「西寺郷太のPOP FOCUS」番外編「歩津府富王火須」 [バックナンバー]
西寺郷太&綾小路 翔、敬愛する作曲家・筒美京平を語る~Romanticが今も止まらない~(前編)
時代を超えて大衆を“酔わせる”名曲の本質とは?
2022年3月7日 19:00 25
西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。今回は春の特別企画「歩津府富王火須(ポップフォーカス)」として、
取材・
筒美京平楽曲が世の中にあふれていた時代
──お二人が最初に筒美京平さんの曲に興味を持ったのは?
綾小路 翔 僕は「ヤンソン」(月刊「明星」の付録歌本「Young Song」)がきっかけですね。「筒美京平」という名前をよく見るなと子供心に思ってました。でもその頃はマニアックに音楽を聴いていたわけでもないですし、アイドル歌手に夢中になっているだけだったんで。本格的に興味を持つようになったのは、1997年にリリースされたボックスセット(「筒美京平HITSTORY Ultimate Collection 1967~1997」)を手に入れてからですね。「俺が好きな曲は、ほぼ全部この人が書いているんだ!」って大きな衝撃を受けて。それから意識して曲を聴くようになりました。
西寺郷太 僕は1973年生まれなんですけど、異常に歌番組が好きな子供で。小学校に上がる直前、1979年に大ヒットした
綾小路 そうでしたよね。大人になるとよくわかります。「この曲もあの曲も、そうだったんだ!」って。
西寺 すごく覚えているのが、NHKで放送していた「スプーンおばさん」というアニメ。オープニングとエンディングの曲を京平さんが作曲していて、
──世の中に筒美京平メロディがあふれていた時代。
西寺 はい。日常の中に京平さんの楽曲が溶け込んでいたというか。僕は「筒美京平のメロディは柔らかい義務教育だ」と言っているんですが。
綾小路 3000曲以上書いているっていう。当時は同じ週に何曲も京平さんが書いた曲がリリースされていたわけで。いったいどういう生活をしてたんだろう。
西寺 (笑)。僕は一時期、京平さんとお仕事をご一緒させてもらったことがあるんですけど、ご本人がよくおっしゃっていたのが「僕よりも、サザンの桑田くんやユーミンといったシンガーソングライターのほうが全然すごいです」と。「自分は曲だけ書いていればいいけど、彼らはテレビに出たり、取材を受けたり、ツアーをやったりしながら曲を書いてるわけだから」って。自分は作曲しかしてないから、たくさん曲を書くことができたんだとおっしゃっていましたね。
綾小路 それにしても3000曲って、尋常じゃないですよ(笑)。
NONA REEVES×筒美京平コラボ秘話
──NONA REEVESは、2000年に筒美さんをプロデューサーに迎えて、「LOVE TOGETHER」「DJ! DJ! ~とどかぬ想い~」という2曲のシングルをリリースしています。筒美さんとのコラボは、どういう経緯で実現したんですか?
西寺 90年代半ば、NONA REEVESが下北沢CLUB Queとかでライブをやって、インディでCDを出した頃、レコード会社の人が挨拶に来てくれるようになったんです。その中に渡辺忠孝さんというワーナーのディレクターさんがいらして。当時50歳過ぎだったのかな? 白髪交じりの坊主頭、超ベテランだったんですけど、その忠孝さんが、京平さんの実の弟だったんですよ。
綾小路 へえ!
西寺 ずっとポリドールにいて、僕らが大好きなC-C-Bやフィッシュマンズの仕事にも携わってこられた方だということで、忠孝さんが会社を移るタイミングでノーナもワーナーからメジャーデビューすることになったんです。ただ、デビューしたはいいものの最初の1、2年、全然うまくいかなかったんですよね。翔やんもわかると思うけど、若い頃って自分のスタイルを何がなんでも守ろうとする反骨心があるじゃないですか?
