ゼミ生として参加するのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(
取材・
細野晴臣がめっちゃめちゃ聴いてたソウルミュージックは?
──2023年初めてのゼミです。今回からは、これまでの講義の“補講”という趣旨で進めていければと思っています。そして最初の補講のテーマはハマさんからのリクエストがあり、ソウルミュージックにすることにしました。
ハマ・オカモト ソウルミュージック回の本編が、「局地的なところしか話せなかったね」で終わっていたのが心に残っていたんです。ソウルミュージックやブラックミュージックは地域による違いもあるし補講すべきかな、と。勝手に提案しちゃって申し訳ないですけど。
細野晴臣 ソウルは広いからなあ。本編では何を話したっけ?
──本編ではモータウンの話題から入って、最終的にはベースの話を軸にしたリズム論に展開されていったのがおおまかな流れです。
安部勇磨 そうでしたね。
ハマ スタックスレコードやモータウンの話をしましたよね。改めて伺うと、細野さんにとってのソウルのドンピシャは、1960年代のアメリカの音楽なんですか?
細野 60年代の初めは、まだ白人たちのポップスしか聴いてなかったよ。ヒット曲ばっかり聴いてたからね。でもそのうちに、黒人たちのファンキーな音楽がチャートに入ってくるようになったわけ。例えば、ウィルソン・ピケットとかね。あとはチェス・レコード系も多かったかな。僕はチャック・ベリーは後追いだったけどね。
ハマ 細野さんがそういうものに初めて触れたときに、やはりベースに耳が行ったものですか? ああいうジャンルの音楽って、それまでのヒット曲やポップスに比べると、リズムセクションが強調されているじゃないですか。
細野 リズムを意識し始めたのはジュークボックスがきっかけ。はっぴいえんどを始める前、六本木のバーでよくジュークボックスで音楽を聴いていたんだ。その店には、アメリカの黒人兵がたくさん来ていたんだよ。それでソウルミュージックも入ってきていて、自分たちで100円玉を入れて、The Impressionsなんかを聴いてね。で、ジュークボックスは低域が出るから、「ドラムとベースの掛け合いがすげえ!」って思った。それ以前は、普段はラジオで音楽を聴いていたからね。
ハマ 僕もベースやドラムがすごくカッコいいってことに気が付いたのは、ソウルやファンクがきっかけでした。ちなみに本編では、細野さんが影響を受けたアーティストとしてチャック・レイニーの話も挙がりましたね。
細野 チャック・レイニーも、ポップスのヒット曲で知ったんだ。アレサ・フランクリンとかね。70年代以降のことだと思う。
安部 アレサ・フランクリンさん、前回も名前が挙がりましたね。
ハマ ね。今回の補講では本編のお話を踏まえて、細野さんが入れ込んで聴いていた作品を教えてほしいと思ってるんですよ。シンプルに「このアルバム、めっちゃめちゃ聴いてた」みたいなのを細野さんと話したことがないなって。
安部 確かに。
細野 アレサ・フランクリンはラジオなどでずっと聴いていたけど、アルバムを買いそろえるようになったのは最近のこと。「Rock Steady」(1972年発売)を一番聴いたよ。この曲もチャック・レイニーがベースを弾いていてね。それと、その頃にThe Staple Singersが「I’ll Take You There」(1972年発売)っていう曲を出した。それをティン・パン・アレーで「キャラメル・ママ」を作ってた頃にみんなで聴いて、「これは素晴らしい」って驚いて、そのままコピーしたりしたよ(笑)。その曲を聴いたから、「キャラメル・ママ」ではバッキングに徹しようって思ったんだ。
ハマ あれ、何年前だったかな。「スコラ
安部 (スマホで調べて)本当だ(笑)。飛行機の前で。
ハマ あのバッキング、Swampersの演奏でしたっけ? 彼らの有名な川沿いのハウススタジオ……なんだっけ。あのスタジオで録音されたんですよね。
細野 マッスル・ショールズ(※マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ。アメリカ・アラバマ州のレコーディングスタジオで1970年代に移転。Swampersはマッスル・ショールズのスタジオバンドの通称)ね。
安部 マッスル・ショールズ……全部メモしなきゃ。
