写真集「JAMAICA 1982」表紙(写真提供:石田昌隆)

音楽シーンを撮り続ける人々 第17回 [バックナンバー]

世界中で冷静にシャッターを切る石田昌隆

“今撮るべきもの”を間違えない

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アーティストを撮り続けるフォトグラファーに幼少期から現在に至るまでの話を伺うこの連載。第17回は世界各国を周り、各地でアーティストを撮影してきた石田昌隆に話を聞いた。

2019年11月に、自身が足を運んだ国の旅行記や風景写真、各国のアーティストのポートレイトを収めた著書「1989 If You Love Somebody Set Them Free ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた」を発表し話題を集めた石田。彼にフォトグラファーの道を歩み始めるまでの経緯や撮影時のこだわりについて話していただいた。

取材・/ 大石始 撮影 / タマイシンゴ

鉄道写真を撮り始めた小学生の頃

石田昌隆

石田昌隆

出身は千葉の市川市で、1958年生まれです。幼稚園の頃に鉄道に目覚めて、小学6年生で鉄道写真を撮るようになりました。父が持っていたニコンのS2というカメラを借りて、その頃からシャッター速度や絞りの調節も自分でやってました。自分にとってのフォトグラファーというのは、写真を撮ることを通して物事を考えたり認識したりする人ということなんだけど、その意味では小学6年生の時点で自分のことをフォトグラファーだと自覚していました。小学生ながらに「今撮るべき鉄道とは何か?」と考えて、九州から走ってくる夜行列車、いわゆるブルートレインを東京駅で撮っていたりして。

その頃は、ちょうど都心に近いところから蒸気機関車がなくなりつつあった時期で、八高線や常磐線、総武線から蒸気機関車がパタパタとなくなっていったんですね。それもあって1970年頃、世の中ではSLブームが起きていたんですけど、僕もなくなる前に撮らなくちゃと中学高校時代の全人生を蒸気機関車の撮影に費やしていました。新聞配達のバイトで旅費を稼ぎながらね。鉄道の世界も音楽と一緒で、主流とそれ以外のものがあるんです。主流は本線をかっ飛ばして走るものなんだけど、僕はローカルなものが好きでした。当時使っていたカメラは、お母さんに買ってもらったASAHI PENTAX SP。1974年には月刊誌「鉄道ジャーナル」に写真が掲載されて、初めてギャラももらいました。それが商業誌デビューです。僕は撮影したものをちゃんと整理するほうなので、小学6年から撮影した鉄道写真は日付も含めて全部残してあるんです。70年代に撮ったものは80年前後に鉄道雑誌でやっていた連載で載せていました。それらもいつか本としてまとめてみたいですね。

青年期の石田昌隆。(写真提供:石田昌隆)

青年期の石田昌隆。(写真提供:石田昌隆)

蒸気機関車の歴史は75年に終わっちゃうんだけど、電車の撮影はその後もやっていて、77年に沖縄県の南大東島でサトウキビ畑の鉄道を撮ったあと、石川県の小松から出てた尾小屋鉄道を撮ったんですね。でも尾小屋鉄道を撮り終えた時点で、僕の中で魅力的だと思っていた鉄道は全部撮ってしまったんです。それで途方に暮れてしまって。フォトグラファーとしての人生最大の挫折はそのときかもしれないです。面白いものっていつまでもあるわけじゃないし、面白いと思ったらすぐに撮らないといけない。そのことを学びましたね。

石北本線を走行する蒸気機関車。(写真提供:石田昌隆)

石北本線を走行する蒸気機関車。(写真提供:石田昌隆)

ボブ・マーリーを知り、ジャマイカに渡った大学時代

音楽は十代の頃から多少は聴いていました。中学時代はThe BeatlesやSimon & Garfunkel、あとは歌謡曲のシングル盤なんかも買ってたけど、高校時代は音楽よりも鉄道のほうに夢中だった。音楽にお金を使うんだったら鉄道のほうに使いたくて、高校時代は1枚もレコードを買ってないと思う。大学に入学したのは1976年です。同級生はみんなボブ・ディランやThe Bandについてものすごく詳しかったんですよ。だから、「今からレコードを買い集めても全然追いつかないだろうな」と思ってたんですけど、そんな頃にボブ・マーリーの存在を知るんです。何百枚もレコードを持っているような同級生でも、レゲエについてはまだボブ・マーリーやジミー・クリフを買っている段階。今からコツコツと聴いていけば間に合うかなと思って、レゲエのレコードを買うようになりました。あと、蒸気機関車とボブ・マーリーは“黒くて煙を吐く”というところが共通していたんです(笑)。1979年のBob Marley & The Wailersの来日公演にも行きました。このときは、アーティストを撮るという発想がなかったですね。

