各界の著名人に愛してやまないアーティストについて話を聞くこの連載。第28回は台湾出身のマンガ家 / イラストレーター
取材・
浅野いにおのマンガで知った「風をあつめて」
私にとって、はっぴいえんどの「風をあつめて」は、人生の階段を上がるたびに聴いている曲。聴くたびに違う音が聞こえてくるんです。初めて「風をあつめて」を聴いたのは、私がまだ高校生のときでした。浅野いにおさんのマンガ「うみべの女の子」を読んで曲を知り、YouTubeで検索して聴いたんです。でも、そのときはまだ若くて日本語もわからなかったし、正直に言うと「あ、いい曲だな」と思った程度。すぐにこの曲にハマっていろいろ調べたわけではなかったんです。
「緑の歌 - 収集群風 -」は私小説のような作品なんです。基本的に、私の19歳から大学を卒業するまでの間に起きた出来事や経験に基づいて描いています。マンガにも描いたように、高校時代の私は、自分の周りの環境には魅力を感じていなくて、もし大学に入ったら新しい人生や生活が始まるんだと期待してました。でも、大学に入っても周りの環境は自分が思い描いていたようなものではなかった。スランプに陥って、マンガやイラストが描けない時期もあったんです。その一方で、何か新しいチャレンジをしたいと思ってはいて、その頃に台湾のインディーズバンドを聴きはじめ、音楽を聴くことに自分の時間の大部分を費やすようになりました。ちょうど同じ時期に、「緑の歌」に出てくる簡南峻(ジェン・ナンジュン)のような、私より10歳くらい年上の人たちと友達になって、彼らの好きな村上春樹さんの小説や知らなかった音楽をいろいろ調べて読んだり聴いたりするようになりました。そういういきさつの中で、私はある日偶然に「風をあつめて」をもう一度聴いたんです。
そのとき聴いた「風をあつめて」は、高校時代とは全然違って聞こえました。なぜか「懐かしい」と思ったんです。同じ曲のはずなのにそんなに大きな変化があるんだということを不思議に感じつつ、はっぴいえんどというバンドに強い興味を持つようになりました。そして2017年、「緑の歌」と同じように、私は、はっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」(1971年)を買うために生まれて初めて日本を訪ねたんです。
ディスクユニオン新宿店の地下1階に「風街ろまん」を買いに行ったら、すごく気になる曲が流れていました。そこで勇気を出して店員さんに「なんていう曲ですか?」と聞いてみたら、その曲は細野晴臣さんの「HOSONO HOUSE」(1973年)というアルバムに収録されている「恋は桃色」でした。その日は「風街ろまん」と「HOSONO HOUSE」の両方を購入しました。あとで歌詞カードのクレジットを見てみたら、細野晴臣という人物は、はっぴいえんどのメンバーだったことがわかったんです。「恋は桃色」を初めて聴いたとき、「たぶん、はっぴいえんどの曲かな?」と思って。「風をあつめて」と同じ人が歌っているのはわかったし、同じ懐かしさをその曲にも感じたので。やっぱり同じ人だったと知って、すっきりした気持ちになりました。そこから私は細野さんの音楽に恋に落ちたみたいになったんです。
はっぴいえんどや細野晴臣の曲に感じる「懐念」
台湾に戻ってから、細野さんの作品についていろいろ調べました。細野さんが70歳になった今もまだ現役で音楽を作り続けていること、そして新しいアルバムを発表して日本でツアーをやることも知りました。東京でのコンサートには行けなかったので、その残念な気持ちと、村上春樹さんの「ノルウェイの森」で小林緑が言った“苺のショート・ケーキ理論”を混ぜ合わせながら、「緑の歌」というタイトルの日記を書きました。
