アーティストの音楽履歴書 第44回 [バックナンバー]
OMSBのルーツをたどる
初めて作ったビートはケータイの着メロ、メインストリームもアングラも愛するMC / トラックメイカーの半生
2023年3月8日 20:00 29
アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は
取材・
有名じゃないアーティストを毎朝紹介してた「saku saku」
アメリカのニュージャージーで生まれて2歳くらいのときに日本に来ました。地元は神奈川県の座間ってとこです。片親家庭で、母ちゃんは米軍基地で働いてました。俺がすごいちっちゃい頃から母ちゃんは家とか車でヒップホップを爆音でかけてましたね。Wreckx-N-Effectの「Rump Shaker」とかノトーリアス・B.I.G.の「Big Poppa」とか。当時はマジでうるさいと思ってましたけど、爆音でヒップホップを聴く感覚はこの頃に自然と身についたのかもしれません。アメリカにいた頃や触れていた時代の空気感もなんとなく自分の中にはあって。だからヒップホップの世界観に自然と入っていけたのかもって思いますね。
でも俺自身が意識的に音楽を聴くようになったのは中1くらいの頃。テレビ神奈川(tvk)で平日の朝に木村カエラさんもMCをしていた音楽番組「saku saku」が放送されていて、毎朝、学校に行く前に観てたんですよ。あの番組って有名なアーティストだけじゃなくて、これから売れそうなインディバンドとかも紹介してて、番組きっかけで
でも同じ時期にCDを買った
メインストリームもアングラもヒップホップは全部好きだった
「
買ったのがCDJだったのは、ばかみたいにCDを買ってたからです。tvkの影響はデカくて、朝に「saku saku」「ミュートマ(ミュージックトマト)」、深夜に「Billboard TOP40」を観ていたら邦楽も洋楽もけっこう満遍なくMVが観れた。日本のバンドにハマると同時に、
高校は厚木の定時制で、ヒップホップを聴く人がけっこう多かったんです。俺も大好きだけど、みんなメインストリームのヒップホップを聴いていて、ハードな感じでもG-Unitとかイグジビットとか。俺がWu-Tang Clanの2軍、3軍のアーティストを聴いてると「暗くない?」とか言われてました(笑)。ウータンの荒廃的なのにキャッチーな世界観が好きなんですよ。「Triumph」のMVなんてなんでもありって感じだし。
知らずにゲットしたスクリューにハマり、しゃべり方もスローに
そういえば「bounce」の「G-SPOT RIDIN'」って連載が大好きでした。サウスとかギャングスタラップのディープなとこを紹介してて、その連載でDJスクリューの存在を知りました。当時はスクリューのCDなんて簡単に入手できなかったから、最初はどういう音楽か全然わかんなかった。ただ母ちゃんが米軍基地で働いてたから、俺は基地内のCDショップに行けて、そこには輸入盤の面白いのがいっぱいありましたね。日本じゃ買えないやつがあったし、なによりタワレコとかより入荷が早かった。で、俺は当時めちゃ流行ってたジュヴィナイルの「Slow Motion feat. Soulja Slim」が入ってるアルバムを買いに行ったんですね。それを家に帰って聴いたら、なんかやたらテンポが遅い。よく見るとジャケの色とかデザインが知っているものとちょっと違うし、不良品だと思ってたんですけど、「G-SPOT RIDIN'」を読んで、チョップド&スクリュード仕様の盤を自分が知らずにゲットしてたことに気付いたんです。それで改めてそのアルバムを聴き直したら、なんかいい感じだった(笑)。なんだかんだで俺もミーハーなんでしょうね。それからスクリューにめっちゃハマりました。昔からドラッグは一切やらないけど、当時はしゃべり方も遅くなってたと思います(笑)。
ヒップホップって、国はもちろん地域やコミュニティによっても表現する音が全然違うじゃないですか。そこが面白かったんですよね。もちろんロックとかにもそういうのはあると思うけど、俺にとってはヒップホップが一番わかりやすく違いを感じることができた。そこがヒップホップにハマった一番のポイントです。
自分のリズムを表現することのカッコよさに気付いた
めちゃがんばってCDJとミキサーを買ったはいいものの、そもそもスクラッチもできない機材でしたし、思ったようにDJができなかったんですよ。でもそれから音楽をさらに意識して聴くようになって、そこからビートを作ってみたいと考えるようになりました。俺にとって最初はラップよりもビートが面白かった。
