アーティストの音楽履歴書 第13回 [バックナンバー]

ANARCHYのルーツをたどる

ブルーハーツとヒップホップの衝撃が築いたキャリア

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アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は日本のヒップホップシーンを牽引するANARCHYに、アーティストとしてのルーツを語ってもらった。

取材・/ 高木"JET"晋一郎

小学生で食らった「TRAIN-TRAIN」

自伝「痛みの作文」(2014年刊行)でもところどころ書いてるんですが、音楽の原点にあるのは親父ですね。自伝ではロックバンドと書いてたんですけど、細かく言うと親父はロカビリーバンドをやってて。親父は楽器はなんでもやるんですけど、バンドではギターボーカルでした。それもあって、家ではロカビリーやロックみたいな、父親の趣味の音楽が流れてました。あとはTUBEが流れてましたね。親が好きだったみたいで。

そういう親父の姿を見てるとカッコいいし、憧れるじゃないですか。それで自分から「ギター教えてや」と言ったことあったんでんですけど、「まず自分でやれ、手のマメが潰れてから言ってこい!」ってちょっとカッコよさ目なことを言われて「面倒くさ!」みたいな(笑)。「コードくらい教えてくれよ!」と思いましたけど、まあ、そこで楽器はあきらめて。

自分で“衝撃を受けた”とちゃんと記憶に残ってるのはTHE BLUE HEARTSですね。小学校2、3年の頃に叔父からテープを借りて聴いたんですけど、「TRAIN-TRAIN」の子供でもグサッとくるような言葉に衝撃を受けたし、めっちゃカッコいい音楽だなって子供心に感じましたね。そのときは理屈として言葉にはできてなかったけど、子供にでも届く言葉で、子供心を歌ってた部分を好きになったんだ、あとから思いましたね。素直に格好いいと思えるのがブルーハーツだったし、だからアルバム「BLKFLG」で「チェインギャング」をカバーさせてもらったときも生半可な気持ちじゃなかったし、そもそもその前から「チェインギャング」の歌詞をタトゥーで体に入れてるんですよね。それくらい好き。ブルーハーツはどの曲も好きなんだけど、中でもマーシー(真島昌利)の曲が好きですね。

小学生の頃は一緒にブルーハーツを聴く友達はそんなにいなかったけど、中学生くらいになるとみんな好きになって、カラオケで合唱したりしました。ラッパーにもブルーハーツ好きな人は多いです。MACCHOくん(OZROSAURUS)とかNORIKIYOくん(SD JUNKSTA)……というか、ブルーハーツって嫌いな人っておるんかなってくらいで。結局、俺らが言いたいことを、先に言ってくれてたんだと思うんです。

Maguma MC'sから入ったヒップホップの道

ヒップホップの入り口はスケボーやバスケのビデオのBGMで流れてた曲で、最初に手に入れたCDはN.W.A.。確か、中1か中2。レコード屋のラップコーナーでジャケで選んだ「Niggaz4Life」でした。住んでた地元の団地(京都府京都市伏見区の向島団地)の公園で、みんなでスケボーやってるときに、自分らのテンションを上げるために、ハイスタ(Hi-STANDARD)みたいなメロコアだったり、ヒップホップをラジカセで流すようになって。一番グッときたのはやっぱり日本語ラップでした。

最初にリリックを覚えたのはスチャダラパー。「サマージャム'95」とか「今夜はブギー・バック(smooth rap)」を友達同士でカバーしたり。友達がANI、俺がBoseみたいな(笑)。今でもサブスクで聴き直したりすると、歌えるし、やっぱり好きなんやなって。そのあとに、先輩からBUDDHA BRANDとかキングギドラ、RHYMESTERみたいな、当時のアンダーグラウンドだったりハードコアなヒップホップが入ってるカセットが回ってきて。そこでよりヒップホップにハマっていきました。それが中学3年くらいで、もうその頃にはヒップホップしか聴かなくなってましたね。