そしたらある日、憧れの人から「細野さんが台湾に来るんですよ」と教えてもらってびっくりしたんです。その勢いに乗って私も彼に「一緒に行きませんか?」と誘ったら、「いいよ」と答えてくれました。私が書いた「緑の歌」という日記が、まるで予知夢だったみたいな不思議な体験でした。私は、その体験をマンガの物語にして「緑の歌」という自主制作のZINEを作ったんです。そこまでが、私のはっぴいえんどと細野さんの曲との初めての出会いです。
私が「風をあつめて」や「恋は桃色」に感じた懐かしさは、村上春樹さんの小説や、エドワード・ヤンさん、岩井俊二さんの映画にも感じます。自分が経験したことのない時代なのになぜか懐かしいと感じる感覚を「緑の歌」を通して表現しました。台湾の言葉で言うと「懐念」という言葉になるのかな。私のマンガを読んだ年上の読者からも、若い人たちからもそれぞれに「懐かしい」というコメントがあって、本当にうれしいです。みんな成長の過程で見てきたいろんな映画や音楽、文学を通して自分が生まれる前の時代とかを知らず知らずのうちに経験したと私は思っているんです。初めて観たエドワード・ヤンさんの映画の中に「映画を通して人の人生が3倍になる」というセリフがありました。例えば私がフィルムのカメラを初めて使ったときに、以前にも使ったことがあるような感覚を覚えたのは、今までに観てきた映画の影響だと思う。私も同じ感覚なんです。
「HOSONO HOUSE」はどんなに時間が経っても色褪せることがない、全然違う世代の人たちが聴いても共感できるし、感動できる名作だと思います。私はこのアルバムを聴くと、いつも1人でニコニコしてしまうんです(笑)。まるで好きな人と世間話をしているような気分。曲を聴いているだけで、作った人の性格や個性がわかってくる。とてもユーモアのある人だということもすごく感じられる。こういう感覚は初めてでした。
自分の作品を通じて細野さんを好きになった人がいてうれしい
“トロピカル三部作”と呼ばれている「トロピカル・ダンディー」(1975年)「泰安洋行」(1976年)「はらいそ」(1978年)という3枚のアルバムも、とても好きです。ジャズとロックを融合させた近年の「FLYING SAUCER 1947」(2007年)「HoSoNoVa」(2011年)「Heavenly Music」(2013年)「Vu Jà Dé」(2017年)も好き。全然違うジャンルのアルバムなのに全部名作になっていて素晴らしいなと思います。最近の細野さんは、ワルツみたいな、ダンスをしながら聴きたい曲が多くて落ち着くし、いつも1人で楽しんで聴いています。細野さんとコシミハルさんのユニット・Swing Slowも、とてもいいですね。電子音楽、異国文化への憧れが表現された曲、近年のブギウギみたいな曲、細野さんは自分の好きなものがよくわかっていて、それにチャレンジしたい気持ちが、どの曲からも届いてくるのが素敵だなと思います。
台湾でも、自分の周りのバンドをやっている友達だったら誰でも細野さんやはっぴいえんど、YMOは知っていると思います。音楽に詳しくない台湾の読者でも、私の作品を通して「ちょっと気になるな」と思って検索して曲を聴いたことで、細野さんを好きになった人たちもいます。ZINEのバージョンの「緑の歌」を読んで、細野さんを好きになって、台北のコンサートを観に来た読者もいるんです。本当にうれしい。
私の作品は、ラブレターみたいな存在なんです。自分が大事に思っている人や好きなアーティストに「あなたたちの存在があるからこそ私は生きてきた」という強い気持ちを作品を通して伝えたくて。でも、ご本人の手元に届くことが大事なんじゃなくて、むしろ私が感動したことや作品から受けた影響を、同じような経験をしている読者に届けたいんです。
