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佐々木敦&南波一海の「聴くなら聞かねば!」 7回目 前編 [バックナンバー]

松隈ケンタとアイドルソングのメロディを考える

年間200曲手がける売れっ子プロデューサーの今

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佐々木敦と南波一海によるアイドルをテーマにしたインタビュー連載「聴くなら聞かねば!」。この企画では「アイドルソングを聴くなら、この人に話を聞かねば!」というゲストを毎回招き、2人が活動や制作の背景にディープに迫っていく。作詞家・児玉雨子和田彩花神宿劔樹人(あらかじめ決められた恋人たちへ)&ぱいぱいでか美フィロソフィーのダンス作家・朝井リョウに続く第7回のゲストは、BiSBiSHらWACK所属グループのサウンドプロデューサーとして知られる松隈ケンタ(Buzz72+)。近年は地元・福岡と東京を行き来しながら、膨大な楽曲を制作し続ける松隈に、その制作スタイルのルーツや、WACK所属のメンバーたちとの曲作りの中に感じていること、今日のJ-POPシーンへの希望などについて、前中後編の3回にわたって語ってもらった。

構成 / 瀬下裕理 撮影 / 田中和宏 イラスト / ナカG

BiSHが注目を浴びる中、東京を去った僕

佐々木敦 はじめまして。今日は福岡からご足労いただきありがとうございます。

松隈ケンタ いえいえ。今は基本福岡にいるんですが、今月は毎週仕事で東京に来ていまして。

南波一海 僕は昨日別件の取材でお会いしたばかりですが(笑)、今日もよろしくお願いします。思い返すと松隈さんとのお付き合いはすごく長いですよね。

松隈 本当ですね。南波さんにはかれこれ10年くらい前から僕の仕事を知っていただいていて。

南波 今では松隈さんの制作スタジオもすっかり大きくなっていると思いますが、音楽プロデューサーの仕事を始めた2009年頃は宅録状態で、部屋のベッドでギターを弾きながら曲を作っていたんですよね。

松隈 2段ベッド的な、下が机になっているベッドで。寝るときは上で、曲を作るときは下で作業してという感じでしたね。プー・ルイPIGGS / ex LUI FRONTiC 赤羽JAPAN、BiS、BILLIE IDLE)の初期作品(2010年発表の1stアルバム「みんなのプー・ルイ」)とかもそのスタイルで作っていました。

松隈ケンタ(Buzz72+)

松隈ケンタ(Buzz72+)

佐々木 まさにホームスタジオですね。それから10年以上経っているわけですが、当時から考えるとご自身のキャリアも大きく変化されたんじゃないでしょうか。

松隈 本当にこの10年くらいで急成長しましたね。

南波 松隈さんは2010年に渡辺淳之介さんと一緒にBiSの結成に携わり、そのタイミングでスクランブルズという楽曲制作のチームを作られたじゃないですか。その後BiSやBiSHが次第に注目を浴びるようになり、WACKの所属グループもリリース数も驚異的に増えていきました。松隈さんはチームで作業をしていくという基本スタイルは変えずに、しかも楽曲のクオリティを落とさず、むしろ制作のスピード感を上げていったことが、本当にすごいなと思っています。

松隈 普通は耐えられないかもしれないですよね、あの曲数とスピード感には(笑)。

南波 自分が2012年にインタビューした記事を読み返すと、松隈さんは「自分の周りにいる面白いけど暇なヤツがいたから一緒にやりたかった」みたいなことをおっしゃっていて。それがそのまま大きくなっていったんだなと。

松隈 でも自分の中ではそういう未来が明確に見えていたわけではないんですよ。「何年後にここまで行きたい」とかもなくて。ただ先のことを考えてはいて、音楽業界になくてはならない存在になりたいなとは思っていました。自分はプロデューサー業をやる前からBuzz72+(バズセブンツー)というバンドをやっていたんですが(参照:Buzz72+が新作「world」携え14年ぶり復活ライブ開催、地元福岡でのメンバー全員インタビューで思いを語る)、メジャーデビューしたとき、たまたま作曲家の事務所に在籍していたんですよ。だから作家事務所の存在は、売れる売れないは置いておいて、ちゃんとしたクオリティで作品を作れるチームとして強く意識していたんです。で、僕が作家活動を始めた頃は、中田ヤスタカさんのように現代的なサウンドを1人で作るのが流行ってきた時代だった。でも僕はロックがやりたかったから、その逆張りじゃないですけど、ロックは1人じゃできないよなと思って。

