アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は声優として活躍する一方、2017年より音楽活動も精力的に展開している
取材
お風呂でポルノグラフィティを熱唱する小学生
赤ん坊の頃は体が弱かったそうなんですが、幼稚園から小学生ぐらいまでは活発な子供でしたね。20分しかない休み時間でも「ドッジボールやろう!」って外に出るようなタイプの少年だったかな。一方で、本を読んだりするのもその頃から好きでした。祖父母と同居していたんですが、祖母がかなりの読書家で、壁一面の本棚に文学から何からいろいろあって。その頃は図鑑がすごく好きで、ブリタニカの百科事典を引っ張り出して読んでいるような子供でした。今でもそうなのかもしれないですが、明るい部分と陰の部分の両方が、当時からあったんだと思いますね。
小学5年生のときに、仕事の都合で母が単身赴任のような形になって、父の運転する車で1時間くらいかけて母の家に行っていたんです。車の中では両親が好きなThe Beatles、Carpenters、松任谷由実さんなどを聴いていたんですが、6年生になると自分でカセットテープを作るようになりました。その頃は
あと、これは本当にちゃんとお伝えしたいんですけど(笑)、小学生の頃から合唱をちゃんとやるタイプでした。わりと真面目な学校というか、「男子、ちゃんとやって!」みたいなことがありつつも、クラス全体が「みんなで合唱がんばろう」という雰囲気だったんです。歌うことはその頃から好きで、お風呂とかでもしょっちゅう歌っていたので、今思うと、僕がポルノグラフィティさんを歌ってる声が近隣の方にめちゃめちゃ聞こえてたんだろうな(笑)。でも、子供の頃は “いい声”って言われたことは全然なかったんですよ。声変わりするまではすごく声が高かったんですが、変声期が来るのが早くて、「○○くんはめちゃくちゃいい声でソロパートを歌っているのに、自分はもうかすれて出ない……」みたいなことを、この世の終わりかのように思っていました(笑)。ちなみに小学生から中学生にかけてはピアノも習っていたんですが、今はまったく弾けないですね。中学生になってバンドを始めてからは、ピアノの先生と一緒に編曲したりしていたので、今思うと謎の時間でした(笑)。
友人の影響で触れた筋肉少女帯やマリリン・マンソンの世界
中学1年生のときに仲良くなったクラスメイトが、ご両親の影響ですごくアングラな音楽に詳しくて「洋楽を聴いてみたい」っていう話をしたら、マリリン・マンソンから
そのクラスメイトに出会わなければ、もしかしたら声優ではない仕事を選んでいたかもしれません。文学や音楽の趣味だけじゃなく、自分の考え方や感じ方そのものが違っていたと思うので。高校1年生のときに学校に行きたくなくなった時期がありまして、その時期にアニメと出会って、声優を目指すようになったんですが、そういった世界に対する距離感のようなものも、この頃から形成されていったんだろうと思います。
そうして友人から古い世代の素敵な曲もいろいろ教えてもらいつつ、同時代の楽曲も自分で開拓していって、中学生のときはその2軸で音楽を聴いていた感じです。いわゆる邦ギターロックもド世代で通っていますし、
それと中2のときに、ポルノグラフィティさんをきっかけに仲良くなった別の友人と自作の歌詞の送り合いをしてたんですよ。その友人が、もう本当に天才的な、めちゃくちゃいい歌詞を書く人だったんです。実家にある昔使ってた携帯電話に全部保存してあるんですが、彼にもいまだに影響を受けてると思います。
今も自分の中に残るGood Dog Happy Menの影響
情報を得る手段としては、音楽雑誌も読んでましたし、僕の家は小学生ぐらいのときからインターネットが使える環境だったので、ネットで知ることもありました。まだダイヤルアップ回線の時代だったので、ギリギリの闘いをしてましたね(笑)。今でも覚えているのは、The World/Inferno Friendship Societyというバンドがいるんですが、中学生の頃に雑誌で見かけて、Myspaceで聴いたらすごくよくて。でも国内ではCDが流通してなくて、Amazonで買うしかないと。当時両親はインターネットでものを買うことにあまり肯定的ではなかったんですけど、The World/Inferno Friendship Societyを聴きたいがあまり、親に盛大なプレゼンをしたんです(笑)。「これからは家にいながら買い物ができる時代なんだよ!」って。そのとき買ったCDは今でも大事に持っています。「Only Anarchists are Pretty」という曲が、休日の朝にこれを聴けばすぐに掃除が終わってしまうようなノリのいい最高の曲なので、ぜひ聴いてみてください。