実は日本と台湾の音楽はそんなに遠いものではないと思ってます。私の好きな台湾のインディーバンドは、日本や欧米の名作を吸収しながら音楽を作っています。例えば私の友達がやっているDSPSというバンドのボーカリスト、エイミーさんはSUPERCARの影響からスタートして、自分たちの音楽を作り続けている。透明雑誌というバンドは、NUMBER GIRLの「透明少女」という曲と、イギリスのポストパンクバンド・Magazineがバンド名の由来だそうです。みんないろんな外の音楽を吸収して創作活動を行っているんです。
細野さんは、海外からの影響を受けながら日本のスタイルで“異国っぽい曲”を作ってきました。例えば「北京ダック」という曲は、本場の北京のダックじゃなくて横浜中華街のダックですよね(笑)。あと、昔の欧米の曲のメロディに日本語の歌詞を付けて歌っていたりする。そういうところがめっちゃ面白いし、素敵だと思います。実は台湾の人たちも、台湾のスタイルで異国文化を受け取って自分たちの作品を作り続けている気がして。私のマンガもそうだし、私が描いている日本も台湾人の私が描いた日本なんです。
細野さんの体からタバコの匂いがして、とても落ち着いた
初めて台北で観た細野さんのコンサート(2018年1月13日、Legacy台北)は本当に夢のような感じで、正直に言うとあんまり覚えてないんです。ステージ上の細野さんを観ているだけで緊張していたし、あの日は私の隣に好きな人が立っていたし。だから、曲があんまり耳に入ってこなかったんですね。でも、気がついたら「風をあつめて」のメロディが流れてきた。あの曲を細野さんがライブで歌うなんて思ってもいなかったのでびっくりして、すごく印象に残りました。それが初めて細野さんのコンサートに行った日の唯一の記憶かもしれない(笑)。
細野さんに実際お会いしたのは、2回目の台湾ライブ(2019年2月23日、Legacy台北)のときです。ドキュメンタリーの撮影をされていたNHKのスタッフの方から「細野さんに会いませんか」とお誘いが来てびっくりしました。細野さんの隣に立って、何をしゃべったのかもあんまり覚えていません。初めて細野さんの曲を聴いたときの気持ちを話したり、世間話みたいな会話をしたと思います。一番印象に残っているのは、隣に立ったら、細野さんの体からタバコの匂いがして、とても落ち着いたこと(笑)。本当にカッコいいなあって思いました。
2019年に東京で開催された展覧会「細野観光」で、細野さんが少年時代に描いていたマンガを初めて見ました。白土三平さんの真似をして描いていた忍者マンガ、面白かった(笑)。細野さんは諸星大二郎さんがとても好きですよね。展示されていた愛読書の中にも諸星さんのマンガがいくつもありました。はっぴいえんど、YMO時代の細野さんのメモ帳も展示されてましたけど、手描きのロゴや挿絵が本当に上手でびっくりしました。私は絵を描くのが好きなので、細野さんとの共通点が1つあるのはいいなと思いました。
細野さんは名作をたくさん出してきたのに、後輩アーティストたちと今も一緒に作品作りを楽しんでいますよね。その気持ちも本当に素晴らしいし、素敵です。私も、細野さんのように70歳を超えてもマンガを描き続けたいと思っています。
高妍(ガオイェン)
1996年、台湾・台北生まれ。台湾芸術大学視覚伝達デザイン学系卒業、沖縄県立芸術大学絵画専攻に短期留学。マンガ家 / イラストレーターとして台湾と日本で作品を発表している。「月刊コミックビーム」(KADOKAWA)にて2021年6月号から2022年5月号まで、自身初のマンガ連載「緑の歌」を執筆。同作は「緑の歌 - 収集群風 -」として2022年5月に上巻で単行本化された。そのほかの作品に村上春樹の小説「猫を棄てる 父親について語るとき」の装・挿画などがある。
バックナンバー
細野晴臣のほかの記事
関連商品
geek@akibablog @akibablog
台湾のマンガ家・高妍が語る細野晴臣 | 私と音楽 第28回 - 音楽ナタリー
https://t.co/SmkCejVQHF