日本の音楽史に爪痕を残すアーティストの功績をたどる本連載。今回はラッパー / トラックメーカー、D.L a.k.a
文・
EL DORADO RECORDS設立
「EL DORADO RECORDS」。日本語に訳すと“黄金郷”という意味を持つ言葉を冠したレーベルをD.Lは1997年に立ち上げた。YouTubeやSNSなどを通じてアーティストが自ら情報を発信することが当たり前になった現在に比べて、当時はリスナーに楽曲を届けることや、作品をリリースするまでの道のりが非常に困難であった。そんな状況の中、D.Lは自らの感性で選びぬいたアーティストたちの作品をプロデュースし、その存在を世に広めていった。
98年にはレーベル第1弾作品として、SUIKENのシングル「THE SENSE / ISOTOPE」がリリースされた。90年代中盤に
また、そうしたニューカマーに加えて、G.K.MARYAN、SHAKKAZOMBIEのOSUMIのソロ作品、D.L(名義はDEV LARGE)、OSUMI(名義はBIG-O)、SUIKEN、LUNCH TIME SPEAXによるユニット・GOD INCによる「EL DORADO THROW DOWN」(1999年)の制作など(リミックスを手がけたのは
そして、EL DORADOから発表された作品はLUNCH TIME SPEAXのアルバム「Blue Print Maneuver」(2001年)のCD以外はすべてアナログでリリースされており、そこからもレーベル主宰者としてのD.Lの強いこだわりが感じられる。レーベルに所属したアーティストはEL DORADO ALLSTARSとしてBUDDHA BRANDのライブに帯同し、「FUJI ROCK FESTIVAL」への出演を果たしたり、またSUIKENやLUNCH TIME SPEAXはメジャーに進出するなど、シーンの注目株へと成長していった。
加速していくソロ活動
一方、BUDDHA BRANDに目を移すと、D.Lがレーベルを立ち上げて、外部アーティストのプロデュースなどを手がけるようになるのと期を同じくして、DJ MASTERKEYは東京・渋谷HARLEMにてパーティ「DADDY'S HOUSE」を立ち上げ好評を博し、CQはMAKI THE MAGIC、illicit tsuboiと共にユニット・キエるマキュウとして動き始めるなど、メンバーのブッダ以外での動きが顕著になっていく。
そして「HI-JACK(のっとり)」や「DON'T TEST DA MASTER」「RETURN OF THE BUDDHA BROS.」といったシングル作品の発表を経て、2000年3月にはBUDDHA BRANDの2枚組ベストアルバム「病める無限のブッダの世界~BEST OF THE BEST(金字塔)~」がリリースされる。ラップ曲とD.Lの手によるインストが交互に収録された本作は、ブッダの魅力を濃縮して伝える全31曲入りの大ボリューム作だ。また7inchアナログが同封されたLPサイズジャケットの限定盤や、全曲のインストが収録されたアナログ盤「病める無限のブッダの世界 ~BEST OF THE BEST(金字塔)~INST ALBUM」(アーティスト名義はILLMATIC BUDDHA MC'S)がリリースされるなど、関連作の充実度も含め、まさに“金字塔”というタイトルにふさわしい不朽の名盤となっている。
一方で、この作品にはベストアルバムという側面はあるが、リスナーが熱望した“無敵の3本マイク”による完全なる新録曲は収録されず、当時のブッダの状況がそこからも透けて見えるように、ここでグループとしての動きはほぼ消滅する。
「金字塔」のリリースを経て、ソロアーティストとしてのD.Lの動きはさらに加速していく。まずは「金字塔」に収録された楽曲を12inchアナログとしてシングルカットした「DEAD FUNKY PRESIDENT」(2000年)の制作を皮切りに、NIKEのCMソングとして制作されたD.L、
客演としても
K DUB SHINEとのビーフ
BUDDHA BRANDとしての活動は停滞したものの、NIPPSのシングル「GALAXY PIMP 3000」(2001年)、「PARTNERS IN CRIME」(2002年)のプロデュース(前者は