写真集「JAMAICA 1982」より。(写真提供:石田昌隆)

写真集「JAMAICA 1982」より。(写真提供:石田昌隆)

この時点で影響を受けていたフォトグラファーは何人かいて、吉田ルイ子さんの「ハーレムの熱い日々」とブルース・デビッドソンの「East 100th Street」という60年代のニューヨークをテーマにした2冊の写真集はすごくて、僕も海外でこういう写真を撮りたいと思いました。でも、今からニューヨークに行っても2人の写真には敵わないだろう、と。実際はヒップホップの時代が始まっていたり、ラリー・レヴァンがマンハッタンの伝説的なクラブであるパラダイス・ガレージでDJをやっていたりと、撮るべきものがたくさんあったんだけど、当時はそれらに気付いていなくて。それで1982年に、ジャマイカに数カ月行くことを決めたんです。ジャマイカ人が煙を吐き出している写真を撮ろうと思って(笑)。そのときに現地で知り合った人経由で、運よくアーティストを撮る機会をいただけて、それがきっかけでどんどんアーティストも撮るようになりました。この頃撮った写真は、2018年の7月に初めて出した写真集「JAMAICA 1982」にまとめています。

音楽の面で言うと、ボブ・マーリーは81年に死んじゃっていたし、今さらジャマイカに行っても手遅れかなとも思ったんですけどね。でもいざ行ってみると、82年夏の段階ではイエローマンが圧倒的な存在で。サウンドシステムという文化もこのとき初めて知りました。ジャマイカで知り合った人の中に、U・ロイ好きなやつがいて。しかもその人は本人と知り合いだったから、U・ロイの家に連れて行かれて、よくわからないまま彼の写真を撮ったこともありました。ジャマイカに持っていったカメラは、ニコンのFMとF3。レンズも何本も持っていきました。その装備だと明らかにプロっぽいわけ。オーガスタス・パブロのところにもU・ロイと同じ感じで撮影に行ったんですけど、日本からプロの音楽ジャーナリストが取材に来たと思われるんですよ。実際はまだ大学生で、音楽雑誌で一度も仕事をしたことがなかったんだけど(笑)。当時のジャマイカは今よりも全然治安がよくて、ゲットーに1人で行っても普通に撮影ができた。あと治安がいいだけじゃなくて、貧しいながらも活気がありました。

イエローマン(写真提供:石田昌隆)

イエローマン(写真提供:石田昌隆)

雑誌カメラマンに

帰国後、ジャマイカで撮影した写真を、レゲエ愛好家が集まる渋谷のブラック・ホークという喫茶店に持っていったんですよ。そうしたらそこに月刊誌「LATINA」の編集者である高橋敏さんがいて、連載をやらせてもらうことになった。それが音楽誌デビューですね。83年になると「BRUTUS」や「POPEYE」みたいな雑誌でもレゲエを取り上げるようになってきて、ジャマイカで撮影してきたものを掲載してもらう機会も出てきました。さらに、そこで知り合った編集者にお店取材の撮影なんかも依頼されるようになって、だんだん雑誌カメラマンになっていくんです。大学には7年間いたんですけど、最後のほうはカメラマンとして忙しくて、就職試験もまったく受けなかった。84年に3カ月ぐらいイギリスに行ったんですが、そのときリントン・クウェシ・ジョンソンや全盛期のThe Smithsを撮れたというのも大きかった。80年代後半から90年代中盤は洋楽雑誌も多かったし来日も多かったから、海外のロックバンドを撮影する仕事が一番多かったです。

リントン・クウェシ・ジョンソン(写真提供:石田昌隆)

リントン・クウェシ・ジョンソン(写真提供:石田昌隆)

モリッシー(The Smiths)(写真提供:石田昌隆)

モリッシー(The Smiths)(写真提供:石田昌隆)