同じ時期にライブも観に行くようになったんですけど、一番記憶に残ってるのはMaguma MC'sがやってた「地熱」っていうイベント。中でもRHYMESTERとMaguma MC'sと餓鬼レンジャーが登場したときの「地熱」は、もう人は入りきれないくらい満員で、天井から水滴が落ちるくらい熱気がこもってて。あのライブを観ておかしくなりましたね。「これはやばい! これや!」って。

それからはOZROSAURUSみたいな東京のラップはもちろん、関西だったらMaguma MC'sやDesperado、WORD SWINGAZ、DJ KENSAWのOwl Nite Foundation'Z、名古屋だったらTOKONA-XやM.O.S.A.D.を熱心に聴いてました。ただ、やっぱり一番大きいのはMaguma MC's。Maguma MC'sがいなかったらヒップホップの道には入ってなかったと思う。

中3で開催した初クラブイベントに憧れの人が

Maguma MC'sのRYUZOくんとの出会いも中3のときですね。歌う場所が欲しくて、自分たちでクラブイベントを開いたんですよ。手描きのチケットとフライヤーを作って、いろんな中学校にバラ撒いて。結局、イベント自体もパンパンになって、ターンテーブル買えるぐらい儲かった。で、中学生がパーティやってるというのを聞きつけて、当時は面識もなかったRYUZOくんがそのイベントに来てくれた。しかも「ちょっと歌ってやるよ」ってマイクも握ってくれたんですけど、バックDJでDJ TONK(NAKED ARTZ)さんも参加してくれて。もう感動だったし、最後に中学生なりのありがとうの気持ちとして、5000円を渡しました。封筒とかもないんで裸で(笑)。それで「これだけでも持っていってください!」と頭下げたら、「じゃあ、もらっとくわ。王将でも食うわ」って。それからは、ヘッズとしてRYUZOくんのイベントに遊びに行くようにもなって、行くと「おう、来たか」みたいな。

中学生時代のANARCHY。

中学生時代のANARCHY。

その中3のときに開いたイベントの影響はけっこう大きくて、俺らが遊んでた公園に、別の中学校でラップやってたやつらとか、ほかの街のやつらもラップしに来るようになりました。それでラジカセ置いて、サイファーでラップを回し合って。サイファーしてるやつもいるし、ダンスの練習してるやつもいるし、スケボーやってるやつもいるし。だからいま考えたらめっちゃヒップホップな公園ですね。まあ、もっと子供にとってはちょっと怖かったと思いますけど(笑)。それで高校に入って、幼なじみだったり、別の地域からラップしに向島の公園に遊びに来るようになったやつらと、サムライっていうグループを組んだんですよね。それが後々のRUFF NECK(ANARCHY、JC、NAUGHTY、YOUNG BERY、DJ AKIOによるユニット)につながっていって。

その頃も、聴くのは日本語ラップが中心でした。USのラップはほとんど聴いてなかったです。LL・クール・JはLが付いてるからロサンゼルスのラッパーだと思ってて、友達に「アホちゃう?」って言われたり(笑)。今みたいに自宅でレコーディングできるような環境はなかったんで、友達にラップを聴かせるのはライブが中心でした。録るにしても、ラジカセにマイクをつないでテープに入れる、みたいな。そのテープは地元の誰かが持ってるかもしれない。どんなラップだったか自分でも聴いてみたい(笑)。たぶん韻を踏むとかに必死で、メッセージとかストーリーをちゃんと書けてたかはわかんないです。

当時のことで覚えてるのは、クラブのオープンマイクを最前列で見てたらマイクが回ってきたんですけど、何もできなかったこと。それがすっげえ悔しくて、その後はクラブで三角座りしてうつむいてた。監督した映画「WALKING MAN」で主人公がバトルでステージに上がるんだけど、何もできなくてヘコみまくるシーンは、その実体験がもとになっています。