そして04年6月、事件が起こる。K DUB SHINEを痛烈にDISり、ビーフを仕掛ける内容の楽曲「ULTIMATE LOVE SONG」が、突如としてネットにアップされたのだ。当初、楽曲のクレジットは明らかにされていなかったが、リリックにブッダの名前が出てくることや、「カモ狩り」に言及していることなど、制作者がD.Lであることは明白であり、事実、楽曲発表直後のラジオ出演において、この曲を自身が制作したことをD.Lは公に認めた。
それに対してK DUB SHINE側も「1 THREE SOME」でアンサーすると、D.Lは「前略ケイダブ様」で再アンサー。そしてトラックメイカー / プロデューサーのI-DeAのアルバム「SELF-EXPRESSION」に、新たに録音した「ULTIMATE LOVE SONG(Letter) feat.MONEV MILS&漢」が収録されることとなる。その後、刃頭のDJミックス「現場デ炸裂」に「ULTIMATE LOVE SONG」と「前略ケイダブ様」が収録されたのを最後にお互いのアクションは途絶え、作品上のビーフはここで終了する(ちなみに刃頭 「日本代表」収録の「湾岸ドライブ」にはD.LとCQが参加している)。
この件についてI-DeAが「(『SELF-EXPRESSION』には)D.L氏も参加してくれたり。(中略)D.L氏が、俺が(D.Lの)普段録りとかマニピュレートとか頑張ってるからアルバム売れてほしいし、金なんかいらないから(『ULTIMATE LOVE SONG(LETTER) feat.MONEV MILS&漢』を)入れなよって。それで漢君が入った曲にして。俺にしてみれば最大級のフックアップですね」と話しているように、D.Lとしてはそういった思惑もあったようだ(Amebreak「BEAT SCIENTISTS ~HIP HOPのおとづくり~ VOL.5 feat. I-DeA」より)。
DISソングやビーフが増加していた当時(その中には邪推や勘ぐりも多分に含まれているが)、シーンのビッグネーム同士が、匂わせるのではなくお互いに実名を挙げ、1曲丸々でぶつかったという意味で、また発表のプラットフォームにネットを使ったことも含めて、D.LとK DUB SHINEによるビーフは、ヒップホップリスナーのみらず、野次馬的な人間からも注目を集めた。この事象に関しての批評は本筋とは関係ないので避けるとしても、シーンにさまざまなインパクトやトラウマを与えたことは間違いない。しかし一方で、このビーフはバイオレンスなしに曲のみで行われたこと、そして13年に行われたMAKI THE MAGICの追悼イベント「MAGIC FOREVER」において、D.LとK DUB SHINEが共にステージに登場し、和解をオーディエンスに伝え、また同じステージでCQとD.Lが「人間発電所」を披露した事実は付しておきたい。
全身表現者としての意識
そういった動きと並行してD.Lは、UZI「FIVE DEADLY MICS feat. KENTA 5 RAS, DEV LARGE, 秋田犬どぶ六, MACCHO」(2004年)や、KAMINARI-KAZOKU.「BROTHA SOUL / SOUL BROTHA」(2004年)といった作品にプロデュースおよびラップで参加(「BROTHA SOUL」ではSICK KING名義)。またスチャダラパー「The 9th Sense」(2004年)収録の「リーグ オブ レジェンド feat. DEV LARGE, CQ from BUDDHA BRAND」にも客演とトラックプロデュースで参加し、前編で述べた「さんピン対LB」の舌禍を作品としても決着。そしてメジャーフィールドに目を移すと、BUDDHA BRANDの「人間発電所」をサンプリング / 下敷きにした加藤ミリヤ「夜空」のスマッシュヒットを受け、そのリミックスである「夜空 (DO THE BOBO JAMES RMX.)」(2004年)の制作を手がけ、アンダーグラウンドからメジャーまで幅広い活躍を見せる。