綾小路 あります、あります(笑)。
西寺 「プロデューサーなんて絶対に付けないぞ!」って(笑)。結局、メジャー3年目に契約更新の時期が訪れて、このままではヤバいということになったんです。ちょうどその頃、忠孝さんが「兄がノーナの『STOP ME』を聴いて、『この子たちは欲がないねえ』って言ってたよ」って話してくれたことがあって。その言葉がすごく気になったんで忠孝さんにお願いして、どういう意味かもう少し具体的に話を聞いてきてもらったんですよ。そしたら「曲自体はすごくいいんだけど、AメロもBメロもサビも平均的によすぎる」と言われて。つまり「ここがサビです!」というのがわかりづらいと。メリハリをつけろ、と。
綾小路 なるほど。
西寺 「STOP ME」はデイリーヤマザキのCMソングに使われてたんですけど、放送を確認したらCMでは自分が思うサビじゃなくてオープニングの部分が使われていたんですよ。当時「あれ?」と思って。京平さんがおっしゃっていたのって、たぶん、そういうことだったんでしょうね。そこで、「次の曲はぜひ筒美京平さんにプロデュースをお願いできないですか?」って忠孝さんにダメ元でお願いしたんです。それが1999年の秋。今思えば、あのタイミングしかなかったんですよね。1年後くらいに渡辺さんがノーナのディレクターから外れてしまったので。
──実際にお会いした筒美さんはどんな方でしたか?
西寺 ジェントルで、とにかく優しい人でした。最初普通に「京平さん」とお呼びしてたら、周りのスタッフから「京平先生」って呼んだ方がいいと1回諭されて。僕もそれにならって「京平先生」って次会ったときに変えたら「先生って言わないでよ!(笑)」って怒られて(笑)。歳が離れすぎていたんで、そういういう意味でも、かわいがってもらえた気がします。ただ何より、“弟が手がけている若いバンド”というのも大きかったのかもしれません。今思えば、京平さんにとってC-C-Bってすごく大きい存在だったと思うんですよ。弟さんと一緒にやったC-C-Bの仕事はすごく楽しい思い出だったんじゃないかな、と。バンドと一緒に意見をぶつけ合いながら作品を作るという意味でも、C-C-Bでできた新鮮なコラボレーションをもう1回やりたいと思ってくれたのかもしれませんね。
──筒美さんは60年代後半のGSの時代からバンドに曲を提供していますが、それはあくまで楽曲提供であって、C-C-Bのときのようにバンドとがっちり組んで作品を作るようなことは確かに稀だったかもしれません。
西寺 例えば少年隊の「ミッドナイト・ロンリー・ビーチサイド・バンド」がThe Blow Monkeysみたいな雰囲気だったり、僕の好きな80年代のUKブルーアイドソウルやUKニューウェイブのムードを京平さんも本質的な部分でたぶんお好きだったと思うんです。KajagoogooやDuran Duranだとか。ノーナの曲を聴いて、そういう要素を感じ取ってくれたのかもしれません。でも、今となっては、「なんで一緒にやってくれたのかな?」とは思いますね……。ありがたいことですが。そういえばノーナのレコーディング中に京平さんが突然イタリアに靴を買いに行っちゃったこともありましたよ(笑)。
──ええ!
西寺 作業が大詰めのときに(笑)。今はいろんなパターンもありだと思いますが、当時はプロデューサーって、もっとガチガチに作業に携わるものだと思っていたのでびっくりしました。でもあとから思うと、あれって「ここまで来たら大丈夫。あとは自分たちでがんばりなさい」という僕らへのメッセージだったのかなって。京平さんにもらったアドバイスは数限りないですが、流行りの音楽を常にチェックされている姿勢には驚きましたね。ご自宅に遊びに行ったとき僕がソファに座るなり、「郷太くん、この2枚を聴きなさい」ってポルノグラフィティの「アポロ」とDragon Ashの「Viva La Revolution」を薦められて。
綾小路 へえ!
西寺 「郷太くんたちの音楽はいいけど上品すぎるから。若い人たちはもっと激しくて強い音楽を聴いてるよ」って。当時はまだ若かったし、なんで自分より年下の売れてる同時代バンドの曲を聴かなきゃいけないんだと正直思いましたけど(笑)。考えたらすごいですよね。1999年、2000年もそういうテンションを維持していらっしゃったことが。京平さんはヒットしてる音楽を全部チェックしてたから、絶対に氣志團も聴いてたと思う。
ほんのわずかな勇気が出なくて……1度だけのニアミス
──翔さんは、かつて1度だけ京平さんとニアミスしたことがあるんですよね?