ハマ Swampersは「あんなサウンドなのにメンバーは白人だったんだ」っていう驚きがある。マッスル・ショールズを題材にした映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」にも出てくるんだけど、ウィルソン・ピケットがスタジオに電話して、「お前のとこのスタジオの黒人ミュージシャンを貸せ」って伝えるんですよ。そうしたら、「いいですけど、全員白人ですよ」って言われてた。
安部 へえ。確かに音だけ聴いたら、そう思うのもわかる。
細野 僕らも驚きだった。見た目が地味なのもいいんだよね(笑)。
ハマ 華があるわけじゃないんですよね。いずれにしても、「キャラメル・ママ」を作っていたときの話からもわかる通り、ああいうミュージシャンのスタイルが、ティン・パン・アレーをやっていた頃の細野さんたちの原動力の1つになったんですね。特定のバンドなどをモデルにするというよりも。
──いわゆるバンドというよりも、職人集団のようなチーム。
細野 別にそんなことも考えてもいなくて、ただ「やりたい!」と思ってやっていただけなんだ。でも日本の当時の現状では、あんなリズムセクションのあり方はなかったよね。それに、もちろんアレサ・フランクリンのように特定の人も好きだったよ。まあ魅力的な音楽がいっぱいあったから、聴くということで精一杯。だからルーツを深堀する、みたいにマニアックになる暇はなかったな。
ハマ 細野さんの周辺で“マニア”と言ったら、
細野 そうだね。大瀧くんも、好きなものは限られているけど。僕なんかは彼に、アバンギャルドって言われてたから。ポップスからはみ出たことをやると「アバンギャルドだ」って。「サイケだ」とかね(笑)。
安部 あはははは。
細野晴臣が驚いたチャールズ・ライト、スライ、Tower of Power
ハマ 改めて、細野さんはソウル初期の楽曲がリリースされた時代をリアルタイムで通ってきてるんですよね。今考えるとびっくりするくらい、いい音楽があふれていたんでしょうね。
細野 そう。聴くものがすべて新鮮で、モロに影響を受けてしまう。Sly & The Family Stoneが出てきたときは一番びっくりしたよ。あと、すごく記憶に残っているのが、チャールズ・ライトと、ザ・ワッツ103……なんだっけ? なんて読むかわからないんだけど(笑)。
ハマ Charles Wright & The Watts 103rd Street Rhythm Bandですかね。
細野 そうか(笑)。彼らの曲をラジオで聴いて、もう忘れられなくて。20年くらい前にやっとiTunesで見つけて、アルバムを買ったよ。彼らのリズムはいまだにすごいなって思う。
ハマ あのリズム隊、誰なんですかね。レーベルはスタックスとかかな?
細野 チャールズ・ライトはロサンゼルスの人だね。僕はずっと、彼らはサンフランシスコのオークランド出身だとばっかり思っていた。というのも、スライのエリアがオークランドだったから。すごく治安が悪いところなんだけど(笑)。またオークランドというと、一番有名なのはTower of Powerだった。Tower of Powerを聴いたときも驚いたよ。リズムの速さというか、歯切れのよさがすごい。ドラムもいいしベースもいい。別格だったよね。
ハマ ベーシストのフランシス・“ロッコ”・プレスティアと、ドラマーのデビッド・ガリバルディですね。チャック・レイニーとはプレイスタイルが違いますけど。
細野 全然違うね。テクノに近い。16ビートの。
ハマ ベースラインが止まらずに、すっごい動くの。バラードとかでもそれをやるんだよ(笑)。
安部 そんなにすごいんだ。
細野 あれは真似できないよね。「自分にはできない」って感じたし、憧れがあったよ。
ハマ 来日公演で、ムッシュ(かまやつ)が飛び込みで演奏したんですよね。ムッシュの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」はTower of Powerが伴奏をやってるから。
安部 へえ!
細野
ハマ 茂さんと、「ガリバルディ、どうだった?」みたいな話になったんですか?
細野 あんまりその話をしてないんだよ。
安部 なんで聞かないんですか?
細野 ……なんだろうな(笑)。でも、とにかく作品の出来が素晴らしかった。
ハマ バンドメンバー同士のあるある(笑)。
細野 行動力がすごいなと思ったけどね。1人でアメリカに行って、1人でお金払って。
ベーシストは皆チャック・レイニーの影響下にあった
細野晴臣 Haruomi Hosono _information @hosonoharuomi_
ソウルミュージック補講 | 細野ゼミ 補講1コマ目(前編)
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