この時期からD.Lはトラックメイカー、プロデューサー、ラッパー、ビジュアリスト(ジャケットのアイデアなども手がけていた)など、全身表現者としての側面をさらに強くしていく。2005年にはDEV LARGE THE EYEINHITAE名義でのインストアルバム「KUROFUNE9000(BLACK SPACESHIP)」、プロデュース作や客演作をコンパイルした「HIS MASTER WORKS」を立て続けにリリース。そして満を持して2006年に初のソロアルバムとなる「D.L PRESENTS : THE ALBUM(ADMONITIONS)」を完成させた。2001年から作り始めたというこの作品で、D.Lは、プロデュース、トラック、ラップと八面六臂の活躍を展開。ブッダメンバーのCQやNIPPSをはじめ、GOCCIやTWINKLEといったD.Lの深い薫陶を受けたメンツや、K-BOMBやPRIMALなどのアンダーグラウンド勢、そしてZeebraやTWIGYなどのゆかりの深いメンツが作品をバックアップし、“トータルアーティストとしてのD.Lの存在性”をこの時期に明らかにした。
この作品について、D.Lは「あまりラッパーって感覚じゃないんですよね。表現者かもしれないし、音楽家でもなんでも良いんですけど、7:3ぐらいの比率で、どっちかって言うとトラックを作ってる人って感覚で、マイクもやれるみたいな感覚なんで、別にラッパーラッパーっていう意識はないんですよね。(中略)音とラップで初めて1つなんで、全体として音楽家として見てもらえれば一番いいかなと思ってるんですよね。ステレオタイプのラッパーじゃないですし、そういう形で見てもらわないと、あまり理解できないんじゃないかな、オレのやろうとしてることは。(中略)全体的な流れを見て、総括的にこういう人だって判断してもらえればうれしいですね」とインタビューで語っており(スペースシャワーTV「THE DOCUMENTARY D.L」より)、自身の中で総合芸術家、全身表現者としての意識が高まっていたことが伺える。
そして同年にはアニメ「TOKYO TRIBE」に提供したILLMATIC BUDDHA MC's「TOP OF TOKYO」のリリースもあり(カップリングはスチャダラパー「オワリのうた」)、ここから精力的な創作活動が展開されていくのでは、という予想とは裏腹に、2009年にリリースされたJUSWANNA「BLACK BOX」収録の「東京頭脳戦争 ~時流に媚びない反逆者達~」などのプロデュースはあるものの、この時期からD.Lはかなり寡作となり、楽曲制作のペースは落ちていく。
過去のイメージを巡る葛藤
2008年にリリースされたDVDマガジン「月刊RAP presents / RAP!! vol.1」のインタビューでD.Lはこのように語っている。
「変に期待をさせたり、数字で勝手にでかく作られるイメージとかは、作りたくない。『俺に期待するな』って感じ」
「さんピンのビデオなんてみんな廃棄処分にしたい。過去の栄光を求められても困る。どこへ行っても『<大怪我>やってくれ』『<人間発電所>やってくれ』って、流しの演歌歌手じゃないんだからさ。もちろん同じことをやってリスナーを喜ばせられるっていうのもすごいと思うんだけど、俺自身はそれに飽きてしまったんだ。『SAY HO!』みたいなのもアホらしくて醒めて見てしまう。『誰より勝ってる / 劣ってる』ってことじゃなくて、傷付けば誰も赤い血を流すように、人って同じなんだって思う。だからMCとして『ああしろこうしろ』って言い切りだったり断定出来しちゃいけないんじゃないかとか、いろいろ考えたんだよ。それで自分のあり方を考えたんだ。偽りの自分でいたくはないと。もちろん言い切ってでかいことをラップするブッダを好きだっていうリスナーがいるのも当然わかってるし、ある種、そのキャラクターをビジネスとして演じるって理屈もわかるし間違ってはないと思う。だけど本人がその求められてる像を演じることを楽しめなくなってしまったわけだから……」
「月刊RAP」の制作を手がけ、この際にインタビュアーを務めたラッパーの