綾小路 はい。山中湖のスタジオの食堂で、僕らの近くの席に筒美さんが座っていらして。いまだに謎なんですよ。なんであそこに京平さんがいらしたのか。普段は大学の音楽サークルが合宿で使うようなスタジオなんですけど。当時僕は奥田民生さんに譲ってもらったメルセデスベンツに乗ってイキってたんですけど、スタジオの駐車場に着いたら次元が違うような高級車が数台並んで停まっていて。「ちょっと俺の車、向こうに停めようかな……」くらいの(笑)。
西寺 あははは。
綾小路 で、作業を終えたあとに僕らが食堂に行ったら、ご年配の方々が4人くらいでワインを飲みながらゆったり食事されていたんです。そしたらそこのスタッフの方が、「筒美京平さんですよ」ってこっそり教えてくれて。
西寺 もしかしたら弟の忠孝さんもいらっしゃったのかも。それって何年くらいのこと?
綾小路 2003年とか、たぶんそれくらいですね。
西寺 なんとなく京平さんが東京以外で仕事をするのは珍しいなと思って。とにかく忙しい時期の話を回想されていて、一時期はレコード会社の横に事務所を借りて、窓からお盆に乗せて楽譜を渡していたみたいで(笑)。昔はメールとかファイル送信とかないから。
綾小路 聞いたところによると、仕事というよりも、みんなで遊びがてらセッションしに来てたみたいですね。
西寺 ああ。ちょっと旅行がてらっていうか。
綾小路 そんなような集まりだったと僕は聞いた気がします。で、明日もいらしたらご挨拶しようと思っていたんですけど、朝になったら車がなくなっていて。
西寺 残念……!
綾小路 勇気を出して話しかけるべきだったなと強烈に後悔しましたね。ほんのわずかな勇気が出なくて。
西寺 でも翔やんが声をかけたら絶対喜んでくれたんじゃないかな。
綾小路 僕、すごくビビりなんですよ(笑)。自分から飛び込んでいけないところがあって、「気付いて! 気付いて!」って、いつもそういう感じなんです。
西寺 意外やわー(笑)。
綾小路 はい。学校での活動もすべてそうだったんですけど、何かバカなことをやったり面白いことをやったりしたら誰かが話しかけてくれるんじゃないかって。そもそもバンドを始めたのもそういう理由ですし。いつも先輩たちに「僕はこんなに好きなんです!」っていうことをアピりまくって、話しかけてもらうまでがんばるみたいな(笑)。例えば
西寺 ああ、覚えてます。
綾小路 彼もまた筒美京平マニアだったもので「筒美先生の曲じゃなかったら絶対歌いません!」的なアピールをしたそうで、確か2枚か3枚くらい書いてもらっていて。まだ氣志團を始める前だったんですけど、当時それが刺激になったんです。「同じ街から世に出た同じ年齢の人間が、天下の筒美京平に曲を書いてもらえるんだ!」という、尊敬と嫉妬が入り混じりつつも、大きな勇気をもらったんですよね。当時、筒美さんが
筒美京平の楽曲、ベースは炭酸水説
──翔さんは作曲家としての筒美さんにはどんな印象を持っていたんですか?
綾小路 すごく貪欲な方だったんだろうなと思います。本当に音楽が好きだったんだろうなって。山下達郎さんもそうですけど、どれだけ大御所になっても自分でレコードを買いに行っちゃうような(笑)。やっぱり生粋の音楽オタクだったんでしょうね。で、僕は郷太さんにも同じものを感じるんです。「同じ目をしてる」って(笑)。
西寺 あははは。
綾小路 「同じ目をしてる」っていうのは、「七人のおたく」という映画の中で、ウッチャンナンチャンの南原清隆さんが言う名ゼリフなんですけど(笑)。なんというか、僕自身、オタクファンみたいなところがあるんです。
西寺 オタクファン?
綾小路 はい。自分はあまりオタク気質ではなくて、どちらかと言えばオタクの人のウォッチャーみたいな感じなんです。オタクの人がしゃべってることや作ってるものに自分はどうしてこんなにもトキメくんだろう?って。人によっては何も興味がないことに対して一生懸命追及していける人たちというか。あまりにも突き抜けすぎていて「ところでどこへ行くの?」って言われてしまうような人たちに一方的な憧れを抱いてしまうんです。筒美さんはいろんな洋楽をオマージュしていたということをよく言われますけど、元ネタを探るたびにすさまじいセンスの持ち主であることに気付かされるわけです。世の中には元ネタをそのままトレースしてしまう人もたくさんいるのでしょうけど、筒美さんの曲はそれらとは一線を画しているんですよね。「この曲を元にして、こんなに新しいものを生み出してしまうんだ!」って。そこからヒントをもらって僕も元ネタをベースに曲を書いてみようと思うようになったんです。そういう意味でも、筒美さんは師匠みたいな存在だと勝手に思っていて。そもそも誰もが影響を受けた音楽を模倣するところからスタートしていると思いますし。ただ誰も筒美さんと同じようにはできないっていう。同じ元ネタで曲を作っても、ほとんどの人はダサくなってしまうと思うんです。
──その「ダサくならない」というのは、なぜなんですかね?
