「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」記者会見の様子。

2010年代のアイドルシーン Vol.1 [バックナンバー]

“アイドル戦国時代”幕開けの瞬間(前編)

吉田豪、川上アキラ、山田昌治らが振り返る伝説のイベント

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あからさまに明暗が分かれた

こうしてイベントは大盛況に終わる。複数の事務所が関わるような大規模アイドル系イベントは、まさにファンが待ち望んでいたものだったのだ。すでにAKB48はスターダムの階段を駆け上っており、その勢いに乗じる形で各プロダクションからは雨後の筍のようにグループが誕生。アイドル冬の時代が終わりを告げ、新たな季節に入ろうとしていたのは誰の目にも明らかだった。しかし一方、実際に会場まで足を運んだ吉田は「あからさまに明暗が分かれた興行でもあった」と振り返る。

吉田豪

吉田豪

「ここでSKE48はいつも通りのライブを展開したんです。ダラダラ長尺なメンバー紹介をしたりして、会場がゆるい空気になったことを鮮明に覚えています。熱心なファン相手だったらそれでいいかもしれないけれど、対外試合、ましてや対抗戦向けの戦い方ではなかった。『今日は私たちのことを覚えて帰ってください』ということだったにせよ、明確にこれは裏目に回った。一番手でギラギラしたライブをやったももクロが爪痕を残し、bump.yが平和なライブをやったあとで、SKEには期待していたから、正直言って肩透かしだったんですよね。

一方でスマイレージはMCなんかすっ飛ばして、容赦ない戦闘モードで潰しにかかってきた。とにかく勢いがすごかったんですよ。スマイレージには山田さんというプロレス心を熟知している鬼軍曹がいるから、『負けたら最後。あとはない』という覚悟で出陣してくるわけです。このときのスマイレージを観て、ももクロの川上さんは目が覚めたらしいんです。『俺たちもこれじゃダメだ』と。そこでステージに演出家を入れたりするようになるんですね。つまり『プロとしてのライブはこうあるべき』というものをスマイレージに教えられたってことみたいです」(吉田)

ここで重要なのは“勝ち”“負け”という概念が挟み込まれていることである。いつの間にか単なる共演コンサートではなく、4組は勝負論にのっとり俎上に載せられていた。この視点は吉田のみならず多くのアイドルファンが共有しており、それどころか当のアイドルの中にすら「負けるわけにはいかない」と闘志を隠そうとしない者が現れた。

「当時、ボクの周りでは『BUBKA』の編集長以下、編集スタッフ全員がSKE48幻想に狂っていて、SKE特有の体育会系的なシステムに心酔していたんです。『いかにSKEが戦闘集団なのか』ということを誌面上でも煽り続けていましたし、その主張を支持する読者も多かった。しかし結果としては、その煽りが振りとして効いたわけです。SKEは観光気分で出演し、見事に撃沈しちゃったわけで。イベントが終わったあと、『まさかここまで何もできないとは……』と『BUBKA』関係者がうなだれていたのが印象的でした。高田延彦がヒクソン・グレイシーに何もできずに負けたときぐらいの落ち込み方で(笑)」(吉田)

返り血を浴びたももクロ

しかし、この下克上的なイベント評はあくまでも吉田の主観によるものだ。実際、ここで名前が挙がったももクロの川上やスマイレージの山田はまったく別の見方をしている。川上は「うちは一番後輩でしたから。失うものなんてなかった」と述懐する。

「ハロプロのスマイレージもいるし、48グループのSKE48もいる。イベント自体はニッポン放送の増田さんに『B.L.T.』の井上さんがアドバイスする流れで進んでいたと思うけど、『うちがそういうのに出ることできるんだ』という感覚でしたね。気持ちとしては爪痕を残したかったし、ももクロもライブが注目されていた時期だったから『ここで食ってやろう』くらいの勢いでいったつもりなんですけど……結果は『スマイレージやSKE48ってすげえな』と反省して帰りました」(川上)

「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」記者会見時のももいろクローバー。

「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」記者会見時のももいろクローバー。

なんと川上はSKE48に対して、“下克上”どころか“返り血を浴びた”という感覚でいたようだ。「このままじゃダメだ」と考えた川上が、現在もももクロのライブ演出を担当する佐々木敦規を頼るようになったのは吉田の説明通り。しかし、そこにはさまざまな葛藤もあったようである。

「その年のクリスマスに日本青年館で『ももクリ』(ももいろクリスマス)をやったんですけど、そこから体制を入れ替えたんです。やっぱり『アイドルユニットサマーフェス』での危機感がありましたから。当時も今も僕が考えていることって、根底的な部分は変わっていないんですよ。プロレスの興行から学ぶことが変わらずに多いし、それがエンタテインメントの根底にあると思っている。逆にアイドルの縛りとかルールはよくわかっていないから、いまだにほかのグループに失礼なことをしてしまう。そういう好戦的な部分、メンバーは嫌がってやらないんですけどね(笑)」(川上)