「やっぱり僕はファンだし、D.Lさんのラップが聴きたいから、当時僕がやってたレーベルDA.ME.RECORDSの事務所兼スタジオに遊びにきてもらったりしたんですよ。そこでレコーディングを見たら刺激になるんじゃないかな……って僭越にも思ったりしてたんだけど、やっぱり『いや……俺はいいよ』って。その当時、D.Lさんが僕に話してくれたのは『デモテープを渡してくる奴が<ブッダに影響受けました>って言ってくれるのはうれしい。だけど聴いてみて、その作品がよくなかったりすると<俺のやってきたことはなんだったんだ……>って気持ちになるんだ』ってことで。話を聞く側としては『D.Lさんやブッダと同じクオリティをほかの人に求めるのは酷ですよ』と思うんだけど、D.Lさんはそうじゃないんですよね。自分の影響を受けたら、自分と同じことができるはずだと思ってしまう。名も知らないようなラッパーからもらったデモテープでも隅々までちゃんと聴くような、誰とでも真剣に向き合う人だからこそ、そこで落胆したり、疲弊しちゃったのかなって」
DJ / 選曲家としての活動が本格化
一方でD.Lは、DJ BOBO JAMES a.k.a. D.Lとして「日本語ラップ黄金期セレクションズ」と題したコンピレーションシリーズ「HARD TO THE CORE」「MELLOW MADNESS」「ABSOLUTELY BAD」の3枚をコンパイルし2009年にリリース。王道の名曲から隠れた逸曲などをD.L流の解釈で再評価し、シーンや立ち位置にとらわれずにまとめたその内容で、自らの選球眼の確かさを示した。この中には、リリースは90年代に出したカセットテープのみで(ほかは不完全な形でコンピへの参加のみ)、00年以降は解散状態だったにも関わらず、D.Lや宇多丸から絶賛の声を集めていた福岡のヒップホップユニット、TOJIN BATTLE ROYALの楽曲「五重塔」も収録。D.L自身も積極的な再評価を行い、それが助勢となり制作されたグループの復活アルバム「D.O.H.C」(2012年)には(本人およびTOJINメンバーも別人だと言っていたが)千目多移嘆として「五獣塔 D.O.H.C」に参加。D.Lらしいタイトなラップを披露し、リスナーの期待に応えた。また「DEVASTATOR RECORDING / DEVASTATOR Enterprise」からは、過去にDJ BOBO JAMES a.k.a. D.LとしてリリースしたミックスCD「GHETTO FUNK」シリーズをリイシューするなど、DJとしての動きも活発化していく。
そういった、DJ / 選曲家 / コンパイラーとしての動きは、クボタタケシとの「DOUBLE SIDER」や、ファンクサウンドが中心になった「IN BUSINESS」といった、それまでのレギュラーイベントに加えて、ファンク系DJの黒田大介や、TURNTABLE LAB TOKYOなどを手がけたRoger YamahaらとのメタルDJイベント「METAL CLUB」の開催などにもつながっていく。BUDDHA BRANDの楽曲「DON'T TEST DA MASTER」に
「D.Lさんは美メロなメタルやハードロックが好きで、よくかけてましたね。イベントで
賞味期限無限で超DEEP
そして2011年には、D.L a.k.a BOBO JAMES名義でのアルバム「OOPARTS(LOST 10 YEARS ブッダの遺産)」がリリースされる。BUDDHA BRAND関連の音源をDJ MUTA(JUSWANNA。CQとNIPPSによるユニット:BUDDHA MAFIAのラジオ番組「BUDDHAMAFIA RADIO SHOW」の制作や、CQ「NAUTILUS ~恋する潜水艦~」の制作なども手がけている)がミックスした「D.L presents : Official Bootleg Mix-CD "ILLDWELLERS" G.K.A ILLMATIC BUDDHA MC'S MIXED BY MUTA」のリリースに続くようにドロップされた本作は、「だいたいブッダ用に94年から去年までの間に作った」トラックで構成された、インストアルバムとして完成した。