ただそのぶん、その頃の素晴らしい日本人アーティストをきちんとアーカイブできていないのが心残りで。JAGATARAとかね。ボーカリストの江戸アケミさんは撮影したことはあるんだけど、ポジを雑誌の出版社に渡したら紛失されてしまって手元に残ってないんです。MUTE BEATは1985年にリントン・クウェシ・ジョンソンの初来日公演にオープニングアクトとして出ていたときの写真から残っているんですけどね。実はトロンボーンの増井(朗人)くんが高校の後輩なんです(笑)。90年代には矢沢永吉さんの「THE ORIGINAL 2」(1993年発売のベストアルバム)のジャケットを撮影させてもらったこともありました。それから2、3年の間オフィシャルカメラマンとしていろいろ撮らせてもらいましたね。

こだま和文(MUTE BEAT)(写真提供:石田昌隆)

こだま和文(MUTE BEAT)(写真提供:石田昌隆)

矢沢永吉「THE ORIGINAL 2」ジャケット

矢沢永吉「THE ORIGINAL 2」ジャケット

OKI DUB AINU BAND「UTARHYTHM」ジャケット(写真提供:石田昌隆)

OKI DUB AINU BAND「UTARHYTHM」ジャケット(写真提供:石田昌隆)

中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)(写真提供:石田昌隆)

中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)(写真提供:石田昌隆)

つまらない国はない

ベルリンの壁(写真提供:石田昌隆)

ベルリンの壁(写真提供:石田昌隆)

撮影するうえで大切にしているのは、“今撮るべきもの”を間違えないこと。「行きたい国はどこですか?」と聞かれることが多いんだけど、行ってつまらない国ってたぶんないんですよ。でも、行って面白いタイミングと、つまらないタイミングはあると思うんだよね。時間もお金も限られているので、どのタイミングで何を撮るかが重要だと思う。ライブの撮影中は例え「いい音楽だな」という顔をしていても、頭の中の9割は露出とピントのことを考えています。この前エイドリアン・シャーウッドのライブを撮影したんだけど、ライブ中、彼はノリでやっているように見えるんですよね。でも、実際は冷静に技術的なことを考えてるんじゃないかな。それと一緒ですね。

ターニングポイントとなった1枚は、2000年の12月にルーマニアで撮影したTaraf De Haidouksの写真。Taraf De Haidouksはジプシーのバンドで、90年に結成されてから10年目にして初めてブカレストのホールで大々的なコンサートをやるというので取材に行ったんです。そのときに西ヨーロッパのジャーナリストはたくさん来てたんだけど、なぜかカメラマンは僕しかいなかった。そこで撮影したものがイギリスのワールドミュージック専門誌「SONGLINES」の表紙になったり、タラフのアルバム「Band Of Gypsys」のジャケットに使われたりと、僕の代表作になったんです。

Taraf De Haidouks「Band Of Gypsys」ジャケット(写真提供:石田昌隆)

Taraf De Haidouks「Band Of Gypsys」ジャケット(写真提供:石田昌隆)

常に最新の要素を

Gogol Bordello(写真提供:石田昌隆)

Gogol Bordello(写真提供:石田昌隆)

撮影してみたい人は常に何人かいるんですよ。例えば今は、アルジェリア出身のシンガーのスアド・マシとかね。撮れてしまうと、もういいやと次のものにいっちゃうのが自分の悪いところなのかもしれないけど、撮れるまではそのアーティストについて考え続けているんです。それが撮ることによって、ようやく自分の中で腑に落ちる。僕の場合、そういう感覚が常にある。

あと僕は何冊か写真集を出しているんですけど、写真集や本を作るときは常に最新の要素を入れたいと思っていて。この間発売した「1989 If You Love Somebody Set Them Free ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた」という本の場合、2019年の9月にタイミングよくベルリンに行けて、最後の撮影を終えることができました。

「1989 If You Love Somebody Set Them Free ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた」表紙(写真提供:石田昌隆)

「1989 If You Love Somebody Set Them Free ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた」表紙(写真提供:石田昌隆)

今後は中東・アラブの本もいつか作りたいし、アルジェリアの南部やマリの北部でも撮影をやってみたいですね。あと、今までにアフリカやブラジル、ハイチで撮ってきた写真もいずれまとめたいし、80年代にUKレゲエとパンクを撮影したものも形にしたい。鉄道写真をまとめた本も世に出すまでは死ねないですね。

石田昌隆

石田昌隆

石田昌隆

1958年生まれ。千葉県出身。小学生の頃に鉄道写真を撮り始め、大学在学中の1982年には数カ月ジャマイカに滞在し、レゲエアーティストを中心に撮影。2018年7月に初の写真集「JAMAICA 1982」を発表した。2019年11月には「1989 If You Love Somebody Set Them Free ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた」を発売した。

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