志磨遼平

渋谷系を掘り下げる Vol.3 [バックナンバー]

ドレスコーズ・志磨遼平が語る憧憬とシンパシー

「『本物になんかなるものか!』という姿勢がカッコいい」

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「音楽を楽しもう!」と素直に言えない気持ち

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──2000年代に入って、音楽とファッションが切り離された感覚は確かにあるかもしれません。

こういうジャンルのイベントにはこういう服を着ていくとか、服装のマナーみたいなものがある時期からなくなりましたね。それはすでに僕らの世代から始まってるんですけど。ギリギリ残っていたのはパンクシーンくらいで。メロディックパンクが流行った頃、鋲ベルトを着けてるスケーターをガチのパンクスが狩るっていう、“パンク狩り”っていう恐ろしい文化が僕の田舎にはあって(笑)。

──パンク狩り(笑)。

それが唯一僕らが受けた、ファッションと音楽のマナーの洗礼ですね。うかつにハードコアバンドのTシャツを着ていると、そのバンドと敵対してるバンドの人に拉致られるとか(笑)。ほぼ都市伝説ですけど……ちょっと魅力的ではありましたね。あの怖さは。

──ある種の敷居の高さというか。

はい。ライブハウスに入るにも、すごく緊張感があって。ちょっと背伸びする感じというか、それがなくなったのが僕らの世代という感じがします。音楽もファッションも、よくも悪くもカジュアル化してしまって。

──そういう意味では、渋谷系カルチャーにもある種の敷居の高さはありましたよね。

そうですね。ちょっとした選民意識みたいなものというか。「このよさをわかるものだけが楽しめる」みたいな。

──「とにかくレコードをいっぱい聴いてるやつが勝ち」みたいなところがありますよね。

例えば吉祥寺のCOCONUTS DISKとかで紹介される最近の若いバンドの子たちもめちゃくちゃ音楽に詳しいじゃないですか。でも渋谷系の世代の方々とはどこか違うような。今の若い子たちは純粋に「音楽を楽しもう!」って言えちゃうんですけど、渋谷系の世代はもう少し斜に構えたところがあるというか。僕なんかも素直に「音楽を楽しもう!」とは言えないところがあって。

──まっすぐさに対する照れみたいなものもあるんですかね。

どうなんでしょう……もちろん音楽は大好きなんですけど。でも、声を大にしては言えない。それに比べて、今の若い子たちは健全に音楽と向き合えているというか。とても眩しくてですね(笑)。

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毛皮のマリーズは渋谷系へのカウンター

──志磨くんが先ほど言った“ルサンチマン”的な感覚も渋谷系を語るうえで大きなキーになるかもしれません。

何かに対する反抗ですよね。旧世代であったり、いわゆるメジャーなものであったり、人それぞれなんでしょうけど。そういう意味ではパンク的な感覚ですよね……そう言えば、先日まさに「音楽ナタリー」に掲載された小西さんのインタビューを読んで「はっ!」と思ってスクショしたくだりがあるんです……(携帯を取り出して)あ、ここですね。「バカラックに全曲自分で歌ったレコードを出してほしい」と小西さんがおっしゃってるくだり。「やっぱロックはさ、フィジカルに音を出している人のものなんだよね」と発言されていて。それは裏返すと、小西さんたちがとてもロジカルに音楽を作られていたっていうことになると思うんです。もしかしたら僕は、その渋谷系的なロジカルさの反動として、毛皮のマリーズをやっていたような感じがあるんです。今振り返ると、ですけど。

──渋谷系へのカウンターとして。

ええ。僕は生粋の文科系で「自分は本物ではない」という負い目があるんです。そこで、先輩方がヒップホップ的な方法論で元ネタをサンプリングしていたように、僕は1960~70年代のロックスターのフィジカルな部分をサンプリングしてみよう、と思って。生演奏でやるサンプリングミュージック、しかも立ち居振る舞いまで。それが毛皮のマリーズというバンドの方法論だったんです。「セックス、ドラッグ&ロックンロール、できるかな?」みたいな(笑)。音楽の知識や持ってるレコードの枚数は置いといて、ここで1回、自分自身の体を傷付けて血まみれになってみる、みたいな。若さゆえの衝動みたいなものもあったんでしょうけど。