綾小路 これもまた陳腐な表現かもしれませんが、センスとしか言いようがないと思うんです。おそらくですが、筒美さんは洋楽も日本の音楽も同じくらい好きだったんじゃないですかね。ある時期まで、洋楽に比べて邦楽はカッコ悪いみたいな風潮があったじゃないですか。外タレの日本公演のオープニングアクトに出たバンドは人気があればあるほどブーイングが起きたりだとか、それこそ1997年に行われた第1回目のフジロックにTHE YELLOW MONKEYが出演した際もそんなことがあったと聞いたことがあります。筒美さんはもともと洋楽マニアだったと思うんですけど、邦楽も分け隔てなく受け入れられるような感覚を持っていたんじゃないですかね。で、洋楽的なセンスがルーツにあるからこそ、単に歌謡曲を作ろうとしている人たちとは違うおしゃれさが楽曲からにじみ出るという。
西寺 京平さんが作家活動をスタートした1960年代の歌謡曲、芸能界の主流って、僕らが思っている以上に演歌的だったと思うんです。80年代の中盤くらいまでは、演歌やムード歌謡が歌番組でも多くを占めていたし。自分が子供だったときも、「ザ・ベストテン」を観たら、8位が大川栄策さんの「さざんかの宿」とかだとガックリ来て、上位に入っているであろう聖子ちゃんが出てくるのをひたすら待つみたいな(笑)。
綾小路 わかります。……いや、「さざんかの宿」も名曲ですし、THE ALFEEの前で“星型のディス箪笥”を担いだのも見事でしたけどね(笑)。
西寺 いや、今になればその深みと面白さ、わかるんだけどね(笑)。そんな演歌的だった日本の歌謡界において、京平さんは常に挑戦者というか、時代を変えていく立場だったと思うんです。昨年出た公式トリビュートアルバム(「筒美京平SONG BOOK」)で、BiSHのアイナ・ジ・エンドさんがカバーした「ブルーライト・ヨコハマ」のプロデュースを武部聡志さんからの依頼で僕が任せてもらったんですけど、あの曲も然り、京平さんが常に意識していたのは曲の中に混ぜる切なさの度合いだったのかな、と。ハイボールの濃さ / 薄さみたいな。京平さんは、もともとカラッとした曲を作るのが得意な人だと思うんですよね。例えば
綾小路 なるほど!
西寺 京平さんが僕に言いたかったのは、「もうちょっとウイスキーを増やしてみたら?」「メロディを濡らしてみたら?」っていうことだったのかもなと。切ない要素を曲に入れて聴き手を酔わせる、入れ過ぎはダメだけどギリギリまでっていう。それが「欲のない子たちだ」という僕らの評価につながってたんだと思うんですけど(笑)。明るさとのメリハリ。京平さんが60年代以降ずっとヒットメーカーで居続けることができたのは、本質的にカラッと明るい曲を作れる人だったからじゃないでしょうか。ベースが炭酸水だからこそ、いろんな流行のお酒を自由に混ぜることができたと思うんです。ある時は焼酎、ある時はジン、みたいな。その度合いが絶妙だから味が古びないんですよね。
<後編に続く>
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」、2021年9月にはバンドでアルバム「Discography」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などに出演し、現在はAmazon Musicでポッドキャスト「西寺郷太の最高!ファンクラブ」を配信中。
綾小路 翔(アヤノコウジショウ)
氣志團のボーカリスト。1997年に千葉県木更津で氣志團を結成。“ヤンクロック”をキーワードに、学ランにリーゼントというスタイルでのパフォーマンスが話題を集め、2001年12月にVHSビデオで“メイジャーデビュー”を果たす。「One Night Carnival」「スウィンギン・ニッポン」などヒット曲を連発し、2004年には東京ドームでのワンマンライブも開催。2012年からは地元千葉県にて大規模な野外イベント「氣志團万博」を主催し、ほかのフェスとは一線を画するラインナップで多くの音楽ファンの支持を集めている。2021年4月に筒美京平のトリビュートアルバム「Oneway Generation」をリリースした。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」「スーベニア」「家族って」といった著作を発表。最新刊は「しまおまほのおしえてコドモNOW!」。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。
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