佐々木 なるほど。

松隈 EDMは1人で作れるけど、ロックを作るにはベース、ドラム、ギターとか、いろんな楽器もプレイヤーも必要だなと思ったんです。だから1人で作るよりもチームでやるスタイルのほうが向いている気がしたし、コライトという形を取ったり、曲を演奏するにしても1人ではなくチームでやっていくべきだなと。そうすれば作れる曲数も増えるし、作業の負荷にも耐えられる。そうやってみんなで一緒に食っていきたいなと今でも思っています。自分自身が若いとき、音楽で食えなかったんで、ミュージシャンが食える環境を作りたいという気持ちもあって。それがあったから大きくなっていけたというか。

南波 その姿勢は昔から全然変わっていないですし、福岡に活動拠点を移してからも、新人育成を非常に意識しているところも面白いなと。でも、BiSHがあれだけ世間で盛り上がっているタイミングで東京を去るというのは改めてすごいことだったなと思います。

佐々木 松隈さんが福岡に戻られたのは2018年ですよね。当時は周りから「なんで今帰るの?」と言われたりしませんでしたか?

松隈 みんなから言われましたね。渡辺くんからも「は!? 何言ってるんですか! 意味わかりません」って(笑)。

佐々木 でもそれは明確なビジョンがあってのことだったと。

松隈 はい。まず東京に来てから、自分が異常なレベルで郷土愛が強いということに気付いて。九州の人間はそういう人が多いというか、特に福岡の人間は「隙あれば地元に帰りたい」と思っているはず(笑)。作家活動の駆け出しの頃はミュージシャンやタレントは東京にいないと活動できないという風潮があったので、やっぱり地元には戻れないかとあきらめていたんですけど、近年はPCがあればどこでも仕事の大半はできるようになりましたし、めちゃくちゃ売れていなくてもチームのシステムをちゃんと作ることができれば、地元と東京を行ったり来たりしてやれるかなと。あと、福岡はけっこう企業誘致が盛んで、ゲーム会社もいっぱいあるしLINEの本社も福岡にあったりする。だから福岡で音楽作っても別にいいじゃんという。

南波 お子さんが大きくなって東京弁しか話せなくなるのが嫌だというのも理由の1つなんですよね(笑)。バイリンガルにしたいみたいな。

松隈 そうそう(笑)。バイリンガルにしたいというよりは、単純に九州弁で育てたいなと。子供が物心ついたときに、東京じゃなくて九州にいてほしいなって。BiSHが爆発的に売れ始めて跳ねているタイミングだったから、本当にいろんな人に驚かれましたけど、自分が関わったアーティストが売れようと売れまいと、僕自身が音楽制作者として今後も生きていかないといけないわけですから。そういう意味でも、周囲の盛り上がりについてはみんなが思うほど重視していないかもしれないですね。実際、BiSHが売れたからといって仕事の忙しさはまったく変わっていないですし。正直売れてないときもむちゃくちゃ曲を作ってたんで。

佐々木 忙しさのリターンは違うかもしれないですが……。

松隈 確かに昔はキツかったです(笑)。忙しいわりにリターンが低い。そこでくじけないでいるのも大変でしたけど、制作に対する考えやモチベーションがブレることはなかったですね。

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スランプはもうなくなった

読者の反応

佐々木敦 @sasakiatsushi

好評で嬉しい!
南波君とのこのナタリー連載、次回も収録済みです。あと何回続くのかわかりませんが、いつか一冊の本になるといいな。
類例のないアイドル論になると思います。
https://t.co/aFNFQ7vqbk

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