SHAKKAZOMBIE(Photo by Takeshi Maehara)

オオスミくんは終生MODSだった

元SHAKKAZOMBIEディレクターが没後1年の命日に振り返るBIG-Oの素顔

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SHAKKAZOMBIEのBIG-Oことオオスミタケシが急逝してから本日で1年が経った。1993年にHIDE-BOWIE、TSUTCHIEとともにヒップホップグループSHAKKAZOMBIEを結成し、1996年にメジャーデビューを果たしたオオスミ。そんな彼のアーティスト活動を間近でサポートしていたのが、SHAKKAZOMBIEの元ディレクターである本根誠氏だ。エイベックス内のレーベルCutting Edgeのディレクターとして、ECDYOU THE ROCK★、K DUB SHINE、BUDDHA BRAND、キミドリ、SHAKKAZOMBIEといったそうそうたるヒップホップアーティストの作品を世に送り出してきた氏は、90年代の日本語ラップシーンを盛り上げた重要なキーパーソンとしても知られている。本稿では、そんな本根氏にSHAKKAZOMBIE担当時代を中心にオオスミとのエピソードをつづってもらった。

/ 本根誠 ヘッダー写真 / Takeshi Maehara

知り合った頃から一線級の好事家だった

川久保玲、ドリス・ヴァン・ノッテン、音楽の世界なら曽我部恵一、ミック・ジャガーなどなど、クリエイティブの世界にいながら同時に経営者としても優れた活躍をする人はいます。オオスミくんもこの中に入れてよい才覚を発揮し続けた人だと思う。一般的に優れた経営者と言えば、どこか機を見るに敏なタイプを思い浮かべるかもしれませんが、オオスミくんはとても直感的な動きをする人で、キャンバスが洋服でも音楽でも預金通帳でも常に即時的なアクションをし続けた天才だと思います。

最初に迎えたのは、社会派というより生活派、身の回りのトピックを時にシニカルに時にコミカルにまた怒り心頭に語り続けたECD。彼の紹介で、実は聴きこむとメソメソしていて、そこがカッコいい労働者階級のアニキYOU THE ROCK★、ECD以上に社会派だったり一人称リリックはダウナーだったり、その振れ幅が聴きどころなK DUB SHINE、そしてNYのストリートと東京の下町横丁感覚を痛快につないでくれたBUDDHA BRAND。Cutting EdgeというよりECDの周りに、たくさんの才能が集まり始めた1993年頃。SHAKKAZOMBIEは下北沢SLITSでキミドリがやっていた「Kung Fusion」というイベントに集う3人で結成された。キミドリはヒップホップ文化というより下北沢パンク文化が産んだ異才だと思うし、そもそもSLITSというクラブがパンク~ニューウェイブとダンスカルチャーを橋渡しした感じの素敵なお店だった。

SHAKKAZOMBIE

SHAKKAZOMBIE

そしてSHAKKAZOMBIEの頃のオオスミくんは、1990年代東京のMODSであると規定したい。MODS、すなわち「黒人音楽がこの世で一番!」と思って暮らしている輩。まだサンプリングありきだったこの時代の音作りだとCutting Edgeには天下の掘り師DEV LARGEもいたし、ECDも和モノの扉を開けようと研究熱心だった。で、根っからブラックミュージック大好き、MODSなオオスミくんはといえば、もっとフラットにアメリカのR&Bやラップをすごく好んで聴いていた。その嗜好性はとてもミーハーでシュアなワクワク感にあふれてて、この頃、アメリカのヒットポップの動向をよく教わったものです。あの巨漢で、さらにオーバーサイズのストリートウェアに、グッチのスカーフを合わせるみたいな、お洋服の着こなしも会うたびに楽しい気持ちにさせてくれるものでした。そう、オオスミくんはアーティストとしては、もちろん一線級だったけど、植草甚一、今野雄二、そしてBIG-O! 知り合った頃からオオスミくんは一線級の好事家だった。

オルタナティブな感情を見つめ続けたリリシスト

SHAKKAZOMBIEをして叙情的、という形容は今も昔も定番な紹介文だけど、喜・怒・哀・楽の間の黒点のところあたり。具体的に今すぐ困り果てているわけではないけど、なんかパッとしない、みたいな。コロナ禍の巣ごもり期にみんな感じてましたよね、モヤモヤ~っとしたあの気持ち。SHAKKAZOMBIE、そしてオオスミくんはそんな誰のココロにも内在するオルタナティブな感情を見つめ続けたリリシストだったと思う。あの頃は彼ともよく長電話したけど、夜遅くに世間話をしてるとき「本屋さんで見つけたヘミングウェイの『何を見ても何かを思いだす』という短編集のタイトルが気になって仕方がないのだけど、どんな内容なのか」と質問攻めをくれたり、また別のときはマルグリット・デュラスについて語ったりする、ルックスはヒップホップだけど、ココロの中はデリケートな青年という感じでした。

SHAKKAZOMBIEが売れ始めてからは、レーベルがツアー協賛などして、ライブ方面からもお客さんを増やそうとし始めるのですが、ツアー最終日の札幌でオオスミくんがライブ後の打ち上げにたくさんの取り巻きを連れてきたんです。ヒップホップの世界あるあるなので見て見ぬ振りをしていましたが、後年爆笑とともに種明かしを聞くと、この直後開始するSWAGGERという洋服ブランドの立ち上げに備えて、ツアー各地でアパレル関係者を打ち上げ(レーベルの予算の!)に招待していたそうです。SWAGGERの1回目の展示会には僕も呼んでもらって行きました。プログレッシブなストリートファッションなのだなと思いました。

