西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。
第18回では資生堂「TSUBAKI」のCMソングとして広く愛された
文
SMAPらしさを完璧に落とし込んだマスターピース
ずいぶんと長い間、多くの作詞・作曲家、ミュージシャンにとって「もしも自分の書いた曲や歌詞をSMAPが歌ったら、どんなふうに日本中に響くのか?」とイメージすることが“日本のテレビから広まる音楽”の基準だった気がします。
近年、さまざまなメディアでいわゆる昭和歌謡、J-POP史が改めて研究され、語られ、執筆されているように思いますが、今年3、4月にテレビ朝日系列で放送された「関ジャム 完全燃SHOW」の「J-POP20年史 プロが選ぶ最強の名曲 ベスト30!!」という企画は特に秀逸でした。選曲の“幅”を2000~2020年にリリースされた曲に絞ったことで、ミュージシャンやプロデューサー陣もベストソングを選ぶときに自分たちがプロになってから並走してきた時代をもう一度当事者としてリアルに捉え直す必要があるからです。
僕もこのコーナーに参加させていただき、考え抜いた末、3位に
1995年の「Mステ」で届けたメッセージ
僕が「関ジャム」に送ったコメントは以下のようなものでした。
90年代半ばから、2016年の解散まで日本の「J-POP」の中心、頂点に存在していたのはSMAPだと思う。
「SMAP的」としか表現出来ないダンサブルなビート、コード、華麗なるストリングス!
セルフオマージュのように再構築し完成させた彼らの最高傑作の一つ。
5人の個性的な歌声で伝わる女性讃歌のメッセージが、説得力に満ちている。
「Dear WOMAN」の最大のポイントは「WELCOME ようこそ日本へ」という壮大なフックのフレーズ。これは
では、いつどのタイミングでSMAPは誰もが認める“日本を代表する圧倒的なスターグループ”になったのでしょうか。1973年生まれで、
1995年1月20日金曜日、夜8時。
テレビ朝日系「ミュージックステーション」の生放送での出来事でした。SMAPはその3日前に日本を襲った阪神・淡路大震災の衝撃を受けて、当時リリースされたばかりの最新シングル「たぶんオーライ」を「がんばりましょう」に急遽差し替えて歌ったんです。「たぶんオーライ」は、個人的に今も好きなSMAPソングの上位に位置していますし、青い背景にモノトーンで陰影の強いメンバーの写真がジャケットに使用されている短冊8cmCDシングルのジャケットが最高にクールで、年末に買って繰り返し聴き込んでいた楽曲。なので、「あー、歌う曲変わるんだ、歌詞的にそれもそうか」などとテレビを観ながら僕は軽い衝撃を受けたことを覚えています。歌唱前にグループ最年長で当時それぞれ22歳の木村拓哉さん、中居正広さんが順にアップになり、被災者への実直なメッセージを添えました。今でこそ普通の対処のように感じるんですが、当時アイドルが選曲も含めて臨機応変な姿勢を見せ、自分の言葉で災害時に語りかけるのは珍しいことでした。そしてまさにその瞬間、上り調子のサイクルに入っていたSMAPが日本芸能界の頂点に立ったと僕は考えているんです。
日本国民共通の“ベストフレンド”
僕も若い頃はそこまで気が付いていなかったんですが、人間って知っている人と会ったり、声を聞いたり、話したりすると心の奥底が安心するもの。見知らぬ集団に囲まれたり不安なとき、ちょっとでも顔見知りがいるとうれしいものですが、それはテレビのバラエティや街中の看板や広告などで見る芸能人、スターも同じで、擬似的な友人のような関係がお茶の間との間には生まれてゆく。SMAPは、長い間、日本国民共通の“ベストフレンド”だったんじゃないか、と僕は思うんです。SMAP最大の武器は、
ちなみに、SMAPのアルバム「We are SMAP!」(2010年7月発売)に収録されている麻生さん作詞、
アーティストたちのクリエイティビティを刺激したSMAPという存在
ミュージシャン、ソングライターとして、1997年にプロになった僕のような人間にとっては
SMAPの楽曲はコンペシステムで選ばれることが多く、2000年代以降、僕も声をかけていただき7回ほどエントリーしました。ただ厳しい審査に落選して、結局採用されずに返ってきたとしてもSMAPが歌う想定で書いた曲は“いい曲”になることが多いんです。例えば盟友の谷口尚久くんと共作してコンペに提出して落選した「休もう、ONCE MORE」という曲は、 自分たちでも気に入ってNONA REEVESのアルバム「POP STATION」(2013年3月発売)でギターの奥田健介、ドラムの小松シゲルと3人で歌っていて、ライブなどでもバンドの定番曲の1つとなっています。一応、歌詞を書いた時点で「ここは木村さんパートかな?」などと考えるのもクリエイティビティを刺激するんですよね。結局、僕は2010年発売のアルバム「We are SMAP!」収録の「SWING」という楽曲で一度だけ「SMAPに歌ってもらう」という夢を叶えました。5人が歌ったテイクを聴かせてもらい、バックトラックはニューヨークで録音され、10代の頃から憧れていたベーシストのウィル・リー、ドラムはオマー・ハキムという最強メンバー、届けられたときの感動は今も忘れられません。
彼らのアルバム、シングルをセレクトするため何千曲が毎年集められ、返却されていたという事実は、SMAPを想定して作った曲が、僕らの場合のようにそれぞれのアーティストやバンドに再利用されている可能性をも意味しています。実際、僕が関わった残りの数曲も形を変えながら、すべて世に出ています。その意味でもSMAPという“国民的いい曲を集めて歌うグループ”が存在したからこそ、日本の音楽業界が活性化していたという部分は必ずあるんです。
揺るぎないSMAPブランド
ここまで「Dear WOMAN」の作詞や、楽曲を多数のソングライターから集めてセレクトしてきたシステムから、SMAPが“日本代表として果たしてきた役割”の重要性について多く記してきました。ただし僕が、「Dear WOMAN」を「J-POP20年史 プロが選ぶ最強の名曲 ベスト30!!」のベスト曲に選んだ理由の最大のポイントは、平田祥一郎さんが担当された作曲・編曲にあります。僕は企画会議などに出席していたわけではないのでこれはあくまでも推測ですが、資生堂が「TSUBAKI」という看板商品を大々的に売り出して浸透させていこうと考えたとき、CM制作陣は「日本のポップミュージックのど真ん中に存在する楽曲とはなんだ?」と熟考したのではないでしょうか。日本のポップ音楽の代表としてのSMAPが歌う日本人がもっとも愛するタイプの楽曲・編曲。きらびやかなストリングスアレンジは、筒美京平さんが得意とした豪華絢爛なフィラデルフィアソウルのムードをまとうジャニーズ音楽の伝統。この時点での彼らは成熟した大人としての魅力も放ち、それでいて瑞々しさを失わない遊びに満ちたムードもあって素晴らしい。それまでの90年代SMAPミュージックを改めて研究し、いいところ、我々日本人が愛する要素を意図的に組み合わせたように思えて。5人のボーカルと言葉とサウンドが最大レベルの商業主義と純粋な美しさを兼ね備え、高いレベルで“揺るぎないSMAPブランド”として真空パックされている。それがベストに推した最大の理由です。
2017年の秋、稲垣さん、草彅さん、香取さんのプロジェクト・
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年には2ndソロアルバム「Funkvision」リリース。2021年9月には、バンドとして17枚目のオリジナルアルバム「Discography」発表。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「
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さくら @matttttane
SMAP「Dear WOMAN」 | 西寺郷太のPOP FOCUS 第18回 https://t.co/KMFcPQ8by0