前後してD.LとCQとのユニットILLDWELLERSでの活動予定もアナウンスされていたので、3MC復活への期待も高まったが、「心のどこかでいつかまた3MCで……と考えてて、『書く』と言うNIPPSの言葉を信じて、なんだかんだずっと待って待って10年経ってしまいました。いい加減目を覚まして、なくした10年に一区切りを付けて、新しい一歩を踏み出そうと決めてタイトルをつけました」とD.L自身が話しているように、本作はある種の決別の意を込めた作品だったようだ。サンプリングマジックに貫かれたトラックからも、D.Lの持つ意志が音の溝に刻み込まれているような、そんな雰囲気が伝わってくるタフな1枚だ(上記カッコ内はAmebreak「D.L a.k.a. BOBO JAMES」インタビューより抜粋)。
以降も、P-VINEとタワーレコードとのコラボレーションで企画された、ジャズファンクをコンセプトにしたミックスCD「D.L Presents FREEDOM JAZZ FUNK "Everything I Dig Gonna Be Funky"」(2014年)や「D.L Presents FREEDOM JAZZ FUNK "Mellow Storm"」(2015年)を制作し、また日本各地でDJプレイを精力的に行っていたD.L。
しかし2015年5月4日に、彼はこの世を旅立ってしまう。それ以前から体調が芳しくないということは伝えられていたが、そのあまりにも突然の逝去は、シーンに計り知れないショックを与え、各方面より寄せられた追悼の言葉からは、彼の存在の大きさ、そして喪失を否応なく感じさせられた。
彼の逝去から1カ月半後の6月25日に渋谷VISIONで開催された追悼イべント「D.L PRESENTS HUSTLERS CONVENTION NIGHT」には、D.Lとゆかりのあるアーティストが集結。入場を待機するオーディエンスの列は、道玄坂の中腹にある会場から、坂の下まで200mほどにおよび、D.Lがシーンに与えた影響と、シーンからの愛情を物語っていた。
また、2019年にはブッダの未発表曲を収録した、BUDDHA BRAND名義のアルバム「これがブッダブランド!」がリリースされ、改めてブッダの存在の稀有さをシーンに証明した。
本稿ではD.Lによってリリースされた作品を中心に彼の功績をまとめたが、ここで書いたD.Lの歴史は、当然ながらその人生のほんの一部だ。現在も残っている彼の手によるブログやTwitterのツイート、雑誌やネット上にあるインタビュー、そして過去に連載された執筆記事……計り知れないほど積極的に発信をしてきた彼の行動と思想は、まさに曼荼羅のような広がりを持ち、その“ILL”な思考法は、今でも大きな示唆に富むものばかりだ。
「賞味期限無限で超DEEP」と「大怪我」の中で歌ったように(ちなみに彼の戒名は、この曲で名乗った名前から採った「光明院大峠雷音居士」だ)、彼の生み出した音楽は、決して古び、朽ちることはない。それは今現在でもクラブで「人間発電所」をはじめとするブッダが作り上げたクラシックがアンセムとして鳴り響き、リアルタイムで聴いてきた世代からバトルヘッズまでもが、年齢やスタンスに関係なく、それらの楽曲を大合唱する光景からも明らかだ。そしてこれからもD.Lの紡いだサウンドは、音楽シーン全体を照らし、音楽リスナーを導いていくことだろう。
制作協力:TSUNE(NOZLE GRAPHICS, DEVASTATOR Ent., HUSTLERBOSE PRODUCTION) / SPACE SHOWER TV / BLACK BELT JONES DC / DARTHREIDER
(文中敬称略)
※記事初出時、本文および写真キャプションに誤りがありました。訂正してお詫びいたします。
バックナンバー
- 高木"JET"晋一郎
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ライター。ヒップホップ、アイドル、ブラックミュージック、ポップスを中心に執筆。共著に「ラップのことば」(P‐Vine BOOKs) 、構成にサイプレス上野「ジャポニカヒップホップ練習帳」(双葉社)など。
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