左から遠藤ミチロウ、大槻ケンヂ。

遠藤ミチロウさんから教えてもらったこと(寄稿:大槻ケンヂ)

キュートでチャーミングな先輩であった。けれど、やっぱりパンクスであった。

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ザ・スターリンの中心人物としていくつもの伝説を残し、その後もとどまることなく精力的な活動を続けながら、長年にわたってさまざまなアーティストに影響を与えてきた遠藤ミチロウ。平成から令和へ改元するのと同時に伝えられた彼の訃報は、多くの人々を深い悲しみに包んだ。

音楽ナタリーでは、ミチロウから多大な影響を受けたアーティストの1人であり、これまでライブなどでたびたび共演してきた大槻ケンヂに、追悼文を寄稿してもらった。

/ 大槻ケンヂ(筋肉少女帯、特撮、大槻ケンヂミステリ文庫)

不条理で残酷だけど、不思議と美しく、郷愁を刺激される歌

2019年4月25日、令和を目前にして遠藤ミチロウがこの世を去った。

1980年にパンクバンド、ザ・スターリンを結成、LP「STOP JAP」でメジャーデビュー、1993年からはアコースティックソロシンガーとして全国津々浦々を旅して歌い、またドキュメント映画製作や、NOTALIN'S、TOUCH-MEなどのユニットで活躍、東日本大震災後は故郷である福島の復興にも意欲的であったが、膵臓がんを患い亡くなった。68歳であった。

遠藤ミチロウ

遠藤ミチロウ

大メジャーなミュージシャンとは言えなかったかもしれない。だが数多のミュージシャン、アーティスト、その他の人々に与えた影響は計り知れないものがある。今後徐々に、彼がどれだけ偉大な表現者であったのか、語られ始めることであろう。今からでも知るべきだ。

ザ・スターリンが結成されたころ、僕は14歳。まさに中二病の真っ只中であった。ちょうどロックに興味を持ち始めた頃でもあったから、“直撃!”という衝撃でもって出会ってしまった。デビュー前から存在はうっすら知っていた。なんでも豚の頭を客席に投げつけるだとか、客をぶん殴って逆にぶん殴られて血まみれで歌うとか、物騒な話が当時のアングラ系雑誌に載っていて、確かに、上半身裸で目の周りを黒く塗った男の白黒写真も小さくあった。遠藤ミチロウというシックスパック腹のその男は、手にマイク……ではなく何やら動物の臓物らしきものを握っていた。

「すげえ! パンクはマイクじゃなくて獣の腸で歌うんだ!」

それは電機的にまったく不可能だろうと今ならわかるんだが、何しろ子供であったし、当時パンク界というのは、とにかく怖い世界なんだと真剣に思っていたのだ。例えるなら81年公開の「マッドマックス2」くらいには!

ザ・スターリンのライブの様子。(写真提供:遠藤ミチロウオフィス)

ザ・スターリンのライブの様子。(写真提供:遠藤ミチロウオフィス)

「吐き気がするほどロマンチックだぜ!」「包丁とマンジュウ!」「天ぷら! お前だ! 空っぽ!」――遠藤ミチロウの歌詞は不条理で残酷だった。でも不思議と美しくも感じた。そして郷愁を刺激されるような感覚もあった。のちのちになって「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」というミチロウさんの歌を聴いたとき、ああ、ミチロウさんの詩というものは、その一編一編が“聴く無惨絵”なのだな、と感じたものだ。グロテスクの中に美や哀やいろいろな要素を見事なバランスで配置した1枚の絵なのだ。

ミチロウさんはキュートでチャーミングな先輩

「こんな怖い人とは一生会わないようにしよう」。中2で決心した僕であったが、会わないどころかその後、何度も一緒にライブをさせていただく機会に恵まれた。お会いしてみると、ミチロウさんはおだやかで優しい方であった。「豚の頭は俺、1回しか投げてねえんだ」と、ザ・スターリンのバイオレンス伝説を福島弁でやんわりはぐらかす。

「でも、人を殴ったりしてましたよね?」

「いや、客が近いから当たっちゃうんだ。お互い、ゴメンねって」

たまに、すっと懐に入らせてくれるロックの先輩がいる。ミチロウさんはまさにその1人であった。調子に乗って、筋肉少女帯の「元祖高木ブー伝説」はザ・スターリンの「天プラ」から詞の発想を得たものであり、そもそもタイトルもミチロウさんのカセットブック「ベトナム伝説」から取ったものですリスペクトですと白状すれば、「ああ、ありがと。それより今日のライブ、俺がまず出て行って『俺、遠藤』って言うから、大槻くんが『僕、ケンヂ』って続けてよ」「……?」「2人合わせて、遠藤ケンヂ!」「ああ……」。

その日2人は遠藤賢司さんのライブゲストで呼ばれていたのだ。ミチロウさんはこの、Wけんじが元であろう漫才風の名乗りを気に入っていたようで、エンケンさんのライブに2人が呼ばれるたびに「大槻くん、アレ、やる?」と問うてくるのだが、それミチロウさんがやりたいだけでしょ! キュートな先輩であった。ちなみに僕がミチロウさんと最後に会ったのは、2018年1月に行われたエンケンさんの追悼ライブであった。その夜は「2人合わせて遠藤ケンヂ」をやらなかった。やればよかったと、今になって思う。

