細野ゼミ 1コマ目(前編) [バックナンバー]
細野晴臣とアンビエントミュージック(前編)
“ゼミ生”安部勇磨(never young beach)&ハマ・オカモト(OKAMOTO’S)と共に探るその奥深い歴史
2020年10月21日 20:00 155
活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている
ゼミ生として参加するのは、細野を敬愛してやまない安部勇磨(
取材
今の時代こそアンビエント
──「細野ゼミ」第1回の題材は「アンビエントミュージック」です。
細野晴臣 何も知らないよ?
ハマ・オカモト&安部勇磨 あははは(笑)。
──細野さんは長きにわたるキャリアの中で、数々のアンビエント作品を発表されています。そもそもハマさんと安部さんの中でアンビエントのイメージってどんなものですか?
ハマ 僕の中では、それこそ細野さんやブライアン・イーノの作品くらいしか知識がなくて。勇磨はアンビエントって詳しい?
安部 僕もわかってない(笑)。
細野 じゃあ、みんなわかってないんだな(笑)。
安部 僕個人で言うと、ここ1、2年くらい観葉植物に聴かせるために作られた「Mother Earth's Plantasia」という電子音楽のCDを聴いていたりして、「アンビエントっていいなあ」と、なんとなく思ってはいたんです。あと、アメリカのレーベルLight In The Atticが日本産のアンビエントやニューエイジミュージックをコンパイルしたCD(「KANKYO ONGAKU: JAPANESE AMBIENT ENVIRONMENTAL & NEW AGE MUSIC 1980-90」)もよく聴いていて、いろいろ調べていくと収録されているアーティストが細野さんのお友達だったりして(参照:コラム「国内で長らく“無視”されていた日本産アンビエント&ニューエイジが、今なぜ世界的に注目されているのか」)。そういうところから最近興味を持つようになりました。
──アンビエントって安部さんくらいの世代の人たちも聴いているものなんですね。
細野 密かに聴かれているらしいね。
安部 言葉がないのがいいんじゃないですかね。今、いろんな人の言葉がSNSとかを通じて自分の中に、否応なしに入り込んでくるじゃないですか。そこには時として差別的な言葉が含まれていたり。そういった風潮にみんな疲れてしまっているから、今アンビエントが注目されているような気がして。実際、聴いてて楽ですし。
細野 僕もそうだよ。アンビエントいいよ、今。
安部 どんなにいい歌詞だとしても言葉自体に疲れてしまっているときもあるから。最近はアンビエントみたいに、ただただ流れているような音楽を気持ちいいなと思うようになりました。
細野晴臣とアンビエントの邂逅
──細野さんが初めてアンビエントという音楽を意識したタイミングはいつでしたか?
細野 YMOをやっていた頃、自宅ではブライアン・イーノのアンビエントシリーズをずっと聴いていたんです。とにかく落ち着くから1日中流しっぱなしだった。イーノが立ち上げたObscure Recordsというレーベルがあるんですけど、そこからリリースされた作品がどれもいいんだよね。ハロルド・バッドというピアニストとか……。
安部 あの、メモ取っていいですか? えーと……ハロルド・バッド。
ハマ 僕はICレコーダー回してます(笑)。
細野 ふふ(笑)。当時はアンビエント系のミュージシャンがよく日本に来てたんだよね。イーノの弟(ロジャー・イーノ)が来て、ラフォーレ原宿でライブをやったり。Penguin Cafe Orchestraも五反田の簡易保険ホールまで観に行ったよ。
──ブライアン・イーノがアンビエントというキーワードを提唱し始めたのは70年代後半ですね。
細野 イーノは「Ambient 1: Music for Airports」という作品を1978年に発表していて。この作品はタイトル通り、空港の施設内で流されることを想定して作られているんだけど、これってすごくアーティスティックな考え方なんだよね。つまり音楽そのものに明確な目的があったミューザックのようなものと違って。ミューザックというのは、例えば工場で働く人をリラックスさせるために流すような音楽のことを言うんだけどイーノのやっていたアンビエントは新しいイマジネーションだったの。
ハマ はっきりした目的があるようなないようなコンセプトなんですね。
細野 BGMやエレベーターミュージックとは違って決して実用的なものではない。その代わり今までの曲より長かったり、ミニマルだったり、繰り返しがあったり、構造的な部分に新しさがあった。それがイーノの専売特許だったんだよ。
ハマ なるほど。
細野 そういう音楽をよく聴いていた70年代の終わりか80年代の初期だったか、あるイベントでDJをやる機会があって。清水靖晃と一緒にやったんだけど、「グレゴリオ聖歌」とビートのある音楽を同時に流して、どうなるかっていうことを試したんだよ。アンビエントハウスをやったのは、それが最初だと思う。当時アンビエントハウスという言葉は全然知られていなかったんだけど。
ハマ それ、すごく気になってたんですよね。どのタイミングでアンビエントハウスという言葉が広まっていったのか。
細野 よく通っていた六本木のWAVEという輸入レコード店に「Ambient House」っていうCDが売っていたんだよ。「うわっ」と思って買ってみたら、それはイタリアの作品だった。イタリアでもアンビエントが流行ってたんだよね。
ハマ 初めてアンビエントハウスという言葉を認識したのはその作品なんですか?
細野 そう。イーノの作品以外でアンビエントというタイトルが付いた作品を見たのは初めてだったね。でも、同時期に自分も同じようなことをやっていたんだなと思った(笑)。これは世界的な傾向なんだろうと。そしたら、そのうちThe Orbというアーティストが出てきて。彼らはキーパーソンだね。あとはThe KLF。これもメモしたほうがいい(笑)。
安部 はい(笑)。
細野 彼らはドライブしながら環境音を録ったりしてた。
ハマ 車にマイクを立てて?
細野 そうそう。いろいろトリックはあるんだけど、あたかも架空のドライブをしているかのような作品を作って。当時はアンビエントというと環境音だったの。だから自分の音楽に環境音をSEみたいに被せる人もいた。それが初期のアンビエント。で、The Orbはビートのあるダンスミュージックとイーノ的なアンビエントミュージックを1つにした。それが大ヒットしてね。
ハマ 新しいものとして。
細野 水と油のようなものが一緒になって、みんなが飛び付いた。当時はアシッドハウスが流行っていたんだけど、“アシッド”ハウスっていうくらいだから、たぶんみんなアシッドをやってたんだと思う。で、アンビエントを聴いてチルアウトしたんだよ。つまり踊るための音とチルアウトが一緒になっちゃったの。
安部 ちょうどいい塩梅になってしまったと。
細野 そのときはけっこうびっくりしたね。こういうことが起きるんだって。
──ちなみに先ほど話題に挙がったThe KLFの一番有名なアルバムが「Chill Out」です。
ハマ その名も「Chill Out」なんだ!
ビル・ラズウェルから突然の電話
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細野晴臣 Haruomi Hosono _information @hosonoharuomi_
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