江戸アケミ

「自分の踊り方で踊ればいいんだよ」江戸アケミの言葉がぼくの中で踊った瞬間(寄稿:曽我部恵一)

じゃがたらの伝説的ボーカリストが遺したメッセージ

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パンク、ファンク、レゲエ、アフロビートなど多彩な音楽を取り込んだ唯一無比のサウンドで日本のロック史に名を残す伝説のバンド、じゃがたら。ボーカリストの江戸アケミが不慮の事故でこの世を去ってから30年、過去作品のサブスク解禁やアナログ化、そしてオリジナルメンバーが中心となった“Jagatara2020”名義での活動再開といったトピックを通じて、その存在に今再び注目が集まりつつある。この記事では、彼らに影響を受けたという曽我部恵一に、じゃがたらとの出会いや、アケミにまつわる思い出をつづってもらった。また記事内には曽我部によるプレイリストを掲載している。

/ 曽我部恵一 写真 / 松原研二

「お前じゃがたら言うバンド知っとんか?」

ある朝、寝ぼけまなこのぼくに父親が「恵一、お前じゃがたら言うバンド知っとんか?」と言った。「知っとるよ。なんで?」と返すと、「死んだ言うぞ」と言った。「今朝の新聞に出とる」。ぼくはびっくりした。1990年1月のことだ。寝ぼけまなこだったぼくは、水をぶっかけられたように目が覚めた。で、それからどうしたんだっけ……。東京へ出る年、実家で暮らした最後の冬だった。

じゃがたらのことをそのときどんなふうに知っていたか、どんなふうに思っていたか、はっきりとは覚えていない。だけど、中学時代に学校の先輩がダビングしてくれたカセット(少年ナイフやナース、INUもそんなカセットテープで聴き知った)にじゃがたらも入っていたし、「宝島」を毎月読んでいたから、1987年に公開された山本政志監督の「ロビンソンの庭」には町田町蔵と一緒にメンバーの江戸アケミやOTOが出演していて、音楽もじゃがたらがやっているらしい、「東京にいたら絶対観るのに!」と思っていたことは覚えている。じゃがたらは、ほかの新しいインディーズのバンドに比べると、ちょっとオールドスクールでカタブツな印象があった。ファンクやアフロを実直に追求していた(ように見えた)からか。後期はメンバーも増え、アケミはおしゃれなスーツとサングラスで雑誌の写真に写っていたが、ぼくには初期の真面目そうな野暮ったい音楽集団のイメージがずっとあった。なんでだろう?

じゃがたら

じゃがたら

三軒茶屋の裏通りで

ぼくにとってじゃがたらとはどんなバンドだったというのだろう。アケミが死んだときにぼくが受けた衝撃は、どこから来たのだろうか。レコードはまだその頃は1枚も持っていなかったと思う。テープでは曲を聴いていた。「南蛮渡来」はもう聴いていたか? ラジオでライブも聴いた記憶があるが、いつのことだったか、定かではない。実際のライブはもちろん観たことはない。インタビューは読んでいた。はずだ。1980年代のサブカルチャー誌を読んでいて、それに遭遇しないはずはないから。「宝島」や「DOLL」に掲載される三茶のレコードショップ・フジヤマの広告はいつも楽しくて、そこからもアケミやじゃがたらの匂いを感じ取っていたはずだ。

「自分の踊り方で踊ればいいんだよ」という有名なアケミの発言をいつ知ったか。今となっては思い出せないが、ロックの偉大なフレーズとしての認識はあった。ある夏の日、行ったことのない目的地にどうしてもたどり着くことができず、スマホの地図とあたりをにらめっこしながら三軒茶屋の裏通りをうろついていた。暑くて頭がぼうっとするような日だった。ふと見上げたぼくの目に飛び込んできたものは、でっかい字で書かれた「自分の踊り方で踊ればいいんだよ」というアケミの言葉で、それがフジヤマの看板だということに気付くまでに数秒あった。刹那、ぼくは知らない迷宮に迷い込んだような錯覚を持つと同時に、アケミの死を知った瞬間の気分に似たようなものも胸の内に去来した。はっと目がさめるような瞬間だった。風景すべてをゆらゆらと揺らす真夏の陽炎が、一陣の風に追い払われてしまうような瞬間。たった数年前のことだが、そのとき初めてアケミのその言葉はぼくの中でしっかりと踊ったのだった。その言葉を初めて、ちゃんとわかった気がした。

江戸アケミ

江戸アケミ

「南蛮渡来」のバルコニー版のLPを手に入れたのがいつか、これも判然としない。が、最初に手に入れた(テープ以外の)じゃがたらのレコードだった。だいぶあとに下北沢のdiskunionでオリジナル盤を手に入れたが、八木康夫さん編集のLPサイズで写真満載のブックレットが付いたバルコニー版にどうしても愛着があり、今でもそちらの盤を棚からひっぱり出すことが多い。そう思えば、あのブックレットがぼくのアケミ像を決定付けている。

曽我部が所有している「南蛮渡来」のバルコニー版LP。(写真提供:曽我部恵一)

曽我部が所有している「南蛮渡来」のバルコニー版LP。(写真提供:曽我部恵一)

「タンゴ」のオリジナル盤7inchは、いつどこで手に入れたんだったっけ……。去年、念願だった「ロビンソンの庭」をついに映画館のスクリーンで観た。ぼくが持ってる海賊版のような輸入DVDとは比べ物にならない美しい映像に圧倒された。上映後、山本政志監督の登壇があったが、じゃがたらのことについては触れられなかった。YouTubeにはじゃがたらの初期のライブ音源があふれている。ここ数年で、聴ける限りのじゃがたらのライブを、ぼくは聴いた。だが、そうだからと言って、ぼくはじゃがたらの、アケミの何をわかったというのか。じゃがたらというバンド、江戸アケミという人はぼくにとって、それを知ったときから今まで、ずっとよくわからない存在である。ただ、同じ四国出身ということで、勝手な同郷意識を一方的に持っていた。

「高知出身や言うやないか」と、父親は言った。「しかし、アケミやゆうて女みたいな名前にしとるのお」。そう言った父親の言葉に、ぼくは何も返さなかったことを覚えている。

じゃがたらPLAYLIST by 曽我部

01. LAST TANGO IN JUKU / 財団法人じゃがたら
02. でも・デモ・DEMO / 暗黒大陸じゃがたら
03. ゴーグル、それをしろ / JAGATARA
04. 少年少女 / JAGATARA
05. みちくさ / JAGATARA
06. 都市生活者の夜 / JAGATARA
07. タンゴ / 暗黒大陸じゃがたら

曽我部恵一

1971年生まれ香川県出身。1990年代からサニーデイ・サービスの中心人物として活躍し、2001年にソロアーティストとしての活動も開始する。2004年には自主レーベル・ROSE RECORDSを設立。以降、サニーデイ・サービス / ソロとして活動しながら、プロデュース、楽曲提供、映画音楽、CM音楽、執筆、俳優など、形態にとらわれない表現を続ける。

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大井洋一(33) @ooiyouichi

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