オオスミタケシ(写真提供:本根誠)

オオスミタケシ(写真提供:本根誠)

鮎川誠さんが選んだPHENOMENONの開襟シャツ

豪雪の日曜日の夜といえば誰しも出かけたくないけれど、オオスミくんと僕のスケジュールの都合がどうしてもつかず、そんな夜にオフィスに集合して契約金の更改について長い打ち合わせをしたこともあります。前払い金についてはあっさりお互い納得し合ったけれど、印税率についてはオオスミくんは一歩も引きませんでした。担当ディレクターの橋爪さん、そして僕があの手この手で説得しても彼はいつものニコニコした顔で(たった!)1%の増率を求めて粘ってくる。 

「この1%は単にお金の話ではないんです。本根さんの僕らに対する評価を、僕は知りたいし、僕は本根さんにより高く評価してもらえるアーティストになっていきたいんです」

あのかわいらしい笑顔でこのセリフを言われてしまっては、勝ち目はありませんでした。

このときのオオスミくんの1%の粘り腰がガメついものでないことは、彼のディスコグラフィが証明している。SHAKKAZOMBIEは1997年に1stアルバム「HERO THE S.Z.」、1999年に2ndアルバム「JOURNEY OF FORESIGHT」を出しているけど、なんと、その間の1998年にオオスミくんはBIG-O名義でソロアルバム「Control(The Spiritual Matters)」を発表している。「さんピンCAMP」とかで名前を売って待望のフルアルバムを出して、普通だったら、その勢いで2ndアルバムを出すでしょ。この流れを思い返すだけでも、彼の創作活動が常にクリエイティブありき、ココロ第一主義であったことがわかると思う。

オオスミタケシと本根氏。(写真提供:本根誠)

オオスミタケシと本根氏。(写真提供:本根誠)

その後、オオスミくんは音楽から距離を置いてPHENOMENONというブランドを1人で立ち上げますが、僕は僕で、レーベルのディレクターを辞めていて、昔の友人がどこでどう成功してるかなど半分興味をなくしていました。その頃はSHEENA & THE ROKKETSのマネージャーをやっていて全国各地ライブ行脚をしていました。真夏のツアー先でサウンドチェックが終わったところで、リーダーの鮎川誠さんのステージ衣装が足らないことに気付いてやや慌てたのですが、鮎川さんは怒りもせず、じゃあ、通りの向こう側にある古着屋さんに行って上着だけでも調達しよう、ということで、ぼくらは田舎町のDC古着のお店に行って、鮎川さんのチョイスをボーッと待っていたのですが、鮎川さんはPHENOMENONの開襟シャツを選びました。30年以上ロックンロールと共に生きてきたシナロケの、いつも通りに素晴らしい演奏とPHENOMENONの開襟シャツはいつも通りにお客さんを楽しませていました。

コラボの礼を述べるとオオスミくんは……

それからまた数年経って、オオスミくんとばったり表参道で会いました。新しいブランドの仕事で、すぐ近くのお店に来ていると聞いて、長話はしなかったけど、こっそりそのお店をのぞきに行きました。ハリスツイードをパンキッシュに取り入れたオオスミくんのデザインを見て、そうだよな、オオスミくんはヒップホップというより、下北沢のパンクシーンの申し子だものな、と納得しました。

本根氏とオオスミタケシ。(写真提供:本根誠)

本根氏とオオスミタケシ。(写真提供:本根誠)

2019年、渋谷のPARCOがリニューアルオープンするというので、業界の知り合いに頼んで開店前の内覧会に行くことができました。ショップのあちこちで昔の知り合いのアーティストに会えて懐かしい気持ちになっていたとき、オオスミくんにも会いました。彼は、なんとかつて六本木にあったレコードショップのWAVEをアパレル展開も含む新たなプロジェクトとして再スタートしていたのです。当時僕は今の仕事である東洋化成でアナログレコードの営業職をしていたので、すぐにオオスミくんにアポイントをもらって、ペコペコと営業に行きました。そしたら数日してWAVEの方々から、WAVEと東洋化成とコラボでお洋服を作りたいと申し出てもらえたのです。ずっと昔、六本木のWAVEで働いたことのある僕には二重の意味で光栄でした。でもお互いそんなにつるむ感じではなくなっていたし、コロナ禍もあって、直接礼を述べることができたのは2020年の展示会に僕がお邪魔したときでした。改まってお礼を述べる僕に照れたのか、昨年のコラボアイテムのことをよく憶えていないのか、オオスミくんはBTSのメンバーの誰がどのように素敵で、彼らにどれほどの可能性があるか、ずっとしゃべっていました。ね!? オオスミくんは終生MODSだったと思いませんか?

本根誠

1961年大田区生まれ。WAVE、ヴァージン・メガストアなどCDショップ勤務を経て、1994年にエイベックス入社。Cutting Edgeレーベルのディレクターとして、Nuyorican Soul、ECD、東京スカパラダイスオーケストラ、BUDDHA BRAND、SHAKKAZOMBIE、Fantastic Plastic Machineなど多くのアーティストを手がける。2005年に独立しessence inc.を設立。プロデューサー / マネージャーとしてカーネーションやSHEENA & THE ROKKETSを手がける。また、「200CD ブラック・ミュージック」「The Extended」ほか音楽書籍の共著、編集も多数。現在は東洋化成に勤務し、「RECORD STORE DAY JAPAN」の旗振り役として精力的に活動している。

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読者の反応

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たかひろ @takahiroxxxxxxx

オオスミくんは終生MODSだった https://t.co/YIONiVsKOQ

オオスミ死んじゃったんだよなあ( ; ; )

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