──それはすごく腑に落ちる話です。

だから出てくるタイミングが違ったら、僕、絶対にロックンロール以外の音楽をやってたと思うんです。毛皮のマリーズを作った頃って、パンクと言えばブルーハーツかハイスタか、みたいなバンドがあふれかえっていて、そこに対する抵抗みたいな気持ちがあって。「じゃあ僕は、どういうネタでトラックを作ろうかな」みたいな感覚でチョイスしたのがThe StoogesとかNew York Dollsだったんで。

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文科系だけが身に付けられる反射神経

──渋谷系へのカウンターという意味でいうと、僕はキリンジが出てきたときに、時代が変わりつつあるなと思ったんです。演奏や歌詞、アレンジに至るまで、あらゆる面でクオリティが異常に高くて。クオリティの高さで渋谷系を越えようとする世代が出てきたんだなって。

ああ、わかります。先輩方に非常に失礼な言い方になってしまうんですが、「テクニックがあったら渋谷系じゃない」みたいな感じってあったじゃないですか(笑)。

──テクニックをセンスで凌駕するみたいな。そこも前時代的なテクニック至上主義に対するカウンターですよね。

僕がマリーズのドラムに、ほぼ素人だった富士山富士夫くんを入れたのもそういう感覚だったんで……なんだか今日、僕がここに呼んでもらえた理由がわかってきました(笑)。渋谷系から漂うルサンチマンとやけっぱちな気持ち。これって完全にパンクと通じるものだし、僕の好きなものすべてに共通する感覚です。なるほど、今日は自分の中でいろんなことがつながりました(笑)。

──では、最後に志磨くんが表現活動をするうえで、渋谷系から一番影響を受けたのはどういうところでしょうか?

やっぱり元ネタ、本物との距離の置き方ですね。あるいは角度だったり……要するに切り口ですよね。真正面からじゃなくて、違った角度から元ネタに向き合うという。それは渋谷系の諸先輩方の作品に触れる中で培った感覚だと思います。ネタを選ぶ審美眼というか。これなら今、茶化せるぞみたいな(笑)。

──茶化すのにも愛情やセンスが必要ですからね。あとは“寝かし時”みたいな感覚とか。

そうそうそう! このネタを自分の中で何年寝かせるか、みたいな。「これは今誰もやってないな」というタイミングの図り方。それって反射神経かもしれないですね。本物ではない人間だけが身に付ける反射神経、筋力というか。主流じゃないものをぱっと見つけて、「今これやろう!」って瞬時に動ける感じ。それは渋谷系カルチャーから学んだことかもしれないです。

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1982年、和歌山県出身。2006年にロックバンド毛皮のマリーズでメジャーデビュー。バンドは6枚のオリジナルアルバムを残し2011年の日本武道館公演をもって解散する。2012年、ドレスコーズ結成。同年7月に1stシングル「Trash」、12月に1stフルアルバム「the dresscodes」を発表した。2014年9月の5曲入りCD「Hippies E.P.」リリースを機に志磨以外のメンバーがバンドを脱退。以降は志磨の単独体制となり、ゲストプレイヤーを迎えてライブ活動や作品制作を行っている。最新アルバムは2019年5月に発表した「ジャズ」。11月20日にはライブBlu-ray / DVD「ルーディエスタ / アンチクライスタ the dresscodes A.K.A. LIVE!」をリリースした。

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フミヤマウチ

ライター / DJ。DJ BAR INKSTICKやOrgan Barといったクラブに勤務したのち、1996年にタワーレコードの「bounce」編集部で編集者 / ライターとしてのキャリアをスタートさせる。和モノレアグルーヴ発掘の第一人者として知られ、「グルーブ・サウンズ・イン・ニッポン」(あいさとうとの共同監修)など再発音源の監修や解説も手がけている。

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吉田光雄 @WORLDJAPAN

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