アーティストを撮り続けるフォトグラファーにスポットを当て、カメラとの出会いから現在の活動に至るまでを紐解いていくこの連載。第14回は音楽、ファッション、広告などさまざまなジャンルで幅広く活躍中の中野敬久に話を聞いた。
取材・
フランス映画とイギリスの音楽が原点
3歳の頃に腹膜炎で生死をさまよう経験をして、半年ほど入院したことがありました。それもあって、外で活発に遊ぶような子供ではなかったです。小学生の頃、母親が持っていたマイケル・ジャクソンなどR&Bのレコードを聴いたのが音楽との出会いでした。中学生になると世の中のバンドブームもあって近くのレコード店に通ってさらにいろいろな音楽を聴くようになりました。渋谷系の音楽が流行り出したときには、CLUB QUATTROやインクスティックのようなおしゃれなライブハウスに背伸びして行っていました。とにかく1960、70年代の音楽から当時流行したヒップホップやバンドなどいろいろ聴いていて。いわゆる音楽オタクでしたね。特に90年代のイギリスの音楽、マッドチェスターと呼ばれる音楽やネオアコ、ブルーアイドソウルとかが好きでした。
同じ頃、フランス映画にもどっぷりはまっていて、ジャン=ジャック・ベネックスやレオス・カラックスなどの作品を観ていました。当時は学校をさぼって1人でふらっと映画館に行って、帰りにレコード店に寄るのが楽しかったですね。高校を卒業する頃、親が広告代理店に勤務していたということもあり、広告業界には漠然と興味がありました。ただ具体的に将来したいこともなかったのでどうしようかと思っていたときに“海外留学”の文字を新聞で見て、それもアリだなと思い親を説得してイギリスに行くことにしました。
英語に自信がなかったから写真を
最初の1年間はイギリスのノーリッジという田舎町に滞在して英語を勉強し、2年目でカレッジに入るときに、写真の授業を選択しました。それが写真との出会いですね。英語にまだ自信がなかったので、実技の多い写真なら授業に付いて行けるかな……と、ただそれだけの理由でしたが、そこから写真にハマっていきました。そのあとイギリス生活3年目でロンドンに行き、メディアを学ぶ学校に通いました。その頃は、昼間は学校の暗室にこもって、夜は映画館に入り浸って、常に真っ暗闇の中にいる生活でしたね(笑)。でもレコードを買ってたくさん音楽を聴いたり、日本で観られなかったレアな映画を観たりすることができて、いっぱいインプットすることができました。
2年間学校に通っている間に、「i-D」や「THE FACE」などのカルチャー誌を多く撮っているスタジオでスタジオマンの仕事をすることになりました。最初は皿洗いのような仕事から始めて、機材の発注や、撮影周りのことはほとんどここで学びました。一流のカメラマンの仕事も間近で見ることができたので、新しい知識も学べて楽しかったです。
実はイギリスに渡るまで写真を撮るという行為をあまりしたことがなく、スナップ写真も撮ったことがなかったんです。スタジオで働いているときもしばらく自分のカメラも持ってなくて。海外ではカメラマンはレンタル会社からカメラを借りて仕事をするということがよくあったんです。カメラのトラブルが起きたときはレンタル会社の責任になるし、レンタル会社は保険に入ってトラブルに備えているから、その方が合理的だと思っていました。
がっつり人と向き合うポートレートが好き
23歳のときに、ビザの関係で日本に帰ることになりました。でも日本の写真業界の事情はわからなかったのでカメラマンの仕事をすることもなく、六本木のバーでボーイの仕事をしました。本当にバーで働けば女の子にモテるのか知りたくて(笑)。その時期は写真は一切撮ってなかったです。一応音楽雑誌やファッション雑誌はチェックしていましたけど。
半年ぐらい経ってこのままではいけないなと思っていたら、GUCCIなどの撮影をしているイギリス人カメラマンのグレン・ルッチフォードが英語を話せるアシスタントを探していて、単発のアシスタントの話が来たんです。イギリス時代、向こうのカメラマンや日本から来たPIZZICATO FIVEやJUDY AND MARYの撮影チームなどでロケアシの仕事をしたことがあったので、アシスタントとしての土台はありました。その撮影チームに自分の作品を見せたら「1人でやってみたら」と、ひと通り雑誌の名前と連絡先を教えてくれたんです。とりあえず名刺だけ作って営業を始めたら、少しずつ仕事が入るようになりました。
デビューは「COMPOSITE」というカルチャー雑誌です。
ファッション誌の仕事をしている頃はファッションポートレートが主でしたが、同時進行でTRICERATOPSやWyolicaのジャケット写真など、音楽の仕事もやっていました。本格的に音楽の仕事が増えたのは、「VOGUE NIPPON」(コンデナスト・ジャパン発行。現「VOGUE JAPAN」)で撮っているフォトグラファーとして知ってもらえるようになってからです。