あと高校の頃ブックオフでクソゲーというかマイナーゲーを探すのも趣味で、「BEAT PLANET MUSIC」というプレステの音ゲーを買いました。全然知られてないんですが、そのゲームは全クリするとビートメイクやサンプリングができて、めちゃハマりました。着メロとか、このゲームとかがステップシーケンスだったので「拍子のどこに何を置くとどういうものができるか」みたいなことがわかり始めたんです。で、17歳のときにリズムマシンを買って。サンプリングとかもできない、プリセットの音を組み上げるだけの機材だったけど、マジでめちゃくちゃハマりました。たぶんその機材で500曲くらい作ってると思う。もちろん未完成のものもたくさんあるし、めちゃくちゃ粗削りだけど。便利な機材がない中で、あれこれこねくり回して、自分なりの面白いビートを作るって意味では、ここらへんの流れがルーツかもしれません。
「SAG DOWN」でQNと運命的に出会う
高校を卒業したあと、車の免許の筆記試験場で当時そんなに遊んでなかった友達で、ペルー人のハーフのマブってやつと偶然会ったんですよ。マブと仲がよかった共通の友達がいて、そいつは兄ちゃんもヒップホップ好きでDJもやってて、MPCまで持ってたから借りたりしてました。マブとそいつとは、のちにIDBってグループを組んでちょっと活動しました。IDBはIn Door Boyzの略。基本的にみんなそういうタイプの人間なんですよ(笑)。あとマブは
「SAG DOWN」はすごかった。入るにも超並ばなきゃいけなくて、毎回ハコがパンパンでした。その列に並んでいるときに自分のイベントのフライヤーを配ってたやつがいて、それが
QNの実家によく溜まっていて、いつもいろんなやつが集まってました。ヒップホップが好きな友達の友達みたいな感じのやつらで、みんなが「自分でもなんかカマしてみたい」と思ってた。俺は最初DJとして活動してたんですが、ある日、QNのイベントでトラブルがあって音が止まっちゃったことがあって。QNに「これから『SAG DOWN』で知り合ったフリースタイルヤバいやつがラップをカマします!」ってムチャぶりで無理やりステージに上げられて、8小節くらいフリースタイルをしたのがラップを始めたきっかけです(笑)。
SIMI LABの結成に関しては、当時QNは別のグループをやってて、俺はIDBにいたけどしょっちゅう一緒にいたんで「じゃあもう一緒にやっちゃおう」みたいな感じ。その段階ではMARIAやダン(DyyPRIDE)、ショウくん(
ありのままの生き様をラップして、カッコいい。これってラッパーとして最強だと思う
「SAG DOWN」ではもう1つ大事な出会いがあって。
増田さんは当時まだFILE RECORDSで働いてました。「WALKMAN」で俺らのことを見つけてくれて、QNのソロ曲「Welcome 2 My Lab」のビデオを観て連絡をくれたんです。俺のビートも気に入ってくれていました。それから
実は日本語ラップに関しては、
仲がいいミュージシャンは同じSUMMITの
音楽に興味を持ってから今まではこういう感じですかね。もう履歴書なんて書くことないと思ってたんで、オモロいすね。これを読んでから俺の曲を聴き直してもらえれば、「あーこういうことだったのか」と思うかもしれません。ありがとうございました。
OMSB(オムスビ)
神奈川県相模原市を拠点に活動するヒップホップクルー、SIMI LABのMC / トラックメイカー。SIMI LABは2009年末にYouTubeで公開した「WALKMAN」のミュージックビデオが注目を浴び、これまで2枚のアルバムをリリース。DCPRGの2012年のアルバム「SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA」などへの客演でヒップホップシーンのみならず幅広い音楽ファンに存在感を示した。OMSBのソロ作品としては2012年に1stアルバム「Mr. "All Bad" Jordan」、2015年に2ndアルバム「Think Good」を発表し、2022年に7年ぶりとなる最新アルバム「ALONE」をリリース。2021年にはテレビアニメ「オッドタクシー」の劇伴をPUNPEE、VaVaとともに担当した。
OMSB ONE MAN LIVE "KROOVI'23"
2023年3月10日(金)東京都 WWW X
バックナンバー
SUMMIT @SUMMIT_info
ナタリー(@natalie_mu )にて、OMSB(@WAH_NAH_MICHEAL )のインタビューが公開されました。ぜひご覧ください。
https://t.co/KUDg55hIIj https://t.co/vfGb5k7f17