中高生の頃にやっていたバンドの曲は、けっこう独特なものが多かったと思います。Aメロ、Bメロ、サビ、みたいな一般的な構成の曲じゃなかったですし、アコギ、ベース、ピアニカ、ボーカルみたいな編成だったり。その頃一番影響を受けていたのが
地方に住んでいたので、高校生の頃は年に1回か2回、下北沢のハイラインレコーズに行けるのが本当に楽しみで。ライブもあんまりたくさんは行けなかったんですが、Good Dog Happy Menも観に行きましたし、山梨にthe courtというバンドがいたんですが、the courtさんとART-SCHOOLさんとPOLYSICSさんのスリーマンが山梨であって、友達と観に行ったんですよね。それもいまだに自分の心の中に残ってます。そうやって自分が通ってきたものの影響は、今曲を作っていてもそこかしこに出ていると感じます。
自分だけが楽しい、心地よい表現は伝わらない
高校1年生で声優という職業を知るまでは、将来は文章を書く人か音楽をやる人になろうって思っていたんですが、学校に行かなくなった時期にアニメと出会って、「アニメを作る側に立ちたい」という素朴な憧れから、17歳のときに81プロデュースのオーディションを受けました。全然明確なビジョンがあったわけではなく、本能的に自分が救われたものに飛び付いてしまったような気持ちでしたね。大学入学と同時に上京して、同じタイミングで養成所にも通い出したんですが、ダブルスクールがうまく両立できなくて、「一旦学業に専念させてください」って事務所にお願いして。3年生のときに1年間養成所に通って、4年生になるときに本格的に活動を始めました。
大学時代は誰に聴かせるでもなくたまに曲は作ったりしていましたけど、どちらかというと音楽を聴いたり本を読んだり、芝居をすることのほうが自分の中の比重としては大きくなっていたかもしれません。東京は自分にとってずっと幻影のような場所だったので、やっぱり上京してからもしばらくは「あれもできる」「ここにも行ける」って、すごく浮かれていたと思います(笑)。本当に「卒業したくない!」と思うくらい楽しかったですね。大学では音楽のみならず、幅広いことに詳しい人がたくさんいたので、大学時代に出会った人に教えてもらったものが、かなり今の趣味嗜好のベースになっています。
声優活動を始めてかなり早いタイミングで、お仕事でレコーディングをさせてもらう機会が一度あったんです。今でもそうなんですけど、僕はすぐ調子に乗ってしまうところがあって(笑)。歌うことは好きだったので、「それなりにいけるのでは?」と思っていたんですが、全然うまく歌えなかったんです。当然なんですが、自分だけが楽しいとか心地よいっていう表現は、やっぱりうまく伝わらない。そのときに出せる全力は出したんですが、「好きというだけでは、プロの仕事としては成立しないんだな」と痛感しました。声優業は特に、そういうことの繰り返しですね。
初めてアニメの主演をやらせていただいたのは2014年。81オーディションで優秀賞をいただいたのが2008年なので、自分の実感としては、しっかり地力をつけるまで事務所にすごく待ってもらえたと思います。最初は全然芝居もできないし、ダメ出しもたくさんいただいて、現場で役を変えられたりしたこともあって……実力不足だったから当然なんですが。学生ということを隠れ蓑にしている甘い自分もいたと思いますし、大学3年生の後半ぐらいで「やっていくぞ」って覚悟を決めてからは、ひたすら積み上げていくしかなかった。でも演じていると、ふとした瞬間にどうしようもなく心を鷲づかみにされてしまうような瞬間があるんですよね。「今、ロジックじゃなくて気持ちで言葉が出てきた」とか、「ああ、今すごく“会話”をしてる」とか。それが病みつきになってしまって。声優を目指したきっかけはひょんなことではあるんですけど、やっていくうちにどんどん好きになっていきました。
“声優・斉藤壮馬”がアーティストとして目覚めたきっかけ
アーティストデビューのオファーをいただいたときは、「歌以外の声の表現も取り入れた活動ができたら」と言ってくださったことに魅力を感じたんです。僕自身はあくまでも声優であるということを軸にして活動していきたいと思っていたので、「このチームでなら声優という一番の軸を大事にしながら、歌の活動もやらせていただけるんじゃないか」と。実は今のチームとは全然違うメンバーなんですが、あのとき飛び込んでみてよかったなって思います。
2017年にリリースしたデビューシングルの「フィッシュストーリー」は、オーイシマサヨシさんに作っていただきました。僕が「オーイシマサヨシさんに、無茶を承知でお願いできないでしょうか?」って聞いたら、なんと受けてくださって。オーイシさんのグルーヴィな楽曲の雰囲気も大好きでしたし、当時はあくまでも“声優・斉藤壮馬”の音楽活動として、歌が中心にあって楽しんでもらえるようなものにしかったんです。オーイシさんには細かい歌詞のコンセプトや僕からのリクエストにも全部対応していただけて、本当にありがたかったです。