キュートでチャーミングな先輩であった。けれど、やっぱりパンクスであった。

パンクとは、自分の中の筋を通すためなら本気でやること

ザ・スターリン結成15周年のライブのときだったと思う。たくさんのゲストが出た。僕も呼んでもらった。客席は、本当にもう「マッドマックス2」のような光景であった。「どこにいたんだ今まで!?」と思わず聞きたくなるような、モヒカン、鋲(と言うか釘)付き革ジャンのハードコアパンクスでフロアがあふれかえったのだ。彼らのお行儀の、いいはずがあるわけがない。野次、怒号、小競り合い。なんだかわからない物が時に宙を舞う。人間も飛んでくる、ダイブ、モッシュ。僕は正直ステージに出ていくのが怖くて仕方がなかった。何をされるかわかったもんじゃない。ただ、たった1つ「でも大丈夫だ」という思いがあった。「もーヤバい奴ばっか。でも大丈夫。だって今来てる奴らは、全員遠藤ミチロウを愛しているから。その思いで俺らは1つ」。

ザ・スターリンのライブの様子。(写真提供:遠藤ミチロウオフィス)

ザ・スターリンのライブの様子。(写真提供:遠藤ミチロウオフィス)

それこそミチロウさんのエッセイ集のタイトルにもなった「嫌ダッと言っても愛してやるさ!」というフレーズがある。それだ。どんな風体をしている怖そうな奴らも、実は過去に遠藤ミチロウの歌で励まされ、力をもらい、背中を押してもらっているのだ。僕もその1人だ。見ればわかることだろう。だから大丈夫だ。実際、みんな僕のステージを歓迎してくれた。僕らはミチロウチルドレンなのだ。

この日、あまりのゲストの多さに、ミチロウさんがその1人を紹介し忘れるというアクシデントがアンコール時にあった。楽屋に戻ると、呼び出し忘れられてしまったパンクミュージシャンが怒り出してしまった。ライブの興奮もあったのだと思う。声を荒らげ、つかみかからんばかりだった。そのときミチロウさんは自分のミスに気付いたのだろう「あっ」という表情を浮かべた直後、ズバッ!という勢いで膝を折り、その場に座し「すまなかった! 申し訳ないっ!」と言って深々と詫びたのだ。

「なんてカッコいい人なんだ。知ってたけど」と僕は思った。感動した、と言ってもオーバーではない。自分に非があるとわかったら即座に認め、誠意を持って迅速に謝る。簡単そうで、なかなかできない。それを、パンクスだらけの楽屋で、上半身裸で目の周りを黒く塗ったザ・スターリンがやるのだ。パンクとは何か? わからないが、それは主張と怒りと自由の権利を訴えることばかりではないのだろう。むしろ、たとえそれが謝罪であっても、自分の中の筋を通すためならすぐに行動に出る。本気でやる。僕はミチロウさんの福島支援の動きについてはよく知らない。でもきっと筋の通った、また、筋を通させようとするための活動だったんじゃないかなあ、などと想像する。

2011年8月に福島にてプロジェクトFUKUSHIMA!の主催で行われた「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」の様子。(写真提供:遠藤ミチロウオフィス)

2011年8月に福島にてプロジェクトFUKUSHIMA!の主催で行われた「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」の様子。(写真提供:遠藤ミチロウオフィス)

あるとき不意に、「ミチロウさん、弾き語りの長い旅は疲れるでしょ。宿で、よく眠れますか?」と尋ねたことがある。するとミチロウさんが言った。

「眠れない眠れない。頭が冴えてしまって、ウトウトしたらもう朝だよ。で、起きて。でもそうしてまた、歌いに、旅に出るんだあ」

いろんな生き方がある。それぞれにつらいこともある。でもやるしかないだろ? だからやるんだよ。そんなことを、教えてもらったような気もする。

遠藤ミチロウ

遠藤ミチロウ

※記事初出時、事実誤認があったため文章を一部変更しました。

大槻ケンヂ

1966年生まれ東京出身の男性シンガー / 作家。中学の同級生だった内田雄一郎と筋肉少女帯を結成し、1988年にアルバム「仏陀L」でメジャーデビュー。不条理かつ幻想的な詩で独自の世界観を確立する。またバンド活動と並行して、小説やエッセイを執筆。青春小説「グミ・チョコレート・パイン」は2007年に映画化され話題になった。また1995年にはソロアーティストとして、アルバム「ONLY YOU」をリリース。1999年には新バンド・特撮を結成。2006年に筋肉少女帯の活動を再開し、楽曲のリリースやライブ活動を精力的に行っている。2018年にはソロプロジェクト・大槻ケンヂミステリ文庫を始動させ、12月に1stアルバム「アウトサイダー・アート」をリリースした。

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ヘッダ写真提供 / 大槻ケンヂ

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