言い続けることで具現化していく
よく覚えている仕事というと、SUPERCARです。その頃「俺、音楽好きだったじゃん」って思い出して、音楽の仕事をたくさんやりたいと思い始めていて。「昔から好きだったSUPERCARの仕事がしたい」といろいろなところで言ってたら、当時「ROCKIN'ON JAPAN」の編集長だった鹿野淳さんから直接電話がきて、「SUPERCARを撮ってほしい」と言われて「撮ります撮ります、撮ります!」って言いました(笑)。その仕事でディレクターさんに「SUPERCARのジャケット写真も撮りたいです」と言ったら、その方がアートディレクターの木村豊さんを紹介してくれてブックを見てもらえたんです。木村さんに音楽の仕事を増やしたいと相談したら、「SUPERCAR」のジャケット撮影に誘われて。そのジャケはブツ撮りだったんですけど、木村さんの持論で「人を撮るのがうまい人は物を撮るのもうまい」っていうのがあったらしく、抜擢してくれたんです。自分としては、ブツ撮りがうまいというのは、“物を人間らしく捉える”ことができるかどうかなのかなと思っています。
SUPERCARの解散ライブも、最後に目に焼き付けておきたいと思って当時「ROCKIN'ON JAPAN」でSUPERCAR担当ライターをしてた宇野維正さんに電話して、「撮りたい」と伝えました。そうしたらバックステージでドキュメンタリー撮影ができることになって。そのとき、「やりたい」と言い続けることでそれを具現化できることもあるのだとわかりました。それからはなんとなく写真を撮るのではなく、「これをやりたいからそのためにどうすればいいか」ということをずっと考えてきました。
木村さんは
本人たちの言葉を拾う
撮影するときは誰に対してでも緊張しています。アーティストは1枚目の写真がモニタにポンと出たときに「このカメラマンはできるか、できないか」というのを見てると思うんです。初めて撮る人はもちろん、撮ったことがあるアーティストでもその時期によって表現したいものも変わるので、僕も毎回同じではいけない。その人のビジュアルだけじゃなくて、音楽性を含めて表現するのはとても難しいですが、僕はそこまで真剣に向き合っているから、同じアーティストを繰り返し撮影させてもらえているんだと思います。
最近は「こういうアーティストをこう打ち出したいのですが、どう撮りましょうか?」という撮影ディレクションを求められることも多いです。本人たちと音楽の話ができるからこそできる提案もあると思うので、アイデアを枯らさないために常にインプットは怠りたくないですね。
自分より若い世代のアーティストには、いい意味で“お兄ちゃん感”を出します。写真という外枠は僕がきちんとしたものを作るから、アーティストにはその中でリラックスしていい表情を見せてほしいという気持があります。若いアーティストを駆け出しの頃から撮ることによって、彼らの成長を記録写真のように残せるというのがすごくうれしいです。
実はカメラマンになってすぐ、かなり順調に仕事が入るようになっていきなり名前が売れてしまって、同じ業界の人にいろいろ言われたんですよ。それで写真の仕事をしたくなくなっちゃって、2年間ぐらい家で昼ドラばかり観ていた時期があったんです(笑)。その頃僕には相談できる人がいなくて、誰か頼れる人がいたらよかった……という気持ちがあって。だから今若い人たちに「嫌なことがあっても腐るなよー」って言ってあげたいという気持ちからそうしてるんだと思います。
コラボレーションの橋渡し
「灰色と青」は、米津がアルバム「BOOTLEG」を作っているときに一緒に飲んでたら「誰かゲストを呼んで作品を作りたい」と言ったんで、ぽろっと僕が「
写真の仕事は楽しいですけど、プライベートではカメラに触らないし、撮りたいと思うことも特にないんです。でもこの仕事はカメラを通してたくさんの人に出会うことができる。結局人が好きだからやっているということなんでしょうね。今は音楽だけではなく、いろいろなジャンルに挑戦して、たくさんの人とつながることを楽しんでいきたいですね。
中野敬久
1993年に渡英。ロンドン・カレッジ・オブ・プリンティングで写真や映像を学ぶ。その後スタジオでアシスタントを経験して帰国。1999年からカメラマンとしてのキャリアをスタート。現在では広告、CDジャケット、雑誌など幅広い媒体で活躍している。
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- 「LIFE with Fender」フォトグラファー中野敬久がアーティストとフェンダーの距離感を撮影、キュレーションする写真によるセッションコンテンツ
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