DJ、選曲家としても活躍するライターの青野賢一が毎回1つの映画をセレクトし、映画音楽の観点から作品の魅力を紹介するこの連載。今回は日本で2014年に公開された「
文
観る者を映画の世界に引き込む魅力
複雑な歴史をあぶり出す音楽
本作の主な舞台はヨーロッパの東端に位置する旧ズブロフカ共和国という架空の国家。映画は、現在は“記念すべき国の宝”として胸像も建てられている「グランド・ブダペスト・ホテル」という小説の作者が、1968年にグランド・ブダペスト・ホテルで当時のホテルオーナー、ゼロ・ムスタファ(
グスタヴのもと、グランド・ブダペスト・ホテルのロビーボーイとして働き始めたゼロ(
殺人容疑で逮捕、拘留されてしまったグスタヴだったが、ゼロの協力のもと、アガサが差し入れるケーキに工具を仕込んでもらい、仲間とそれを使って脱獄に成功。しかしマダムDの息子ドミトリー(
多種多様な楽器で奏でられるスラブ的な響き
作中の音楽に耳を傾ければわかるが、本作では一般的なオーケストラで用いられる楽器は一切使われていない。ロシアでポピュラーな三角形の胴を持つ弦楽器バラライカ、ハンガリーの民族楽器として知られる打弦楽器のツィンバロン、驚くべき長さのスイスの木管楽器アルプホルンといった、中央、東ヨーロッパ諸国と、そうした国々に歴史的関係の深いロシアの楽器を筆頭に、ヨーデルなどの声楽も配されているのである。もちろん、こうした演奏面だけでなく、楽曲そのものにおいてもスラブ的な響きを感じさせるものばかりで、そのうえきちんと場面や登場人物の心情を表現しているのだから感服するばかりである。重要なのは、どこか1つの国や民族に収斂するのでなく、あくまでもありそうでない音楽に仕立てられていることだろう。このアプローチは、本作全体のファンタジックなトーンに大いに貢献している。その一方で、「どこか1つの国や民族に収斂するのでなく」ということは、実は占領や侵略などで領土や国家が不確定な時間帯も少なくなかったハンガリーやポーランドのたどってきた道のりを思い起こさせはしまいか。言うまでもなく、そうした不確定さの背景には戦争があった。
本稿の冒頭で色使いや画面構成といった視覚的な特徴をいくつか挙げた。これらの視覚的特徴は、見事に人の心を惹き付けたわけだが、本作はそれにとどまらず、戦争、国家といった物事にきちんと目がいくようにできており、それゆえ繰り返しの鑑賞に耐えうる強度を持っている。つまり、作中、アガサが小さなケーキの内部に脱獄用の工具を仕込んだのと同じように、表面上のかわいらしさの奥に、戦争や国家、そしてそうした局面における個人のあり方について考えさせられる要素がふんだんにあるのである。登場人物たちの物語を振り返ってみても、視覚的表現のキュートさに反して決してハッピーエンドとは言いがたく、ほろ苦さや切なさが残る。そこがいい。
「グランド・ブダペスト・ホテル」
日本公開:2014年6月6日
監督・脚本:ウェス・アンダーソン
音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演: F・マーレイ・エイブラハム / レイフ・ファインズ / トニー・レヴォロリ / シアーシャ・ローナン / ティルダ・スウィントン / エイドリアン・ブロディ / ウィレム・デフォー ほか
配給:20世紀フォックス映画
※Blu-ray発売中 / デジタル配信中
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- 青野賢一
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東京都出身、1968年生まれのライター。1987年よりDJ、選曲家としても活動している。1991年に株式会社ビームスに入社。「ディレクターズルームのクリエイティブディレクター兼<BEAMS RECORDS>ディレクターを務めている。現在雑誌「ミセス」「CREA」などでコラムやエッセイを執筆している。
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#グランド・ブダペスト・ホテル #青野賢一