3rdシングルの「デート」で現在のプロデューサーの黒田さんと出会うんですが、それからの音楽活動は、名義としては斉藤壮馬ではあるけど、このチームで1つのバンドのように感じています。2019年にリリースした「my blue vacation」に入っている「Paper Tigers」という曲は、黒田さんとアレンジャーのSakuさんが僕の家に来てくれて、「メジャーコードをいっぱい使ってる曲がないからセッションで作ろう」って話になり、3人でギターを弾いて1時間ぐらいでできました(笑)。レコーディング中もみんなで「ハモはこっちのほうがおしゃれなんじゃない?」とかやりながら作れて。年齢や通ってきた音楽も近くて、優しく受け入れてくれる、本当にいいチームだなと思いますね。
2019年の初ライブのときは、自分だけの歌唱でライブ1公演をやりきるというのが初めてのことだったので、果たして喉が持つかというのも不安だったんですが、終わってみればめちゃくちゃ楽しかったです。ライブのよさというのものは言葉では説明できないけど、それをより強く感じることができた。そこからは、このバンドで、このチームで表現することを念頭に置いた曲をもっと作りたいなって気持ちになりました。だからライブ当日も楽しかったんですけど、その後の楽曲制作にも大きく影響したという意味で、大きな経験でした。
今が一番、音楽活動に対する熱量が高い
「一番好きなミュージシャンは誰ですか?」って聞かれたときはエリオット・スミスって答えてるんですけど、これは本当に難しい質問ですね(笑)。例えば「君は1人じゃない」というメッセージをくれるような曲もすごく好きだし、実際勇気付けられもするんですけど、「1人でもいいんだ」という、孤独をそのまま受け止めてくれるような曲がより好きで。エリオット・スミスは本人の人生や歌詞の世界観も相まって、前向きなメッセージのみを歌っている方ではないと思いますけど、10代のときも沁みたし、今聴いてもやっぱり今なりの沁み方がある。声もとにかく大好きだし、1つのことを突き詰めていくと、こういう表現になるのかもしれないということを感じさせてくれる人です。
「目指している」というアーティストは特にいなくて、好きな方や尊敬している方はもちろんたくさんいるんですけど……もしかしたら三つ子の魂百までというか、いまだにどこかで「人と違う自分でいたい」みたいな気持ちがあるのかもしれません(笑)。以前、ある役者の先輩が「例え真似事であったとしても、君のフィルターを通して表現されたものは君の表現になっているんだ」と言ってくれたことがあって、それがすごく心に残っているんです。“学ぶ”という言葉は“真似る”から来ていると言いますが、0から1をクリエイトするのは難しいことかもしれないけど、今まで出会ったいろんなものを少しずつつなぎ合わせてアウトプットしていくのが自分なので、おこがましくもそんなものが出せたらいいなって思います。とはいえ僕の音楽活動は、自分が書いた曲をすごい人たちがすごくいい感じにしてくれている、それが本当にありがたいので、末永くやっていけたら、それだけでうれしいです。
最近は、歌詞ってすごく面白い表現だなと思っていて。僕は基本的に歌モノを作るという意識で曲を作っているんですが、曲に乗ったときに初めて言葉が意味を紡いでいくのが、すごく面白い。もしかしたら歌詞を書いて歌うということには、僕が好きな文章を書くこととか、芝居で表現することだとか、そのすべて込められているのかもしれません。今が一番、音楽活動に対する熱量が高いんじゃないかなという気はしますし、気が早いですが、2ndアルバムを踏まえてどういうアプローチができるのか……より内省的な感じなのか、底抜けに明るいになるのか、どちらでもいいなと思っているんです。この履歴書の先にどんなものを作っていけるのかが、自分でも本当に楽しみです。
斉藤壮馬(サイトウソウマ)
4月22日生まれ、山梨県出身。81プロデュース所属。声優としての出演作に「憂国のモリアーティ」(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ役)、「ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-」(夢野幻太郎役)、「ピアノの森」(一ノ瀬海役)、「ハイキュー!!」(山口忠役)、「KING OF PRISM by Pretty Rhythm」(太刀花ユキノジョウ役)、「アイドリッシュセブン」シリーズ(九条天役)など。2017年6月にシングル「フィッシュストーリー」でアーティストとしてデビュー。2020年12月に2ndアルバム「in bloom」をリリースした。
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