ZEEBRAをきっかけに少年院で再熱したヒップホップへの思い

その後にグループでラップしたり、イベントを開いたりしてたんですが、いろいろあって少年院に入ることになって。「K.I.N.G.」という曲の中で「少年院で見るテレビにZEEBRA」ってラップしてるんですけど、それも完全に実体験ですね。俺の行ってた少年院は20:00から21:00までしかテレビが観れなかったんですけど、月曜日は「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」、火曜日は「うたばん」、金曜日は「ミュージックステーション」って、その時間帯は音楽番組がすごく多くて。だから椎名林檎の「本能」、福山雅治の「桜坂」、桑田佳祐の「TSUNAMI」とか、その時期の音楽はすごく覚えてます。そういうヒット曲と並んで、ZEEBRAさんが「MR.DYNAMITE」でテレビに登場したときは、とにかくうれしかった。「一点突破 行くぜHIP HOPPER」とか少年院で聴かされたら絶対ヤバいでしょ? ラップに対してちょっと情熱が消えかけてた部分があったんですけど、あの曲が消えかけた気持ちに火を点けてくれたんです。

それで少年院のパソコンに、リリックを書き溜めてたんですよね。頭の中でノリエガの「Superthug」のビートを鳴らしながら、ひたすらリリックを書いてて。結局それはバレて、リリックは全部消去されたんですけど、あの時間は今になって考えると大事だったと思いますね。少年院を出たらまたラップをやりたいと思わされたし、自分が体験してることとか、歌いたいこと、伝えたいことがリリックとして形になったのは、あの時期からだと思います。少年院でリリックを書くまでは、韻を踏むのが面白かったり、楽しいからラップするっていうことが強かったけど、少年院から帰ってきて作った曲は、意識があるというか、伝えたいことがある。その変化は大きかったと思いますね。

出所後に芽生えた決意

ただ少年院を出たら、Maguma MC'sのクルーがすでにできてて、俺らの同世代のやつらがそのクルーのメンバーになってた。言うたら俺らは置いてきぼりになってたんですよね。それもあって一時はちょっとヘイター的な感じでもあったんですよ。「なんやあいつら」みたいな。「俺のほうが、俺らのほうがヤバイのに、なんであんなやつら連れてるの?」という気持ちがあって。RYUZOくんも俺らに興味がなかったというのもあると思うんですよ。リリースがあったわけでもないし、「ただのヤンキーやろ」と思ってたんだろうな。だから「いつかわからせてやろう」みたいな気持ちが、ラップする力になりました。

MAGUMAやRYUZOくんに自分の力を認めさせたいという気持ちは強くて、自主で「Ghetto Day'z」を作ったのも、それが原動力の1つでしたね。自分らでスタジオ押さえて、レコーディングして、完全に自分たちだけで作ったCD-R。4曲しか入ってないペラペラのCD-Rだったんだけど、それが名古屋だったらTOKONA-Xくんがラジオで流してくれたり、いろんな人が注目してくれて。そして、それを聴いたRYUZOくんも、俺に会いに来てくれたんです。そこで、ちゃんとラッパー同士としてやっと出会えたと思うし、ラップを認めてもらったという手応えを感じて、内心はすごくうれしかった。自分としても、「ラップでやっていく」という決意というか、気持ちが芽生えたタイミングでした。

それでRYUZOくんから「ごはん食いに行こう」と言われて、その席で「お前どっかのレーベルとやるつもりあるの?」って聞かれたんです。実はほかにもそういう話をもらってはいたんですけど、RYUZOくんは憧れの存在でもあったし、やるなら地元の先輩と一緒にやりたいって気持ちがあったんで、RYUZOくんの立ち上げたレーベル、R-RATEDとディールを結ぶことになって。それが21か22のとき。それからは、RYUZOくんのライブに帯同して、サイドMCをやったり、1曲だけ歌わせてもらったり。人のサイドMCなんてやったことなかったし、ある意味ではプライドを殺すような部分もあったんだけど、それでもいい、やってみたいっていう気持ちのほうが大きかった。そういう動きの中で、各地のいろんなラッパーやDJ、スタッフとつながるようになっていって。

