってしまうという部分もあるので。でも、テレビ制作側が「字幕はマスト」ということで、あの形になったと聞いています。確かに、耳が育たないと難しいんですよね、ラップを聴き取るのって。でも字幕を付けることで、何を言って、どう攻撃して、どう切り返すのかが視覚としてもわかるようになった。あの番組で初めてラップに触れる人には未知の語彙もあるはずですけど、それが理解できるにしろできないにしろ、視覚でひとまず見せるというのは大きいと思いますね。
昔話では終わらない連載に
──そして「戦極MC BATTLE」などの老舗バトルの定番化に加えて、新興のバトルも数多く開催され、現在に至ります。
システムとしても「Red Bull 韻 DA HOUSE」のように1分間×2ラウンドのような大会が開かれていますよね。
──ノンビートで戦う「BodyBag」も行われました。
「BBP」が始まったときは、「果たして即興でラップができるのか」ということ自体がチャレンジだったし、出る側も観る側も、完全に手探りだったと思います。それが25年を経ると、即興でラップすることもそうだし、リスナーがそれが即興かどうかを判断するリテラシーを身に付けることになって。この連載は、そういったこれまでのMCバトルを振り返りつつ、昔話では終わらないようなものにしたいですね。次に公開する記念すべき第1回は「即興でラップができる」ということを、MCバトルを通して証明したあの方にお話を伺おうと思います。
──正直、出ていただけるとは思っていなかったので、オファーが通ったときは驚きました。
おそらくMCバトルについて話すのは、その当時の記事以外ほとんどないと思うし、どんな話が伺えるのか僕も楽しみです。
KEN THE 390(ケンザサンキューマル)
ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。これまでに11枚のオリジナルアルバムを発表している。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。テレビ朝日で放送されたMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。10月28日にはKEN THE 390が立ち上げたヒップホップフェスティバル「CITY GARDEN 2023」が東京・豊洲PITで行われる。
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