ここで川上が言う「プロレスから学んだこと」とは何を指すのか? アイドルとプロレスの親和性についてはすでに多くの人たちが語り尽くしており、食傷気味に感じるかもしれないが、改めて見つめ直すと次のような要素が考えられる。すなわちそれは“対立の構造をはっきりさせること”“バチバチした演者の感情を剥き出しの状態で興行の中に組み込むこと”“大向こう受けするパフォーマンスと煽動的アピール”といったものだ。

「でも、当時だってグループ同士は仲よかったですよ。マネージャー同士がバチバチしていただけだと思います。結局、大人たちばかり気合が入っていた(笑)。ただ逆に業界自体がそんなに大きくもないし、知っているマネージャーばかりだったという面もあるんです。ぱすぽ☆(のちのPASSPO☆)を始めた福田幹大は、もともとうちにいてユニバーサルにA&Rとして入った人間。だから同時期のグループとして戦友的な気持ちがありましたね。東京女子流ちゃんも似たような感じです」(川上)

桜庭和志になりたかったスマイレージ

では“仕掛けた側”と吉田から名指しされたスマイレージの山田はどんな絵を描こうとしていたのか? 現在、山田はハロプロを離れ、アップアップガールズ(仮)や和田彩花などが所属するYU-Mエンターテインメントの社長として辣腕をふるっている。

「一番大きかったのは『スマイレージを通じて、ハロー!プロジェクトの素晴らしさを改めて伝えよう』という気持ちだったんですよね。何しろ今とはハロー!を取り巻く環境が全然違いましたから。会社を離れた立場の僕が言うことではありませんが、今ではハロー!プロジェクトという存在はアイドルの世界でしっかり確立されていて、アイドルファン以外の方からもきちんと認識していただけるようになっている。たくさんの新たなファンを獲得して、音楽メディアから『実はハロプロがすごい』みたいな切り口で取り上げられることも多くなりました。でも、10年前は全然そんなことなくて……」(山田)

「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」記者会見時のスマイレージ。

「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」記者会見時のスマイレージ。

当時はAKB48が飛ぶ鳥を落とす勢い。そのことは別にいい。だが“AKB以外はアイドルにあらず”といった時代の空気にメディアも侵されており、山田は辛酸を舐め続けていたという。テレビ局を営業で回っていると、「ハロプロさんは玄人受けしますよねえ」と皮肉交じりに嘲笑されることすらあったのだ。

「僕らはずっと真剣にやってきたんです。どこに出しても恥ずかしくないような素晴らしいエンタテインメントを追求していたつもりだった。つんく♂さんのもとで一生懸命がんばっていましたからね。実際、つんく♂さんほど音楽にこだわっている人間はいないと思っていましたし、キラキラ輝くメンバーもたくさんいました。だけど、メディアや対世間というところではハロプロと言えば、(当時、すでにハロー!プロジェクトから卒業していた)モーニング娘。OGの矢口真里や辻希美、里田まいでした。『新ユニットができました! スマイレージっていいます』とアピールしても、相手にしてもらえないことも多くて」(山田)

山田は吉田の言う「『BUBKA』スタッフが『アイドルユニットサマーフェス』のSKE48を観て肩を落とした」というエピソードを引き合いに出しながら、「逆に言うと、それくらいマスコミの人にもハロプロが届いていなかったという証拠」と指摘する。もちろん10年前だってハロヲタと呼ばれる熱心なファンは変わらずに現場で応援していた。しかし“対世間”という意味で大きく出遅れていたことは否めない。こうした状況に対して社内で危機感はなかったのか?

「そりゃありましたよ。いくら『ハロプロ鎖国』とか言われていても、世間に届いていないことは中にいてもわかるでしょう。その鎖国と呼ばれるところが初めて外部のフェスに出るわけだから、本当に下手は打てなかった。ハロー!やスマイレージに損させるわけには絶対いかなかったんです」(山田)

ここで山田に尋ねてみた。“損させる”とはいったいどういうことか? 逆に何をもってして“得”とするのか? 山田はしばらく考え込んでから「最終的には、お客様の評価が勝ち負けということになるでしょうね」と言葉を続けた。

「じゃんけんは勝敗のつけ方を全員が知っているわけですよ。グーはチョキより強く、パーはグーより強い。そのルールをみんな共有できている。だけど2010年の時点では、複数アイドルが出演するフェスに出たことがないわけだから、何が勝ちで何が負けだかわかっていなかった。どういう状態が勝ちなのかもわかっていなかったけど、それでも損させるわけにはいかなかった。『山田、お前、なんでこんなものに出たの?』と社内で言われたとき、ぐうの音も出ないような結果にはできなかったんです。要はプロレスラーが総合格闘技の舞台に出ていって真剣勝負したら本当に強かった……それを実践したかったんですよね。僕らは桜庭和志になりたかった」(山田)

こうしてアイドル戦国時代の火ぶたは切って落とされた。こうなってしまった以上、もはや後戻りができないのはどのグループも同じである。後編では高城れに(ももいろクローバーZ)や福田花音(ex. スマイレージ)といった当事者たちの証言を交えつつ、舞台裏の深層に迫っていきたい。

(文中敬称略)

※記事初出時、本文に誤字がありました。お詫びして訂正します。

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小野田衛

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吉田光雄 @WORLDJAPAN

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