1stアルバム「Rob The World」をリリースした2006年のライブの様子。右がANARCHY。

1stアルバム「Rob The World」をリリースした2006年のライブの様子。右がANARCHY。

RYUZOくんもライブのMCや、いろんな人に俺を紹介するときに、「ヤバいで! 聴いたらわかるで! コイツ、ガキの頃からラップやっててな……」って延々言ってるんですよ、俺がしゃべる隙がないくらい(笑)。しかも、「ちょっと盛りすぎちゃうかな?」ってくらいに話してくれるし、紹介されたほう……例えば妄走族やNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDの人たちも「RYUZOが言うなら間違いない」って反応してくれて。それがなかったら無名だった俺が知られることもなかっただろうし、音源も聴かれなかったと思う。RYUZOくんと同じように、俺をバックアップしてくれた名古屋のAKIRAくん(M.O.S.A.D.)にも感謝ですね。本当にありがたい恵まれた環境で、1stフルアルバム「Rob The World」(2006年リリース)の制作に入れたと思います。

尊敬するミュージシャンたち

尊敬しているアーティストはここに書ききれないくらいいるんですけど、まずはMIGHTY CROWNとAIちゃん。それからMACCHOくんとTOKONA-X。MIGHTY CROWNにはとにかく食らわされてますね。例えばフェスとかで、前列の10人くらいしかいない状況でも、「お前らはラッキーだ。あと10分、15分後、ここがパンパンになって盛り上がってるぞ」と言って、実際に最後にはパンパンにして、大合唱まで起こすっていう。そういうシーンを何回も観てたし、音楽を使った表現者として尊敬してる。大好きな先輩ですね。

AIちゃんとは歳が同じなんだけど、いつも負けてるなと思わされる。いろんなアーティストの武道館のライブに行ったけど、AIちゃんを超える武道館ライブは見たことない。客席の最上段の後ろの人まで泣かせる表現力は本当にすごいと思うし、感動を伝染させる力があると思うんですよね。あんな小さい体のどこにそんなパワーがあるんやって本当に驚かされるし、最高の人です。

あと、飲み友達の野田洋次郎さん(RADWIMPS)。飲みの席で知り合ったんですけど、「何やってるの?」て聞いたら、「歌とか歌ってる」って言われて、それ以上は仕事については詮索しないまま、一緒に肩組んでカラオケとかしてたんですよ。尾崎豊とかブルーハーツとか歌って。そういう時間がけっこう長い間続いて、よくよく聞いたらRADWIMPSのメンバーだってことがわかって、その話を妹にしたら「アホちゃう?」ってボロカスに言われました(笑)。それでちゃんとRADWIMPSを聴いたら、楽曲も歌も素晴らしくて。ブラックミュージック系以外でひさしぶりに日本人のライブに行きましたね。

TOKONA-XとMACCHOに関しては、もう説明不要ですね。とにかくすごいラッパーですよ。尊敬もしてるし、いい意味でジェラスを感じさせる人がいるのは本当にありがたいことだと思う。そういう人がたくさんいてほしいですね。

ANARCHY

ANARCHY

ANARCHY

京都出身のラッパー。1995年にラップを始め、2000年からはJC、NAUGHTY、YOUNG BERY、DJ AKIOとRUFF NECKのメンバーとしても活動している。2006年には1stアルバム「Rob The World」をリリース。2013年11月には4thアルバム「DGKA (Dirty Ghetto King Anarchy)」をフリーダウンロード配信し話題を集める。2014年1月1日にはエイベックスのヒップホップ専門レーベル「CLOUD 9 CLiQUE」とメジャー契約を締結し、7月にメジャーデビューアルバム「NEW YANKEE」を発表した。2018年にはレーベル / プロダクションONEPERCENTを設立。2019年10月に初監督映画「WALKING MAN」が公開された。2020年1月にライブBlu-ray / DVD「THE KING TOUR SPECIAL in EX THEATER ROPPONGI」をリリースした。

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